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「職場」を見に行く 第4回(全5回)

第4回 職場の果て

正午に家を出て、もう夕方になっていた。

「出勤」も終わりが近づき、短い時間でしたが、密度の高いかけがえのない体験ができたと思います。

と書くのはあまりにかんたんだ。

もともと嘘八百を並べるのに抵抗を感じない犯罪予備軍タイプだから、「出勤」を終えて自宅でパソコンに向かっているいま、今回の体験を通じて感じた「出勤」の有用性を家族や友人や職場の仲間に広めたいという気持ちでいっぱいだった。

職場。その9文字を改めて見つめる。

まず、2文字だな、と思う。

職、と来て、場、で結ぶ。その「場」とは、たとえば地図上の、物理的な位置という意味だろうか。あるいはアイデンティティを醸成するような、もっと広い意味を持つ概念だろうか。知らん。知らんけれど、いまわたしの心の中のグーグルで「職場」を検索すれば、おそらくヒットするのは、

▲ここだ

休むひまはない。最後までしっかりと「出勤」をやり遂げねばならない。一度も行ったことのない「職場」までの道のりに戻る。ゴールは目前だった。

▲目と鼻の先に「職場」が

光さす畑・フィナーレ

「出勤」を始めてからずっと「意味のないことをしている」と思っていた。《くだらない》という言葉はときに褒め言葉にもなるが、自分がしているのはその意味ではない、価値のないタイプのくだらないことだと思っていた。

しかしいざ「職場」を目前にして、恥ずかしいことに、心が高鳴っていた。そして、そんな恥ずかしさを感じている自分を含めることで、初めてくだらなさが完成するような気がした。つまり、《くだらない》はそれ単体であるのではなく、それに打ち込んでいる人を含んだ全体の構図じたいを言うのかもしれない、と。

ん~~~~~~?

いや、ちがうちがうちがう。

あぶない。なにかをどうかすると意味が生まれてしまうところだった。しっかりしろ。

改めて言えば、いまわたしは「出勤」をしているのだが、正直、グーグルマップ上のあるポイントに誤操作で立ててしまった「職場」というピンの位置まで行くことを「出勤」と呼ぶんでいる。狂気のふるまいだ。わかっている。そんなものに意味なんてないこともわかっている。意味なんかカッコなしの出勤にまかせておけばいいと思っている。

いまは、とにかく「出勤」に集中するしかない。

畑にいた人とは会話も交わさなかったし、遠目に見ただけだから性別も年齢もわからない。ジャージと思しき作業着につばの広い帽子と黒い長靴姿。その足元では、小ぶりな赤い耕運機が音を立てていた。

そういえば、すこし前(→前回)まで鳴っていたバイクのエンジン音はいつのまにか聞こえなくなっていた。耕運機のエンジン音はバイクのそれよりくぐもっている。畑一帯を見ると、白っぽく乾燥した表面のあちこちが湿って黒っぽくなっていて、おそらくその部分は、つい午前中に耕したばかりであろうと思えた。

なにを育てていたかも知らない、なんの縁もない畑が、またきょう新たに耕され、つぎの作物を迎え入れる準備を始めている。そんな節目のタイミングを迎えた畑に「出勤」をして立ち会えたことには、なにか運命のようなものを感じざる得なかった。

といえば嘘にならざる得なかった。

畑の人に話しかけるわけにもいかず、畑の脇の一般道に立ち尽くし、開墾の様子をただ見ていた。耕運機を動かすその人は「職場」の先輩にあたるのだろう。その先輩の写真はない。畑の写真もない。

▲代わりに、道中見かけたキャッチコピーの写真

(第5回 僕の存在証明 につづく)


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