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明日への逃避行 1話「Lovers sing②」

和樹は翔と一緒に溜まり場を出た。外に出た途端に途方もない暑さで目が眩む。見るからに熱そうな手すりは触らずに階段を下りていく。
「こないだ配信でブラック観てたんやけどさ。」
「ブラック?」
「仮面ライダー。」
「古っ。」
和樹は映画や音楽の趣味が総じて古い。そのせいか昔からクラスで友達ができにくいタイプだったが、大学で信哉と出会って初めて音楽の話で盛り上がった。信哉の母親は若い頃44マグナムの追っかけだったらしく、その影響で信哉の聴く音楽も80年代の曲が多い。和樹と信哉が古い話題で盛り上がり、翔は適当な相槌を打つというのがいつもの光景だ。
「こないだ見た回で敵が人口太陽って兵器を作るねん。熱で人類を滅ぼそうって計画でな。ブラックが阻止するんやけど。」
「そういうのは大体ヒーローが止めてくれる。」
「そらそうや。でもその兵器の温度が38度って言っててん。」
「人類を滅ぼすための?」
「そう。」
仮面ライダーブラックRXが放送されたのは平成元年、鉄平があのゲーセンを始めた頃だろう。当時はゲーセンの軒先に格闘ゲームを出していたと言っていた。今そんなことをしたら暑さで筐体が壊れる気がする。そもそもこの炎天下の中、軒先で格闘ゲームをやる奴はいないだろう。
「人類滅びるかもな。」
翔はダルそうな声で言いつつ自転車に跨った。
「そやな。」
「頑張れ、仮面ライダーブラック。」
そう言って二人はコンビニに向かって自転車を漕ぎ始めた。

コンビニに着くと快適さを極めた冷気が体に沁みた。昨今の電気代の高騰で節約が推奨されているが、流石にこの暑さでは根負けする。二人はアイスのコーナーに立ち、アイスを選ぶふりをしながら熱のこもった体を冷ますことにした。これも熱中症対策だから大目に見てほしい。
「夏休みこのまま終わるのもおもんないな。」
不意にに和樹は言った。前期の最終試験が終わって夏休みになったのが7月の半ばだったからもうすぐ1か月近く過ぎることになる。夏休みらしいことは何一つしていない。
「ああ。紗枝と海でも行こうかな。」
翔は3人の中で唯一彼女がいる。和樹や信哉といる時は基本的に落ち着いているが、普段はお調子者を演じることが多いらしい。学部の先輩や同回生にも気に入られており、今の彼女も同じ学部の子のようだ。
「彼女おる奴はこれやから…。」
和樹がしたいのは海や花火やバーベキューのような一般的な大学生の夏休みの過ごし方ではない。立ち上げてから1度しかできていないサークルとしての活動がしたいのだ。
「ええ加減サークルの活動ちゃんとしたいやん。」
「1回やったやろ。」
3人が立ち上げたサークルの名前は『神戸探偵サークル』という。活動内容はその名の通り探偵活動だ。探偵物語や傷だらけの天使みたいな探偵モノに憧れがあった和樹が信哉と翔を誘って作ったサークルである。大学生が集まって探偵活動をするなどという荒唐無稽なサークルのため、もちろん大学からは非公認だ。
「あんなもん活動したうちに入らんわ!」
「でもまあ感謝されたやんか。」
サークルを立ち上げてすぐの頃、猫探しの依頼が舞い込んだ。鉄平が、近所に住んでいる婆さんが飼い猫が逃げて困ってるから探偵ごっこついでに探してやれと言ってきたのだ。初めての依頼が迷い猫の捜索なんて和樹は気乗りしなかったが、ゲーセンの2階をタダで貸してもらってる為断れなかった。引き受けた以上は真剣に探したがそんな簡単に見つかるわけもなく、結局1週間経って勝手に戻ってきたのだ。探してくれたお礼に、と婆さんから黄金糖を1つずつ渡されたので、報酬が黄金やぞ!と3人でおどけた。そうして神戸探偵サークルの最初の活動は非常に甘ったるい物になったのだ。
「猫探しとかじゃなくてさあ、もっとパッとする依頼ないんかな~。」
「パッとする依頼ってなんや。」
「せめて浮気調査とか。」
「浮気調査がパッとするんかよ。」
「尾行とか張り込みとかできるやん。」
和樹はとにかく探偵らしい事がしたいのだ。形から入るタイプだから工藤ちゃんスタイルのハットをいつも被っている。
「尾行って、お前らとラブホなんか入りたないぞ。」
「中まで入るかい。外で張り込むんや、出てくるところをカメラに収める。」
「休憩でも2,3時間やろ。こんな暑い中で待たされたら、その浮気男ぶん殴ってまうわ。」
「それはそれでええぞ。やっぱり浮気してました~って顔に青あざ作った男を依頼人に引き渡すねん。かっこええやんか。」
妄想の探偵活動が終わったところで二人ともアイスを選んだ。和樹はガリガリ君ソーダ味で翔はモナ王だ。
コンビニを出てまた灼熱の外気を浴びると、たまらず二人はアイスの袋を開けた。少しでも体温を下げようとアイスに貪りついてから翔が先に自転車に跨った。和樹はまだガリガリ君を齧っている。
「どうでもええけど、俺ガリガリ君って当たったことないわ。」
「ホンマにどうでもええわ。」
和樹や信哉といる時の翔は学部でのお調子者キャラがあまり出ない。これが翔の素なのだろう。しかし今日はいつも以上に塩対応だ。暑い日と朝早い時間は不機嫌になるというのも数か月の付き合いで何となく分かってきた。
「行くぞ。」
そう言って翔は先に自転車を漕ぎ始めた。和樹は何も書いていなかったガリガリ君の棒を捨てて追いかけるように自転車を漕ぎ始めた。

溜まり場に戻ると見覚えのない自転車が停まっていた。ゲーセンの客かと覗いてみたが特に客はいないようだ。和樹と翔は自分の自転車を停めて2階へ上がった。入口の前に立つと奥のソファに女性が座っているのが見えた。信哉と何やら話しているようだが、信哉はこちらに背を向けて座っているため和樹と翔には気が付いていない。
「あの、あちらの方々は?」
女性の方が先にこちらに気づき、信哉は振り返った。
「お前ら何してんねん、早よ入ってこい!」
「いや、お邪魔したら悪いから!!」
「やっとお前にも春が廻ってきたか、真夏やけど!!」
和樹と翔は口々にヒューヒュー的な冷やかしを言う。
「そんなんちゃうわ!依頼内容聞いてるとこやからお前らも聞け!」
「依頼?」
和樹と翔は顔を見合わせた。ワクワクする夏休みがようやく始まりそうだ。

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