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明日への逃避行 1話「Lovers sing③」

依頼人の名前は品川美咲。同じ岡本学園大学に通う大学生で、経済学部の2回生だった。淡い緑のワンピースにサンダル姿で決して派手な服装ではないが、それが目鼻立ちのはっきりした顔を際立たせている。身長も信哉より少し高いから170cm近くはあるだろう、誰がどう見ても美人である。
「要するに、そのお友達を彼氏と別れさせたいと?」
信哉は確認を促した。
彼女の依頼は友人を彼氏の暴力から守りたいというものだった。友人の名前は木戸詩織、同じく経済学部の2回生だ。美咲とは中学時代からの幼馴染で今の彼氏と付き合い始めたのは1年ほど前だったらしい。
「最初は気づかなかったんです。彼からも凄く大事にされてるって言ってたし、優しい人なんだと思ってました。」
「暴力を振るわれてると気づいたのはいつ頃?」
「半年くらい前です。以前は詩織とは毎日LINEをしてたんですけど、段々返信が少なくなって…。大学も休みがちになったから会う機会が減っちゃったんです。それで心配になって彼女の家に行ってみたんですけど…。」
美咲は言い淀み、膝の上に置いた手をきつく握った。
「部屋に入ったら割れたお皿が床に何枚も散らばってて…。詩織はそれを拾ってたんです。」
彼氏がFPSゲームに負けたタイミングで詩織が話しかけたため、苛立った彼が食器をぶちまけて家を出て行った直後だったという事らしい。
「別れるように説得はしたんですか?」
翔はいつもとは違う柔らかな声で尋ねた。
「もちろん言いました。でも詩織は昔から弱いところがあって、別れたがらないんです。いつも怒ってるわけじゃないから、たまたまだからって言うんですけど。私とあまり会いたがらないのも、彼氏が阻んでるだと思います。」
美咲は怒りが混ざった声色で続けた。
「詩織とは中学からずっと一緒だったんです。ずっと一緒にいるからあの子が今幸せかどうかも顔で分かるんです。昔から変な彼氏ばっかり選んでその度に傷ついて…。私がちゃんと側にいてあげなきゃ駄目なんです。このままじゃあの子絶対不幸になるんです。だから…お願いします!」
怒りと不安に苛まれた感情が爆発して、最後は嗚咽交じりに叫ぶような声で言い終えると、逃げるように部屋を後にした。部屋の外からもう一度、「とにかくお願いします!」と声がして、3人とも振り返って会釈を返した。

神戸探偵サークルにとって初めての本格的な依頼人が帰った後、3人はしばらく黙りこくっていた。信哉と和樹は俯き加減で、翔は少し上を見上げたまま蝉の鳴き声だけが鳴り響いている。
「この依頼どうする?」
口火を切ったのは翔だった。
「どうするって念願の依頼やろ。」
和樹にとっては待ちに待った探偵活動の始動だ。だがやはりその声は暗い。
「せっかくやし、受けたいとは思うけどな。」
信哉も言い淀みながら返事をする。
「せやけど、どうすんねん。暴力彼氏なんか刺激したら何するか分らんぞ。それにその友達は別れたくないんやろ。本人が別れたがってないのに、俺らに何ができんねん。」
翔が言うことはもっともだ。信哉も和樹もよく理解している。しかし、待ちに待った依頼人である。そして目の前で見た美人の涙に3人とも同様の違和感を感じていたのだ。
「とにかく一回、木戸詩織とその彼氏の家に行ってみよう。ホンマにDV受けてるんかどうかも分からへんわけやし。」
和樹は空気を断ち切るように手を叩いて言った。そうして神戸探偵サークルにとって初めての、正確には2回目の活動が始まったのである。

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