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毎年ほぼ欠かさず罹患する病といったら、インフルエンツァでも武漢病原体でもない。大型連休が終わり、今後しばらく祝日なしと絶望する朝ぼらけに突然やってくる、そう「五月病」である。 身も心も泥のように重たくて、どこにも行きたくないし何もしたくない。ひどいときは抑鬱症状にまで発展してしまう、あれだ。 ストレスから自律神経の働きが鈍る、日照時間が減ることでセロトニンが分泌されづらくなる、という二点が病理という。これは年を取ったらひしひし身に沁みるようになった「季節の変わり目」
7月下旬といえば、だいたいの大学が前期試験期間である。ここでしくじったら4月からの半期15週がまるまる水の泡となるから、熱帯夜も線状降水帯もお構いなしで誰もが血眼となる。 しかし学業ばかりにかまけてもいられぬ。部活、サークル、合コン、くっちゃべり、バイト、居酒屋、デート等々、「ニューノーマル」なるバカっぽいカタカナ語の占領下とて青春を謳歌したいものだろう。 そこで伝家の宝刀「いいわけ」の出番となる。 毎週マーキングかのように最後列にダボダボの尻を着けてApexに
ひまができたので、多摩動物公園を訪った。めあては園内マップ最北端のオオカミだ。実家で柴犬と暮らしていたこともあり、かねてより会ってみたかった。 閉園まであと一時間、季節外れの暑気で汗だくになりながら早足で坂をふうふう登る。野面の階段を上がったら、いよいよ看板が見えてきた。 「ガシャガシャガシャガシャ」 とたん耳ざわりな音がした。看板の矢印の先に洞穴みたいな下り坂が伸びている、その奥からだ。 「ガシャガシャ──」 急き立てられるように順路を抜けたら、やんだ。人
言わずと知れた『シートン動物記』の一編で、北米カランパ渓谷に棲むオオカミの首領「ロボ」の生き様を描いた感動作、という美辞麗句を取っ払ってみれば、なんのことはないただのプロパガンダである。 作者アーネスト・シートンはイギリス出身で、動物に関する専門教育を受けていない、王立協会(ものすごい権威)の奨学金を得たほど有望な画学生だった。本人も「アーティスト」と自称していた。 成人してから父親との仲違いにより渡米し、野生動物の観察記録をつけだした。それをまとめたのが『動物記』
お母さんにおつかいを頼まれたけど外は雨、濡れたくないし危険な目にも遭いたくないから備えあれば憂いなし、でもそれも行き過ぎたら──という絵本の醍醐味が詰まった名作である。 物騒な昨今、特に都会では滅多に見聞きしなくなった「子供のおつかい」である。本作は1970年代のものだから、珠のようにかわいい幼稚園生くらいの女の子がお母さんに申しつけられる。 足もと悪いし髪も乱れる悪天候で外出なんて、大人であっても億劫なものだ。「でも、でも」となんやかんや言い訳するも、 雨具や
雨の夜に出会ったヤギの「メイ」とオオカミ「ガブ」の友情を描いた傑作『あらしのよるに』シリーズ、その番外編である。もしかしたら本編より好きかもしれない。 かつてガブは温かい両親のもとで幸せに暮らしていた。だが群れを治める偉大な父ガルルを亡くすと状況は一変、優しかった母は厳しくなる。 ある日ガブは親友グルリのところへ遊びに行く。するとふたりの上下関係を決めるためケンカをしろと嗾けられる。親友の泣きっ面を見たくないガブはわざと負ける。その結果、仲間うちで一番の下っ端とされ
大切な植物事典が傷んでしまったので「製本屋」を探しに出る女の子ソフィーの物語である。 パリの朝、くすんだ空と人気の絶えた描写に「冬」を感じる。植物をめぐる話なのに青空も太陽も出てこないぶん、よけいに寒々しい。 だからこそ仕事にかかるおじ(い)さんの手もとを照らす暖色や、仕上がった装丁の緑や茶色が温かい。水彩ならではの明暗法か。 出会うまでの二人は見開きページの左右別々に描かれている。駆け回る方には独白が添えられているが、仕事場へ向かう方は無言だ。 家を出て、