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いまの日本で「科学的にものを考えて生きていく」とはどういうことか

プロの科学者」が果たすべき役割

科学者の仕事はいったい何の役に立つのか。
「科学と社会の関わり方を『研究がすぐに役に立つか、立たないか』という視点だけで語るのは、本当にもったいない。科学的思考は、ビジネスにおいても、教育においても、基本となるものだ」

「科学者は“答え”を知っている人」なのか

「アマチュアの心で、プロの仕事をする」

僕がまだ物理学の世界に足を踏み入れたばかりの大学院生の頃、指導教授の背中を見て学んだことです。科学者の仕事を一言で表すならば、こういうことになると僕は思っています。

今、科学者は「専門分野の“答え”を知っている人」として社会から見られますし、その期待に応えようとしている人もいます。僕が大学院生だった頃と比べて、「それって社会にとって何の役に立つんですか?」「税金使ってやることなんですか?」と聞かれることもはるかに増えました。

確かに、僕がずっと研究をしてきた物理学の世界、実験の世界というのは、浮世離れしています。明日すぐに役に立つものでもないし、多くの人にとってプロジェクトがあってもなくても、直接的な関係はないと言えるものです。

一例をあげましょう。僕が研究プロジェクトを率いていたスイス・ジュネーヴにあるCERN研究所(セルン:欧州原子核研究機構)には、秘密基地のような広大な実験施設の中に、大型ハドロン衝突型加速器、通称LHCと呼ばれるものがあります。何やら難しそうな名前ですが、これはびっくりするほど大きな装置で、山手線くらいの大きさの円型のトンネルが、地下約100メートルもの深さに設置されています。

この巨大な装置が一体何のために作られたのかというと、2012年に発見され、翌年のノーベル物理学賞受賞につながった「ヒッグス粒子」をはじめとする、未知の素粒子を検出するために作られたものなのです。1964年に理論的に存在が予言され、長年探されていた「ヒッグス粒子」がLHCを使った実験によってついに見つかったという世紀の大発表をしたとき、研究所は興奮と歓喜に包まれました。

「知りたい」好奇心から、技術が生まれてきた

たくさんのメディアで報じられた「ヒッグス粒子」の発見ですが、これだって今日、明日に役に立つものではありません。大きく言えば、“宇宙の始まりを知る”ために研究されてきたものです。その原動力になっているのは、科学者の「知りたい」という好奇心です。知りたいという気持ちから科学は発展していき、科学者たちの残した成果から、僕たちの身の回りにあるパソコンやスマートフォン、医療、乗り物などに使われる技術が生まれてきました。

つまり、科学にとって大事なのは、“すぐに役に立つことはないけれど、誰かが社会にとって役に立つ何かを生み出す基礎になるかもしれない”ということだと思います。そのために必要なのが、「アマチュアの心で、プロの仕事をする」ということです。

どんな分野でも、最初は誰もが素人であり、少し練習をするとアマチュアになります。何かを始めるときに、素人であることやアマチュアであることは決して恥ではありません。恥ずかしいのは、プロの仕事として仕上げられないことです。科学の世界で言えば、きちんと仮説を立て、適切な理論のもと実験をして、データを取り、そのデータが正しいと言えるかどうかを検証して、矛盾がないように説明する――こうしたことが、プロの仕事です。

原発についてのツイートで、社会に引っ張り出された

僕は2011年3月11日の東日本大震災、そして福島第一原発事故が起きた後、ツイッターで原発事故についてつぶやいているうちにフォロワー数が一気に増えて、科学者コミュニティの中から社会に発見された、というより社会に引っ張り出された科学者です。当時、福島についてよく知らない、原発についても専門ではないという中で、ひとりの科学者として、次々に発表される大量のデータをチェックし、物理学者の習性からデータをグラフに直してツイートしていました。僕自身が、何が起きているかを知りたいと思い、熱心に取り組んでいたのです。

原発についてはアマチュアではあるけれど、「科学者としてプロの仕事」をして発信していたと、今なら言えます。その中で学んだのは、科学者という仕事の意味です。専門分野の研究は今日、明日に役に立つようなものではなくても、「科学者としてプロの仕事」をすることは、もっと広い意味で社会のいろんなところで、誰かの役に立つものだと考えるようになりました。


「世界」から「世間」へ移ってわかったこと

確信を持ったのは、大学を離れてからです。僕は定年退職後、大学への再就職という道を選びませんでした。ヴァイオリンの世界的な教育法でもある「スズキ・メソード」(公益社団法人才能教育研究会)の会長として子どもとその保護者の皆さんに関わり、ツイッターで知り合った糸井重里さんに誘われて「株式会社ほぼ日」のフェローとして商品開発や学校事業に携わるようになりました。東京からジュネーヴ、ニューヨークなど世界中の研究機関を飛び回っていた「世界」から、科学者以外の人たちと共同でプロジェクトを進める「世間」へと、生活の場をがらりと変えていくことになったのです。

そこで僕の役に立ったのは、科学者としての経験でした。会社勤めの経験がなかった科学者の僕が、音楽教育組織のトップになり、そして企業のフェローになると言ったときには、多くの人に驚かれました。同僚の科学者たちや先輩方に驚かれただけでなく、何より自分自身が、こんな人生になるとは思いもよらず、驚きました。そしてその時に思ったのは、“僕にとって法人の中に身を置くことは、まさにアマチュアであることだ”ということです。アマチュアとして、手探りでやることは何も怖いことではありません。では、ここでの僕にしかできない「プロの仕事」とは何でしょうか?

「スズキ・メソード」と「ほぼ日」には、科学との共通点がある

スズキ・メソードとほぼ日には、共通の特徴があります。それは、創業者がカリスマ的な存在感をもった組織だということです。個人には寿命があるけれど、法人には寿命が想定されていません。受け継いだ人たちが、バトンをつなぐように、少しずつ組織に残った問題を片付けたり、新しいものを継ぎ足したりして、次の世代に引き継いでいく必要があります。

これは科学と同じです。科学というのは、人類が取り組んでいる巨大なプロジェクトだと言えます。僕がCERNでプロジェクトリーダーとして進めていた研究にも、当然のように先行世代がいて、しかもその研究は僕の代では終わることなく、ある程度のところで成果発表をしたら、次の世代に託していかなければなりません。僕がひとりで無限にやれるわけではないのです。

プロジェクトを率いる流儀は「楽しそうにやること」

科学者としてプロジェクトを率いるには、人によっていろいろな流儀がありますが、僕の場合は「楽しそうにやる」ということを心がけていました。これも学生時代に、指導教授の背中を見て学んだことです。周囲と「楽しそうに」やりながら、自分たちがやりたいことを専門外の人でも分かるように、プロの視点を保ちつつ説明する。そして、次の世代を育てる――僕がスイスや福島でおこなってきたマネジメントは、法人の運営に携わるようになった現在でもなんら変わることはありません。

スズキ・メソードにもほぼ日にも、科学者は僕しかいないので、科学者として気になったことはどんどん発言しています。僕が科学者としてその場にいて、僕の視点を語ることが、法人に新しい視点を与え、組織をより強くしていくことにつながる。そういう発想で、科学と経営をかけ合わせたさまざまな新しいプロジェクトを立ち上げています。

多くの研究は「すぐに役に立つもの」ではない

学問や研究も、今は何かにつけて「役に立つ」ことが求められますが、多くの研究、特に基礎研究はすぐに役に立つものではありません。しかし、役に立つということについて考えるのならば、個々の研究以前に「科学的思考」そのもの――科学的なものの考え方が、いかに役に立つものか、大事であるかということに、もっと目を向けてほしいと思うのです。「科学者としてのプロの仕事は、研究以外のあらゆる分野に生かすことができる」という事実が、このことをとてもよく表しています。科学と社会の関わり方が、「研究がすぐに役に立つか、立たないか」「自分たちの味方か、気にくわないことを言っているか」という視点でしか語られないのは、本当にもったいない。科学的思考は、ビジネスにおいても、教育においても、基本となるものなのです。

「科学的に考えること」は羅針盤になってくれる

科学者が社会の中にいるというのは、どういうことなのか。それを読者のみなさんの立場に置き換えれば、「社会の中で、科学的にものを考えて生きていくとはどういうことか」ということだとも言えます。「科学的に考える」というのは、必ずしも「理系」の分野だけではなく、「文系」に属するとされる分野においても大事なことです。科学的思考は、人類の長い歴史に根ざした、世界共通のものさしなのですから。

あらゆるニュースや社会的事件について、流言や陰謀論がはてしなく飛び交うようになった現在、「何を軸に考えればよいのか」が分からなくなる人も増えていることでしょう。そんなとき、「科学的に考えること」は、ものごとの基本に立ち返り、行くべき道を照らしだす羅針盤になってくれるのです。

この文では僕が科学者としての人生の中でこれまで経験してきたことを振り返りながら、「社会の中の科学者」という生き方について、つまり「科学的な考え方を軸に判断すること、仕事をすること」について、語ってみたいと思います。

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