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大親友のお墓参りへ。亡くなった日の不思議な出来事。

今日から10月ですね。
今日は、18年前に亡くなった大親友のお墓参りに
上田まで行ってきました。
もう18年もたったんだなあ、、。
毎年、この時期はお墓参りに行っています。
朝、乗った新幹線が、、なんと! 555号!
ラッキーな日になる予感!
そして、10月は、GOGOGO!

555号で長野へ



18年前の9月12日でした。突然の事故で。
翌日にご主人から連絡をもらい、何を言われているのか
一瞬わからないくらい、、、もう茫然!でした。
私は、彼女が亡くなった翌年に、旦那と遊びに行くはずでした。
ようやく、、ようやく、本当にようやくです。
私たちの長年の夢「家族ぐるみでおつきあい」がもうすぐ叶う!
はずでした、、。

彼女は早くに結婚して、ご主人が転勤族でしたので
手紙のやりとりのみで、ようやく長野に永住の地を見つけ
近くなったので、いつでも逢えると思っていました、、。

亡くなった年の年賀状で、「お話したいことがあります」
それだけ書かれていた年賀状。気になって電話して
彼女は、全く自己主張をしない子でしたが、その時に限って
「旦那さんに、私のことちゃんと説明しておいてよ」って
珍しいなあと思いながら、来年遊びに行くね~と電話をきって
それきり、、。涙

彼女と知り合ったのは、小学5年生の時でした。
歌が大好きだった私は、小学校の音楽の先生から
同じ区内ですが、電車に乗って行く小学校だけど
音楽の先生が合唱団をやっているからということで
紹介されて逢いに行きました。

私だけ違う小学校の子でしたが、先生は受け入れてくれました。
そして、同じパートになった彼女とどんどん親しくなり
レッスンの帰り道は、いつもずっと話し込んで、彼女の家に行ったり
私は、家に帰りたくない!
合唱団のレッスンの日が楽しくて楽しくて。
彼女は、いつも笑顔でした。
男の子にいたずらされても怒った顔をみたことがないです。
「こら~、もう~」と笑顔で。
彼女と話していると、家の嫌なことは忘れてしまうくらいでした。
合唱団で合宿があると、もう嬉しくて。一緒にいられるね~って。
バスで遠征のときは、仲良すぎて先生に怒られるくらいでした。笑
そんな小学時代から、中学3年で転校することになった私は
合唱団にもそんなに通えなくなり、高校卒業してからたまに会うことに。
彼女は看護学校に通い、手紙や写真、テープを送ってくれたり
とにかくまめな人でした。
看護師になるべくしてなったような、本当に天使のような人でした。

彼女との想い出は、書き綴れないくらいたくさんあります。
書いていると涙がでてきます。
唯一といっても言いくらい、私のことをよーく知っている人でした。
良くも悪くも、すべてを「笑顔」で受け入れてくれていた人でした。

亡くなった日、9月12日。あの日の夕方に不思議なことが起こりました。
珍しく暑い日でしたので、カーテンを洗濯してカーテンレールに
かけていた時のこと、脚立に乗っていた私は、後ろに倒れそうになって
下には、木のテーブルがあったので、うわ!死ぬかも?なんてよぎりました。
が、、不思議に、そーーっと背中を押されたような感じで起き上がり
無事だったのです。不思議なことがあるもんだなあと思っていました。
その翌日に、ご主人から電話があり、、お通夜に行ったときに
お話を聴いたら、9月12日の17時くらいに亡くなったと。。
彼女は、亡くなる前に、私を助けにきてくれたんだと思いました。
もう、号泣です。
彼女は、最後まで、私を助けてくれたんだと。。

逢いたくて、逢いたくて、、。


一生感謝しても感謝しきれないくらい大切な人です。
亡くなってから、思った事は、いつでも逢えると思っては
いけないんだなあと。
逢いたい人には、時間をちゃんと作って逢いに行かなきゃと。
逢いに行けた距離だったのに、、。日帰りできる距離だったのに。。
後悔ばかり残ります。

毎年行ってるお墓参りは、旦那もつきあってくれます。
ありがたいことです。年に一度、逢いたいから逢いに行きます。
今年は、はじめて、お墓に「かえる」がいました。笑
「かえる」になって、逢いにきてくれたのかなあ?
また来年ね~。

今日は、帰りに真田神社にお参りに行きました。
大兜が!

大兜

これからの半年。私も勝負の時を迎えるので祈ってきました。
そして、自宅について、パソコンのメールを開いたら、、
なんと!なんと!なんとーーーー!びっくりなメールが入っていました。
この続きは、また明日に。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。






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