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生きることへの執着がない

物心ついた時からそうだった。

生まれたからには寿命を全うするべき。
自殺なんてとんでもない。
↑こういう風潮がピンと来なかった。


いつからだろう。30歳までに死にたいと思うようになった。

その気持ちは今でも変わっていない。
心も体も衰えて、元気がなくなる前に消えたい。

私にとって死ぬことはそれほど特別な事ではなかった。
「生きるのめんどいからそろそろ終わりにすっか!」くらいの感覚でこの世を去る。
それくらいでちょうど良い。

それくらい、自死という選択肢をカジュアルに考えている。


それでも学生の頃は普通に生きていた。

辛いことが無かったわけではない。
ただ、そこそこ楽しいこともあった。

楽しいことが辛いことを上回っていたから、とりあえずで生きていた。

私は全然それで良かった


本気で死にたいと思うこともゼロでは無かっただろうが、今ほどではない。



社会人1年目でうつ病になった。
寛解しては再発を繰り返し、今では4回目の休職をしている。

いつしか、辛いと思う機会が楽しいと思う機会を逆転した。
社会に出て働くということは、どうやらHSPで繊細で真面目でネガティブな私にとって簡単なことではなかったようだ。

生きづらさを感じることも増えた。
希死念慮を抱えることも増えた。


元々生きることに執着がなかった私。
それに加えて鬱になり、辛いと感じる事が増える。


そうすると、今度は生きている意味が分からなくなる。
辛い世の中でなぜ生きている?
もがき苦しみながら生きる必要はあるのか?

死なないことが不自然とすら思えてくる。

とは言え厄介なことに、人間の本能は自らを終わらせることを良しとはしていない。
何度も何度も自殺を考えたが、結局実行できずここまできた。

寸前までいったこともある。
しかし、どうしても最後の一歩が踏み出せなかった。
未遂に終わった。


だが、人間は失敗から学ぶ生き物でもある。

それに、幸か不幸か私は事前準備を念入りにするタイプだ。

過去の失敗から学び、同じ轍を踏まないようどうすればいいか考えた。
確実に死ねる方法について、知識もつけた。

そして人生でも最悪の大鬱に襲われている。
メンタルだってズタボロだ。


死への恐怖はある。
怖いに決まってる。

だが、それも少しずつだが薄れつつある。


もう準備は整いつつある。
あと必要なのは、ほんの少しの勇気だけ。

これまで十分頑張ってきたんだ。
よく頑張ったよ。

もう少し。
もう少しで、全ての苦しみから解放される。

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