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【読書感想】答えのない世界を生きる

私たちが生きる理由はなんだろうか。

そこに正解があるとしたら、なんだろうか。

世界から答えが消え去った。「答えのない世界」とは近代のことである。

遺伝子レベルで「生」を操作することができてしまい、過去にはできなかったことが技術によって可能になる今、「正しさ」とは何か?の根拠がゆるぎつつある。


でも、正解を求めることに何の意味があるだろうか?

という疑問を投げかけるのが本書

「答えのない世界を生きる」

です。


全体の中で問われているのは、「自分の頭で考える力」でした。


私たち日本人は個性がない、と言われる。だから個性がある人にみんな惹かれていく。異端児に惹かれて憧れる。そうするとその人の真似をした独創的な人が街に溢れる。結局だれも独創的にはなれていない。

みんなと違う異端児が褒めそやされる。じゃあ、犯罪者は?不倫をした人は?
その人たちは社会的に猛バッシングを受けるけれども、その人たちも異端の一人だとしたら?

犯罪も、不倫も、辿っていけば人間が「悪」と「決めた」もの。
ナチスドイツも中世の宗教裁判も、元々は本気で正しい世界をつくろうとしたという事実があるとすれば、その「悪」の基準はどこから来るのだろうか。

社会を良くしようという意識さえも問題で、「絶対にこれが正しい」というものを人間が決めようとすることが悪を作り出すこともある。

それから出てきたのが

今日の異端者は明日の救世主かもしれない

という言葉。

常識は常に疑っていかなければならない。


問い続けること。
その正しさを。
その正義を。

そしてその悪を。


少々この問いは哲学的だと思います。

ただそれだけ、現代の私たちには自分の頭で考えるということが必要、ということなのでしょう。


私自身は大学では「文芸学部ヨーロッパ文化学科」というところを卒業しており、語学は第一がフランス語専攻、第二がドイツ語。主にヨーロッパ全体の文化や歴史などを四年間に渡って勉強していました。

その知識が卒業してから実生活の役に立っているとは到底思えなくて、せっかく親が大学まで行かせてくれたのだから、もっと身になることを学べばよかったと、うっすら今まで思ってきたりもしたものでした。

著者も文の中で「文科系学問は実生活の中でほとんど役に立たない」とはっきりおっしゃっています。

でもそれは悲観論ではない。人間の世界は謎ばかりだ。それなのに性急な答えを無理に求めると、問いが小さくなってしまう。(中略)だが、人間の姿が見えないのに、答えがわかるはずがない。答えをすぐ探そうとするものは現実を正視しない。知らず知らずに根本的な問題から逃げている。
大切なのは、答えよりも問いである。化学でも哲学でも、常識と距離を取ることが最も重要だ。だが、それが一番難しい。
p47


大切なのは問い続けること。今までの常識を疑い、壊し、再構築するところからしか新しいものは生まれない。


大学で学ぶ最も大切なことは1つしかない。「考えることの意味を問い直す」これだけだ。(中略)どの学部の知識も、それ自体は役に立たない。それよりも、考えることの意味を知ることが重要だ。p143


実はこの本を読むきっかけになったのは元ライフネット生命の出口治明氏が紹介されていたのがきっかけだったのですが、あるセミナーの中で慶應大学の学生さんにこの本をお勧めされていました。

そして、こうおっしゃっています。

「世の中の技術的な進歩は、ものすごく速いので、今企業に役に立つような実学的なことは、今勉強したとしても、卒業したころには、もう役に立たなくなっているのです。すぐに役に立つものはすぐに陳腐化するので、だから考える力というのはクラシック、つまり古典を勉強しなければいけない。実学的な本を読む暇があったら、プラトンとかキリスト教の歴史とかイスラムの世界のことを勉強するほうが、100倍人生の役に立つと思います。」https://logmi.jp/business/articles/320353

つまり

「実生活に役にたつかどうか」「答えが手に入るかどうか」

それは重要ではなく、考える力があるかどうか、ということなのです。


私たちは私たちが決めた常識や法律の中で生きていて、それが当たり前だと思い込んでいる。でもそこから脱却して考えることが大切で

「正しい答えが存在しないから、正しい世界の姿が絶対にわからないからこそ、人間社会のあり方を問い続けなければならない」p140

結局、正しい世界はなにか?という答えは存在しない。


著者の小坂井敏晶さんは、若い頃にアルジェリアに渡ってそこからフランスに住むことになり、今はフランスの大学で社会心理学の准教授を務めていらっしゃいます。

それまでのいきさつと人生の3分の2をすでに海外で生活しているという、「異邦人」としての観点からの考察もこの本の第4章以降で触れています。

文章のなかで語っているのは大学という組織の中での苦悩、研究者としての悩みも多い。

あの世で坂本龍馬にあって
「おぬし、娑婆(シャバ)では何をしてきた」
と尋ねられた時に
「へい、国家公務員を少々」
とは、とてもじゃないが恥ずかしくて答えられない。
p258

この言葉はもちろん、国家公務員という存在を否定しているのではなくて

この世で何を成したかと問われた時に「成すべきことを成さなかった」という後悔をしたくない、という思いの表れなのだと思います。

答えがないからこそ、何かに追従していた方が生きやすく、迷いも少ない。

ただ「何のためにこの人生を生きてきたのか」というところに立ち返ると、社会心理学者としてフランスの学会と折り合いをつけつつも、自分の信念を貫き、問い続けようという筆者の心の葛藤と努力が垣間見えます。

早稲田大学を中退してアルジェリアに渡りそれから十年間フランスで学んでフランスの大学の教授となり・・・日本人としては「異端」の存在であるからこそ、「そちら側」からみた視座が私たちに違った観点から考える機会をくれるのだと思います。


個人的にフランスに一時期に深く傾倒した身からすると、時に痛烈とも言えるフランスの学会批判は興味深く読みましたし、一見行き当たりばったりともとれるけれども、その時その時に努力して自分の人生を切り開いてきた、そう言った姿勢が読み手の共感を呼び、引き込むのだと思います。

ある程度ボリュームがあるのですぐに手軽に読める、とまではいきません。

私も何日かかけて読み、何度か読み返しました。

でも、そのくらい読むに値する本なのだと思います。


「この世界に正解がないとしたら、じゃああなたはどう考えるのか」

それを強烈に問われる本です。

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