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リベラジリアーツの理念vol2~自ら問を立てて学ぶ~

リベラジリアーツの理念第二弾であるがまたもやいきなり動画をご覧いただきたい.


何も前置きがなく警戒心なくこの動画をご覧になられた方の大半は途中で様々な変化があったことに気付かないのではないか?
21つも割と大胆に変化しているのに1つも気づかないとは人間の観察力にも落胆せざるを得ない.
この世もぼーっと見ていたら気づかぬうちに徐々にいろいろ変わっていっていたら,,,と思うとなんだか恐ろしい.

しかし一度「変化している個所を見つけてください」と種明かしをされた上でこの動画を見たならば,それなりに複数個の変化を指摘できるのではないか?
おそらくあなたは画面全体に注意を払い,一つ一つの変化を鮮明に記憶し,嬉々として見つけた変化を報告するだろう.めでたしめでたし.
ここで得るべき教訓は何かを意識した上で見なければ認知できない事柄が確かにあると言うことだ.その意識は正しく問や仮説によってもたらされる.

ということで、問いを立てながら次の動画を見てみよう.        

「白いチームのパスの回数は何回ですか?」



いかがだっただろうか?かなりの方が熊を見落とされたのではないか?
今度は逆にパスの回数という情報を注視したがあまりに他の情報を一切認知しないようにしようとしたのだ.
正に木を見て森を見ずという言葉が当てはまるだろう.
片や 問いを立てないとわからないことがあり、片や問いを立てることにより見えなくなることがあるという非常に意地悪な事である.

ではこの世界に満遍なく視線を向け見えにくい事象も時には目の前に鮮明に現前させるためにはどうすれば良いのだろうか?
簡単である.様々なジャンルの問いや仮説を多く立てれば良い.
このためにリベラルアーツは適している.
リベラジリアーツでは自己 社会 世界 について満遍なく毎月一つずつテーマとして扱ってゆく.
テーマを意識した眼で物事や自分を見ていくそれぞれの一月はどれも異なり多角的な視点と視座を形成することができる筈だ.                                     

 思考を深めるのかで新たな問が自ら生まれ,それに応えるべく更に思考することを繰り返す.  
恐らくこのような問いや仮説というものに対する絶対的な解、テストで満点が取れるような答え問いのは存在しないだろう.
1ヶ月たくさんの問いや仮説に触れ、仲間と対話した先に己の納得としての応えがあるのだろう. 

そもそも学問とは問うて学ぶことである。問いから全ては始まる。問いがなければ単純に学ぶだけの雑学になってしまう。
リベラジではたくさん問いを投げかけます。

あなたはどのようなキャストの変化やカーテンの色の変化、いきなり乱入するムーンウォークをする熊を発見するだろうか?
そんな応えをたくさん見つける旅を共にリベラジリアーツで


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