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「職場」を見に行く 第3回(全5回)

第3回 だから僕はそれ(出勤)をするのさ

東村山駅とはちがい、ふだん本川越駅を利用することはまったくなかった。が、ややこしいことに数日前たまたま「つまずく本屋ホォル」という本屋を訪れるために利用したばかりでもあった(そのへんのことは前回書きました)。

「ホォル」店主との短い会話を思い出す。

店主「きょうはなにかのついでに?」
今田「いや、この店ねらいうちで来ました」
店主「ありがとうございます~」
今田「あんまり《ついで》は無いですね、このへんには」
店主「ちょっと遠いですか?」
今田「ですね(笑) や、でもまた来ます」
店主「ぜひぜひ」
今田「ぜったい来ますね!」

で、それから数日後、また本川越駅に行ったことになる。風情に欠けたふるまいかもしれない。

でもまあ、たしかにその日、本川越を訪れたのはなにかの「ついで」ではなかった。「職場」に向かう途上だったのだから。

むろん、(これも前回までに書いた通り)ここで言う「職場」はわたしの職場ではない。それは、わたしが誤ってグーグルマップ上(しかも見ず知らずの畑)に立てたピンのことだ。当然、そんなところに行くことを「出勤」とは呼ばない。

いや、はたしてそうだろうか。

人はほんとうに、職場ではないところに出勤してはいけないのだろうか?

これはフリーランスがどうとかノマドがどうとかいう話ではない。もっと根本からすっとぼけた、出勤ってなに? 職場ってなんですか? というあどけなくかわいらしい態度だ。

本川越駅からバスに乗る。職場でもなんでもないところに複数の交通手段を乗り継いで「出勤」する行為。なにをしているんだ、おれは。

▲「東武バスウエスト」の表記に矛盾をおぼえる

からだが「出勤」していく

バスに揺られながらずっとグーグルマップで自分の現在地表示を追っていた。ゆっくりおおまかに正しい方向に向かっていく、自分という一点。

「正しい」?

しっかりしろ。職場でもなんでもない知らない畑への「出勤」が正しいわけがない。すべてまちがっている。自分のまちがいを、まちがいであると自覚したまま、まちがい続ける。それが真にまちがった態度だ。わたしはずっとなにを言っているのだ。

バスの乗客には和装の女性がやたらと多かった。

と、女性らはみな同じ停留所で降りた。残された者たちはてんでバラバラの服装で、わたしなどは短パン姿だった。初めて行く「職場」に短パンはまずかろうとも思ったが、「職場」はべつにわたしの職場ではないので、実際はなにも思ってはいなかった。

どうでもいいんだ、なにもかも。出勤ではなく「出勤」だし、職場ではなく「職場」だし。むろん、だからなんだと訊かれても答えられることなどなにもない。ひたすらなにもない。

待てよ。いっそビジネススーツに身を包み、虚構としての「出勤」を押し出す寺山修司風インスタレーションを………または「ありふれ」を対象化したデイリーポータルZ的アプローチを………いや、まあ、要らないか、べつにそういうのは、なんか。

いまは「出勤」に集中するしかない。

このとき、わたしはまだなにも知らなかった。「出勤」とはなにか。「職場」とはなんなのか。はっきりしていることはひとつだった。

「職場」に着くまでが「出勤」である。

ふたたび、バスが動き出した。

和装の女性たちが降りた窓の外には寺があった。イベントでもあったのだろうか。時間が許せば降車してたしかめもしたが、あいにくこちらは「出勤」中の身だ。たとえこれから向かう「職場」がわたしの職場ではなくても、「出勤」中である限り、体調が悪くもないのに途中下車はできなかった。

バスが終点に着いた。

ん? 到着にはまだ早すぎる。それもそのはず、案内を見ると、そのバスの運行ルートはもともと「職場」までは届かないものだった。カートを押す老婆に続いて降りるとそこは、

▲埼玉医科大学総合医療センター

初めて来たわたしにもすぐにわかるほど、埼玉医科大学総合医療センターだった。ここに来よう!と思ってここに来たのではなかったが、これもまた「職場」までのいち通過点、成長するためのチャンスである。立ち尽くす私の横を、ロータリーを一周したバスが通り過ぎ、来た道をまた戻っていく。排気に夏の匂いがした。

さあ、ここからは歩くのだ。自分の足で。

映画『ゾンビ』や『少林サッカー』のような青空のもと、ふたたびグーグルマップを見る。最終目的地の「職場」までそれほど距離はないように見えた。

歩きだすとすぐ、

▲埼玉医科大学総合医療センター外来患者用駐車場

と称する怪しげなスペースが現れた。周囲には以前行ったことのある(同じ埼玉の)所沢のあたりに似た印象を感じた。渋谷や新宿とはちがうが、ストレートに「田舎」というわけでもない。徒歩による疲労感に「出勤」の実感を得つつ、歩みを進める。

知らないところを歩く(出勤する)

▲かつては有料ではなかった
▲埼玉の信号機は錆びがち(問題発言)
▲『いろはに千鳥』で流れるCMでよく観る
▲麦? やたらと目にした風景

歩いては立ち止まりグーグルマップを開く。なぜだろう。すごく疲れる。歩いても歩いても進んでいない気がする。「出社拒否」の症状か。あるいは道にカーブが少なく障害物もないため遠くの対象物まで見え、遠近感をうまくとれなくなっていたのか。

ともかく、暑い。初の「出勤」にふさわしくないのでは?と危惧した短パンだったが、あぶね~、短パンでよかった~。まじ(短パンのある)地球に生まれてよかった~、と思った。

やがてあたりにいよいよ田畑が目立ち始め、さすがに「田舎」感が漂いだす。田舎らしい草の青い匂いが………それにしてもこの音はなんだろう。

ずっと、暴走族のような、複数台のバイクを空ぶかしするのに似た音が聞こえていた。埼玉医科大学総合医療センターの駐車場を出てからずっとだ。すでに一時間近く続いていた。

のどかな田畑という「視覚」と、暴走族のバイクのような音という「聴覚」のミスマッチにくらくらしてきた。なんだこの酩酊感は。くらくらしてわからない。どうして自分は歩いているんでしょうか。ゴールデンウィークのこんな暑い日に。ジーダブリューのこんな暑い日に。暑いよ。

もうなにもわからない。「なにもわからない」の境地にピンを立てるときが来たのかもしれないが、それがどういう意味なのかもわからない。当然、この記事にも「わかり」などない。歩いているわたしにも、この記事を書いているわたしにも、いま、なにもわからないのだ。

「職場」とはなんだ。「出勤」とはなんだ。

この日、最高気温は三十度を超えていたようだ。あるいは、「徒歩」「暑さ」「バイクのような音」この3つがそろったストレス蓄積行為こそが「出勤」の正体なのかもしれない。

と、そこで川にさしかかった。グーグルマップではその川を渡ると「職場」までほんとうにあと一息だった(ほんとうに?)。バイクのような音はさらに大きくなってくる。

▲青空に青板で入間川
▲ひたすらまっすぐな橋を渡って、対岸に

と、橋の対岸が見えてきたあたりでいきなり、音の正体がわかった。あまりにあっけない、あたりまえすぎる幕切れ。

▲オフロードバイクの練習コースが登場

バイクみたいな音がするな~と思っていたら、バイクだった。人生で初めての経験。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉があるが、幽霊の正体が枯れ尾花ではなくやっぱり幽霊だった。むきだしのあたりまえさの衝撃。

ここで突然わたしの好きな話を書きますが、かつて日本に黒船がやってきたとき、江戸の人々はその想定外のでかさに「船である」と認識できず、その意味で「見えなかった」と言いますな。自分の知覚の上限を上回るほどのデカ現実。「職場」にも同じことが言えるのかもしれませんな。

つまり、職場がたたえる労働というでかすぎる現実はふつうの人間には見えないのではないか。みんなが見えているつもりのその労働、ほんとうに労働ですか。もしかして労働ではないほかのなにかだったりはしませんか。

わたしはいま、なんの話をしていますか。

とにかく暑かった。しかし、まだまだ出勤は続くのだ。あたりまえだ。なんせ、「職場」に着くまでが「出勤」である。

(第4回 職場の果て につづく)

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