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明日への逃避行 1話「Lovers sing⑤」

フラワーロード付近、神戸国際会館の裏手に位置する少し奥まった場所にカフェ『river』はあった。
木戸詩織がアルバイトをしていると言う店だ。先程彼女がアパートに帰って来るのを見ているため、店にいない事は分かっている。摂津本山のアパートからここに辿り着くまで、和樹は「彼女の素性調査も探偵の仕事」と3回は口にしている。3回も言うという事は自分への言い訳なのだろう。
 翔はメニュー表を見ながら悩んでいた。
「どっちにしよかな~。」
普段ならコーヒーを頼むが、今日はこの暑さの中を歩き回ったのでジンジャーエールやブラッドオレンジジュースに惹かれる。しかし、コーヒーならプラス500円でケーキセットが付くらしい。翔は意外と甘党なのだ。
「まだか?」
和樹は露骨にダルそうな声を出した。頬杖を付いているせいで、元々細い目が右目だけ更に細く伸びている。
「まだそんなに経ってへんやろ。」
「男は注文に10秒かけたらあかんねん。」
また始まった。和樹は妙なこだわりや思想があり、「男はリュックを背負わない。」「歩きスマホはROCKじゃない。」などは散々聞かされた。ただこれも彼の中で流行りがあるようで、旬が過ぎるとパッタリと言わなくなる。最近は「男ならメニュー表など見るな。」が流行りだ。
「その日によって気分とかあるやろ。」
「毎日同じモンを飲むんが男や。何でもいいから毎日同じ事をしろ。」
「はいはい、ショーケンね。」
「違うわ、優作が香川照之に言った言葉や。」
百回は聞いた興味のない話に翔はうんざりして聞いた。
「どうでもええけど。お前何にすんの?」
「コーヒー。」
メニュー表には豆の種類と味の特徴まで一言添えてある。これを見るだけでもコーヒーが美味いカフェだという気がする。やはりコーヒー+ケーキセットが優勢になってきた。
「ブレンドとかアメリカンとかキリマンジャロとか、アイスとかホットとか、ミルク有り無しとか。色々あんで。」
「コーヒーはコーヒーや。冷コー、それだけでええねん。」
「こないだはホット頼んでたやん。」
「今日は暑いから冷コーやろ。」
「毎日同じ事してやんけ。」
「教えに縛られへんのがROCKや。」
店員と目が合ったので翔は手を上げた。
「アイスコーヒー2つ。片方はケーキセットでお願いします。」
「いや、両方ともケーキセットで。」
和樹が翔の注文を訂正すると、店員は愛想よく返事をして去って行った。
「お前、メニュー覗き見たやろ。」
「お前が長いこと開いてるから見えただけや。」
和樹がこれ以上答えることはないとばかりに窓の外を見たので翔は逆に店内を見渡した。店内はさほど広くはないがカウンター席以外は全て窓に面しており開放的な雰囲気だ。カウンターもテーブルもウッド調のデザインだが椅子は深めの赤だから暗くなり過ぎないデザインである。何となくレトロな雰囲気を醸し出しているお洒落な店だった。
「洒落た店やな。」
「こんなところでバイトしてる奴なんかキャンパスライフ満喫してそうやけどな。なんでそんなしょうもない彼氏に捕まったんか。」
「さあな。彼氏がほんまに暴力男かどうかもまだ分らんし。詩織さんも普通にキャンパスライフをエンジョイしてるかもよ。」
話しているとさっきの店員がコーヒーとケーキを運んできた。思ったより大きなチーズケーキだったため頼んで正解だ。和樹はケーキが置かれた途端にフォークを持って一口運んだ。こういうやつだ。
「今日は詩織さんはいらっしゃらないんですか?」
翔は店員に尋ねた。店員も同じ大学生くらいだろう。木戸詩織とは仲が良くても不思議ではない。一応少しでも情報を引き出した方がいいだろう。
「今日はもう上がりましたよ~。お客さん、詩織ちゃんのお知り合いですか。」
翔が情報を引き出そうと切り出したのに、和樹はケーキに夢中だ。少し頭に来た翔は大胆に行くことにした。
「友達の彼女なんすよー。この店で働いてるって健吾言うてたから。」
な!と相槌をもとめられた和樹はビクッとしてああとかまあとか中途半端な返事をした。
ふと見ると、愛想のよかった店員の表情は明らかに曇っていた。「あ、そうですか」と小さく返事をしてカウンターへ引っ込んでしまった。
和樹が抗議の目で睨んだが、翔は気にも留めずケーキに手を付け始めた。翔はもうほとんど無くなっている。
視線を感じてカウンターの方を見るとさっきの店員ともう一人、同じくらいの年の女性店員がこちらをチラと窺いながら何やら話している。翔と目が合って何食わぬ顔で仕事に戻って行った。
居心地の悪さを感じ、翔は口にケーキを詰め込んだ。味などもうどうでも良い。お互い無言のままケーキを食べ終えてコーヒーで流し込むと、二人で席を立った。レジの前に立ったらさっきと同じ店員が仏頂面で応対してきた。最初とはかなり態度が違う。会計を別でとは言いづらく、とりあえず翔が全額払った。

店の外に出ると、翔は笑いながら言った。
「いや、めっちゃ嫌な雰囲気やん!!」
「誰のせいや!お前のせいで、コーヒーもケーキも全く味分からんかったわ!」
「すまんすまん、一応聞き込みはできたやろ。」
「強引過ぎるわ!俺が丁寧に自然な流れで情報引き出そうとしたのに、お前は!」
「どこがや!ケーキ食って帰ろうとしてただけやろ!」
和樹が言い返そうとすると同時にスマホが鳴った。
和樹はLINEを確認すると少し落ち着いた声で言った。
「翔吉さん、行こ。信哉に合流する。」
「何でや、アイツがこっちに合流するんちゃうかったか?」
「緊急事態やと。とりあえず行こう。」
そう言うと二人で駅に向かって歩き始めた。

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