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INFJがなぜ比喩を使いたがるのか


こんにちは。
今回は、INFJ自身による「INFJがなぜ比喩を使いたがるのか」を考えてみたという話です。

比喩を使いたがる、というのはINFJの特徴のほんの一部とも思ってしまいそうですが、
なぜそうなのかを考えたときに、そこには普段はおとなしい(人が多い?)INFJの外からは見えない脳内世界と、その表現意欲が浮かび上がってきたため、このテーマを書こうと思いました。

ちなみに私ははどんな人なのかというと…
・リラックス時に16personalitiesINFJと出る
・MBTIの公式セッションで、最終的にINFJという自認に至った
そんなINFJです。


まず前提としてお話ししておきたいのが、この記事はINFJ自身がINFJについて語っているため、「INFJそのもの」というよりは自分のことを語っているという面が多いということです。
そのため、お読みいただいているご本人やその周りにいるINFJの方とは違うと感じる部分は多々あるかと思います。
そもそも比喩を使いたがらないINFJもいらっしゃると思います。

その点を踏まえて、あくまで参考程度にお楽しみいただければ幸いです。

私が考えるに、INFJが比喩を使いたがる理由はいくつかあります。
それぞれ関連性もあると思いますが、順番に説明していきます。
長いですが、下の方に行くにつれて重要度が上がって行くので、辛抱強くお付き合いいただけたらとっても嬉しいです…!




話したいことの角を取って丸い表現にしたいから

私は、基本的に人とぶつかり合いたくありません。

Jpp出版「MBTI®︎タイプ入門」のINFJの項目にもこう書かれています。

誰にでも思いやりや支持的な態度を示します

MBTI®︎タイプ入門

注意点は、思いやりを「示す」という点です。
心の底から思いやりがあるかどうかは、人それぞれだと思います笑。

私の場合、基本的に人に優しくはありたいですが、自分が一度こうと決めたことは自分の中ではあまり曲げられません。

そんな自分の信念から生じた強い考えを相手に伝えるとき、比喩を用いて角のない丸い表現にし、なるべく相手に受け入れてもらいやすくします

完全に角を取ることは難しいことも多く、自分の頭の中にあることを確実に全て伝えるよりは、比喩表現で一発笑いを取るなど強くイメージ付けすることで厳しさのぼやかしを優先してしまうこともよくあります。

そのためなんとも悔しいことに、伝えたはずのことを無視されたり「影響力がない」と評価されることも。
(当然その評価も人それぞれの見方でしかありませんが)

結構自分としてはきついことを言った気がしても「やっぱり優しいね」という言われることは多いです。

ちなみに話の角を取るために比喩を用いるのは比較的精神の安定している時に限られ、ストレスフルな時はストレートにぶつけてしまうこともあります。
(あくまで私の話であり、ストレートな発言の多いINFJの方全員がストレスを抱えているわけではないと思います。)


話したいことをそのまま話すのが恥ずかしいから

「お、おう… 深いね!(少し引く)」

普通に思ったことを話しただけなのに、周りからこういう反応をされて、「あれ?」と思うことは今までに何度もありました(´ . .̫ . `)

正直、周りの世間話にあんまりついていけなかったです。ついていくのにそれなりのエネルギーが必要だった、と表現した方が正しいかもしれません。

世間話のような表面的なことよりは、深く哲学的な思考が頭の半分以上を占めているのですね。自分がそういう変わった性質の持ち主だと気がついたのは、だいぶ大人になってから。

それまでは、割とどんな時も壮大で抽象的な言葉ばかり使っていたと思います。だってそれが本音でしたから…。今思うと「綺麗事」「真面目ちゃん」「よくわからん人」と影で囁かれていたとしてもおかしくないです(←被害妄想)。

恥ずかしい思いをたくさんした私は、それでも自分の内側で感じたことをなるべく表現できるように、比喩を使うようになりました。

そして意外とそれでわかってくれる人もたくさんいることに気がつきました!

ちなみにこれは読んでくださっている方にだいぶ高度な理解力を求める話になってしまうのですが…
比喩というものを広く捉えると、「似たようなテーマを話題に上げて、発言欲を満たす」こともしばしばあります。

例えば、あるマイナーな種類の占いにむちゃくちゃハマっている時期があるとします。そういう時って私は他のことをしていてももうその占いのことで頭がいっぱいで、人と世間話をする中でもつい話題に出しそうになってしまいます笑。

ですが、本当には出しません。なぜかというと私は一度ハマったものは知識をとことん深め、一般の人からしたら不気味なところまで思考を深めてしまうので、会話で恥ずかしい思いをする想定がつくからですw

そんな時、私はよくそのハマっていることと似たテーマで、一般の人にも通じるテーマを代わりに話題に出すことがあります。この場合、血液型占いとか、星座占いとか、誰でも知っているようなものです。

そしてそのテーマを借りることにより相手と会話を成立させる中で、自分がハマっているテーマで話したかった抽象的な話をうまく小出しにして、自分を満たすことがあります。

あたかも血液型占いの話がしたかったかのように相手には思われますが、自分の頭の中は全然違う世界にいる、という自分だけ不思議な感じになります。

もしこんなニッチな話に共感してくださる方がいたら…と思って書いてみました。混乱させてしまったら申し訳ないので、わからなければここはスルーでお願いします!


また、「恥ずかしい」と見出しに入れましたが、その気持ちは自分の性格を掘り下げ分析しているうちに今はだいぶ薄れてきました。
だって自分の一番自然な思考のあり方ですから。堂々とするしかありません。

こういう人種は分類上すでに確認されて一定数いる存在であり、全然恥ずかしがる必要はないと私は思います(` . .̫ . ´)!


話したいことが抽象的なことだから

さて、この章が私の一番話したいことになります。

すでに上の章で出ているのですが、私の頭の中は哲学的な思考でいっぱい、つまり本当に話題にしたいこと、重要だと思うことって、抽象的な概念が多いんですね。

先程と同書籍のINFJの「本来の姿」について書かれた部分です。

複雑なことや人間関係について、直観的に理解することに力を発揮し、「わかった!」という確信とともに得られる自分の洞察を信頼します。

MBTI®︎タイプ入門

私の解釈ですが、適当な「直感」ではなく、目に見えない本質的なものを読み取るような「直観」を働かせて物事を理解するということだと思っていて、実感もあります。それをする際、「今」目に見えていることのみならず、自分の中に蓄えられてきた経験や知識(だけではなく言語化できない・形にならないデータ全て←過去の直観?)を無意識に参照することにより、抽象的な解を得ている、その際すでにほぼ確信している、という感覚があります(ただ、それが絶対に正しいとは限りません)。

またその下、「周囲に与える印象」に、こう書かれています。

自分が「わかった!」と確信したことを相手に伝えようとするときには、比喩や複雑な表現を用います。

MBTI®︎タイプ入門

この、自分の中で「直観」を巡らせて得た解。抽象度によりますがとても「今」の現実的な会話の中で説明できるようなものでなかったりします笑。でも、ほぼほぼ確信した強い答え。自分の中に留まらせず言いたいときだってあります。

そんなとき、INFJは比喩を使うことがあるのだと思います。
(ときには「今」の熱りが冷めた頃に。満を辞して。)
というか、比喩を使うしかない場面が、多々あるのではないかと思います。

ちなみにこのような思考の動きはMBTIの心理機能「内向直観」で説明されることかと思います。以下は同じJpp出版の書籍からの引用です。

内向直観タイプの人は、…(中略)…ものごとを解釈するための色々な理論やモデルに興味をもち、古い理論を組み合わせたり改造したりして、新しい考えの解釈ができるようにする。

MBTI®︎へのいざない

(内向直観は、INFJ・INTJの主機能とされています。)

「色々な理論やモデルに興味を持ち」とありますが、つまりは様々な事象に通づる共通点探しを頭の中で無意識に行なっているとも言えるのではないかと考えます。

そしてそもそも比喩とは辞書で調べると…

物事の説明や描写に、ある共通点に着目した他の物事を借りて表現すること。たとえること。その表現。

Oxford Languages

ということで、見出した共通点という抽象的なものを表現し、人に伝えるための道具が比喩である、、と考えると、まさに比喩というものは私たちのために作られた表現方法なのではないかとすら思ってしまいます。ありがたや。。


また、比喩を使うメリットとして「その場で伝えたいこと以外のこともふわっと伝えることができる」というのもあると思います。

比喩を使うとき、伝えたい根本のメッセージだけでなく、借りてきた例え話の世界観そのものもまた、自分の大切にしたい世界観と繋がっている、という場合が私はよくあります。

「今」だけでなく時間軸を超えて思考を巡らせ、かつ言いたいことをその場ですぐ言わないINFJは、自分が得た、世界や人生という壮大なテーマに対する本質的な考えを自分の中に溜め込んでいる傾向にあると思います。

そのため、満を辞して表現可能となった場面で比喩を使うことにより、その本質的な考えを比喩の世界観に交えてさりげなく表現している気がします。

INFJが詩的な表現をよくする、とネットで言われることがあるのは、このことも理由の一つではないかと思います。

INFJの人が比喩を使うとき、たまに、まるで音楽が奏でられているかのように、芯となるメロディラインとそれを包むその他の装飾音が複合的に織りなす立体的な「作品」のようなものを、私は感じることがあります。

余談になりますが、このような詩的な表現や抽象的な概念の共有は現実での会話にそぐわないことが多いため、INFJにはTwitterやnoteのような自分のタイミングで伝えたいことを伝えられる場があると楽になる人は多いのではないかと思います。


「比喩で話しても通じる」と安心感を得た場面だから

最後の章では、INFJが比喩を使う理由というよりも、実際に比喩を安心して使っている場面について考えたことをお話ししようと思います。

こういうことは私にとっては少ないですが、たまに比喩だけを使ったような、とても心地の良い会話ができることがあります。
(おそらく相手もINFJか、似たような性質の持ち主か、そうではないけどとても良い理解者なのだと思います。)

それはどんな会話かというと、比喩に比喩で返し、比喩の世界観のまま平和に継続し、一緒に抽象的な答えを見つけ出すような会話です。

多くの場合、その比喩の世界に具体的な設定を持ち出したりせず(笑いを取るために冗談でいうことはあるかもしれませんが)、「それって具体的にどういうこと?」などというツッコミもありません(その会話の目的のために必要ないからです)。

比喩なので、実は、序盤はお互いに本当に伝えたいことは明確にはわかりません。でも、抽象的なことを伝えようとしていることはなんとなく感じ取れるので、同じ抽象度で会話が続くように工夫してメッセージを探り合う、そんなやり方をしているのだと思います。

この会話方法にあまり馴染みがないタイプの人がはたから聞いたら、「なんかスピリチュアルな話してる😱」と思われてしまうこともあるかもしれません。

でも、安心してください。たとえ「未来がわかる」とか「人の心が読める」とか言ってても、それは本来複雑な頭の中の働きを簡潔に表現しただけの、ただの比喩です笑。

(とお伝えしたいと共に、たまにうっかりそういう比喩を適さない場面で使って相手を混乱させてしまうこともあるので、そういう面でコミュニケーションはしっかり学んでいきたいなと思っています。)

少なくとも私は、全ての人にこの表現でわかってもらおうなんて思っていません。
でも、この表現でいい感じに伝わる相手、この表現で会話したいと思える相手も存在する、ということです。

そしてそういう相手には、安心して「私って宇宙人だと思う」みたいな冗談を言えます笑。

ここで「え?宇宙人て火星人?木星人?」と聞いてくる人や「またそんなこと言っちゃって…不思議ちゃんだなぁ!」と茶化してくる人がいたら、そういう人であるという理解で切り替えて、その続きを話すことはありません。
(その人を嫌うということではなく、ただ自分の方が切り替える感じです。)

幸い、そこまで茶化してくる人に会うことはそんなに無いのですが、「そういう反応を心の中でされてしまうかもしれない…!」という推測が働いて、話したいことが話せない場面は非常に多いです(宇宙人の話に限らずです)。

これは自分の感じていることでしかないのですが、上記のことから、内向直観型の比喩使いはなかなかに肩身の狭い生き物だなあということを、よく感じます(´ . .̫ . `)

普段はこの気持ちの上に何重も何重も「常識(みんなと合う話ができる)の皮」を被って人とコミュニケーションしています。
そのため、自分でも「抽象的な話がしたいなあ」という本心を忘れてしまいます。たまに、映画や絵画など何か作品に触れた時にふと「私もこういうことが言いたかった…!」という感動が溢れ(時には涙すら溢れ)、さらには「大切なことに蓋をして、意義のない日々を送ってしまっていた…」と自責の念に駆られることすらあります。

これはあくまで私の体験なので、そうではないというINFJもいらっしゃるとは思います。
共感してくださる方もいるかもしれないと思って書いています。

INFJが損なタイプに見えるような書き方になっていたら、すみません。
でも、安心してください。
おそらくこれは、自分が安心して自然に抽象的なことを話せる環境を整えていくことで、次第に解消されていくと思います。

いちばん簡単なのは、こういうnoteやTwitterなどのSNS、ブログ等を使って自分の思いを発信していくことだと思います。

「交流」もいいですが、どちらかというと「発信」が向いていると思います。やりとりとなると難しい面もありますが、発信なら好きなように表現できて、見てくれる人は見てくれて、静かに受け取ってくれるからです。(その上で交流が生まれたら、とても素敵ですしね!)

事実私はINFJと分かってから、(お休みを挟みつつ)2年半くらいずっとnoteで発信してきました。そして、この記事の中盤にも「今は恥ずかしくはない」という話をしたように、ちょっとずつ自分の素の性質のままで、自然な生き方ができるようになってきました🌱

読んでくださる方が、コメントをくださったり、いいねやフォローをくださったりと、静かに反応してくださったおかげかなと思います。INFJの気持ちが分かる記事も増えて、いつでも深い共感にアクセスできるようになりました。

とても感謝しています。


以上が、INFJの思う「INFJが比喩を使いたがる理由」でした。

他にも「こんな時に私は比喩を使うよ」というのがありましたら、よかったら教えてください。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



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