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自分はどこに向かうのか

こんにちは。
今回ただの自分語りです。笑
色々とご容赦ください。笑

ー目次ー
・ライの性格と繰り返す同じ過ち
・父と向き合う、自分と向き合う
・失敗も肯定できる自分へ

<ライの性格と繰り返す同じ過ち>
自分あるあるなんですけど、
”いいな”と思うものを見つけると後先考えず、飛び込んでいく性格をしてるので、大学のサークルを決めた時もある団体に入る時も何かのイベントに行く時も割と即決で決めました。
よく言えば、思い切りの良いタイプ。

ただ、飛び込んだ結果が吉と出るか凶と出るかは本当にその時次第。
時間が経てば最初の思いも薄れていったり、そもそも関心もなくなっていったり、なかなかに飽きっぽいのも自分の特徴。笑

組織に属してると特に感じてしまうのは、本当に自分はここにいるべきなのだろうか?という感覚。
何処かのタイミングでめちゃめちゃ自分の選択を悩み出すんですね。
そしてその中で、今もこれがやりたい?→Yes or Noって自問すると、
悩んでる時点でNoなんだろなって答えがすぐ出てきます。
そこまで思うと、パッとやめちゃうことも多いです。

で、そんな浮き沈みの激しい感じでここ1、2年過ごしてきて、
自分の行動することや行動した先での出来事がトラウマになっていってしまったんです。

居心地が悪くて外に出ようとすればするほど、自分の世界が窮屈になる感じ。

そうなると自分はどこにこれから向かえば良いんだろう?とまた悩む。
そしてそれが嫌で自分を変えたいって行動するけど、またその先で悩む。
と、同じことを繰り返すんだろうなってことが自分でもわかってしまうくらい、これまで同じことを繰り返してきました。

<父と向き合う、自分と向き合う>
最近もまた1つ、悩んだ末に離れる選択をしました。
そうして凹んでる自分を見かねて、父が色んな話をしてくれました。
父も抱えている不安、親としてライを見てきて思うことなど。
父と真正面向いて話をしたのも久しぶりで、色んな新鮮さと共に自分の忘れていた大切なことを思い出させてくれました。

話していく中でたどり着いたのが「本当に必死になってやったのか?」ということでした。

僕は自分の弱さとか力不足とか色々わかっているつもりだったんです。
だけど、その自分への認識こそが成功につながる可能性を自分で潰していたことに気づかされました。

”今の僕にこれをこなすことはできない”
そう認識した時、いかに周りに迷惑をかけないかということばかり考えて、結果周りにめちゃくちゃ迷惑することを繰り返しました。
なぜそんなことを繰り返したかというと、自分の力不足を認めた先の行動軸が根本的に間違っていたのです。
直面する問題と自分の力不足、そんな中で適切な対応を常に考えていたつもりが、
いつの間にかできない自分を言い訳に問題から逃げていたんです。

本当に当たり前すぎる結論ですが、
生きてく中で出来ないことを一つ一つ出来るように変えていく必要がある、そうしなければ良いものは生まれないし、自分の人生も良いものにはならない。
こんなことも本当の意味でわかっていなかった自分に気づきました。

<失敗も肯定できる自分へ>
これからを考えても、自分は超優秀、Mr.ハイスペック!な人間ではないですし、そこを目指すのも中々しんどいものがあると思ってます。
自分のダメなところに気づいたからっていきなり明日から違う自分になれるわけでもありません。

それでもまずは一つ一つ、自分に沸き上がる衝動を言葉にする。自分の漠然とした不安を言葉にする。
そして次は、湧き上がる思いの先にある自分、不安が取り除かれた自分を想像する。
最後にその姿までの距離感を自分で測る。
道を定めてから、はじめて歩き出す。

そんなことから始めてみようと思います。

今まで自分は悩んだ時に何を思ってその道に進んだのか考えきれてなかったり、本当に勢いに任せて何も考えず行動していたんだと思います。

noteを書くことも自体も改めて考えてみると、外に向けて発信発信というよりも、自分の知らないものを学んで、自分の言葉にするということがきっかけでした。

それらを積み上げて自分が振り返ってきたときに、
こんなにやってこれた自分という姿がぱっと見でわかる形にしたいなと今は思っています。

さぁここまで抽象的な話をつらつらと書いてきましたが、こんなことを思っているのが最近の自分です。
だから今は次の行動を踏み出す前に一回、立ち止まってみようと思います。

今までの失敗も全部肯定できる自分になります。
出来たらいいなじゃなくて、やります!

今回は、そんな自分への決意表明も含めたnoteでした。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

ライ

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