このマンガがすき!ベストオブザイヤー2021
今年がおわるまであとすこしのところに来て、2021年なんとなくコンスタントに続けてきたnoteの更新ペースを落としてしまうあたり、わたしだなあ、まったくもってわたしだなあという気がしてしまうのだが、ようやく落ち着いて書けそうになってきた。
コミック担当をしている書店員の端くれとして、今年すきだったマンガをベスト3を紹介していこうと思っている。純粋に「すき!」でありつつ、今年の自分のターニングポイント的なマンガが選考の基準となっています。
このマンガがすき!ベストオブザイヤー2021
1.チ。ー地球の運動についてー
【あらすじ】
神が絶対的な存在であり、天動説が信じられていた時代、宇宙の真理を追い求めようとする人間は異端思想者として拷問され、処刑されていく。それでも必然か偶然か、あるかもしれない真理の探究と出会い、憑りつかれた人間たちが命を賭して「地動説」の証明を引き継いでいく。※拷問のシーンはなかなかえぐいので、リンク先の1話を読むとき苦手な方は注意してください。
はじめて読んだとき、ひどくはげしい興奮に襲われた。マンガを読んでこれほど胸が震えたのはひさしぶりかもしれない。じんと来る作品やエンターテインメントのワクワク感のような興奮に出会うことは幾度もある。けれど「チ。ー地球の運動について」にもたらされた興奮はもしかしたら、はじめてと呼んでいいほどの類のものかもしれない。
信念だとか美学だとか、そんな大それたものではないし世界や歴史を変えるでもない個人的なことだけれど、わたし自身にもずっと追い求めている生き方があって、それを他人から「しんどい」と言われたこともある。だからってそれをやめるわけにはいかなくて、どうしても貫きたい。ほかのひとから見れば無意味で無価値だとしても、考え続けたいことがあるし、知りたいことがあるし、それが特定の「なにか」でなかったとしても、この人生において出会うべきものにはすべて出会い(それもより多く)生きているうちにわたしだけの特別な瞬間を積み上げて死にたいと思う。凡人として人間の脳の能力を10%しか引き出せないのだとしたら、それを11%、いや、10.5%でもいいから引き出せるようにもがきたいのだ。心どころか命を燃やしたい。自分のそういう人生を、作中に脈々と流れる信念の連鎖が肯定してくれたような、そんな気がした。この作品がこの世に存在していることが光。
現在では地球が自転しながら公転していることは当然のこととして受け入れられている。それを証明するために多くの血が流れながらもまた胎動する知が、信仰というなにをも跳ね返してしまうような世界そのものと闘い、連綿と続いてきたのだと思うと、人間とはどうあるべきなのかということを問われているように感じてしまう。知性は絶対ではなく、そもそも今自分が完璧に正しいと信じている常識が覆されたときに、受け入れることができるかどうかもわからないからこそ、作中に出てくる異端でない人間─C教(作中表記)がすべての礎にあるひとびと─の、狂人を見る目もどこか共感してしまうところもある。それでもやはり、なにかを大きく動かそうとするとき、どこか狂っていて異常で無謀でも、直感なり信じるものなりに自分のすべてを賭ける瞬間が必要なのだろう。それがたとえ個人のちいさな人生であったとしても。
2. 夜の名前を呼んで
【あらすじ】
不安を感じると夜を呼んで闇で覆ってしまうミラという女の子が、魔法医であるレイ先生のもとでちいさな日常をたいせつにしたり、経験や出会いを通して自分をすこしずつ見つけながら世界を広げ、一歩ずつ前進していく。
この作品は夏に一度感想を載せているため、そこから引用します。
1巻に出てくる「星ジャムを作る話」は本当に素敵だった。そもそも空から降る星でジャムを作る、という発想がかわいすぎてきゅんとしちゃう。
星ジャムは、食べるひとによって味が変わる。そのひとにとっていちばんおいしい味になるし、おなじ味は二度とないかもしれない。だから「今の味を楽しんで」と、レイがミラに贈った言葉は、そのままわたしに突き刺さる。
そう、きっと「今の味」がいちばんたいせつ。過去は過去として存在しつづけるけれども、わたしが立っているのは現在で、今の愛し方で明日のかたちも変わるのだろうと思う。そういうふうに過ごしてきたつもりだったけれど、いつのまにか飲み込まれて忘れかけていたみたいだ。やっぱり人生はうまいことできている、というか、必要なときに必要なものがやってくる。出会うべきときに出会いはやってくる。そう考えざるをえない作品とまた出会ってしまった。
ファンタジックな絵柄とストーリーが紡ぐ世界は、かわいくて、ときに悲しくてやさしくて、読み終えたあとはほろ苦さと甘さの入り混じった帳が胸にじんわりと降りて、しばらく現実をくるんでしまうような不思議な、そんな余韻を残す。
現在2巻まで発売中。こちらは「ハルタ」にて連載中。2巻ではミラとレイ先生のほかに、新しいキャラクターも登場しさらに世界が色づいていく。読んでいるともうここに描かれる世界のすべてが愛しくて可愛くて泣けてくる。
ファンタジーとはいえ、現代に響くメッセージが内包された素敵な作品。
ハルタは秀逸な作品が本当に多く、個人的には続刊ものも含めて一年の中で購入率がいちばん高い。
鎚起銅器職人とギャルのキュートなラブ「クプルムの花嫁」
鉱物女子たちの採集マンガ「瑠璃の宝石」
もよかったです。
3.ルックバック
【あらすじ】
学生新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の藤野。クラスメートからは絶賛を受けていたが、ある日、不登校の同級生・京本の4コマを載せたいと先生から告げられるが…!?
これは単巻なので前情報が多いと、この作品の持つ凄まじい力をくまなく堪能できないとなんとなく思うのであらすじは引用しました。
正直、この作品について考えると情緒がぐしゃぐしゃになるので、うまく感想まとめられない。昨夜もどうしても書けなくて、泣きながら寝てしまった。起きてしまった現実について、傷ついたまま前進していくって、めちゃくちゃしんどいけどそれでも生きているかぎり生きてかなくちゃならない。怒りを持って振り返りつづけることのエネルギーの消耗は現在を無碍にして、未来まで殺すことにもなりかねない。だから今、ここでやれることをきちんとやって生きる、わかってる、わかっているけれどでも…ってことを繰り返して八つ裂きになる。
この作品がジャンプ+に載ったとき、ちょうど自分の内面が過去との対峙に向いていたこともあり、作中に描かれた事件のモチーフになっている実際の事件のみでなくとも、重要なことは呪いや怒りではなく祈りなのかもしれないと思わされた。それでもやっぱり割り切るのは難しいけどね。
物語が刺さるか刺さらないかはひとそれぞれだと思うけれど、コマ割りや絵の視点、構図などのマンガ表現がずば抜けている。それだけでも読む価値がある。画面の隅々にまで情報があり、それらはおそらく過剰でも不足でもなく、そこになくてはならない、描くべきことをひとかけらも余すところなく描き切っている。それを絵でやっている。天才などと一言で片づけてしまうのは野暮だし逆に失礼かもしれないとはわかりつつ、やはりこれを天才と呼ばずしてなんといっていいのかわからない。
前作「チェンソーマン」を読んだとき、得体のしれないものにじわじわとやられるようで怖かった。とんでもなくざわざわした。狂う寸前のギリギリに立っているような感覚のまま「チェンソーマン」を読み終えた。その正体が「ルックバック」を呼んでわかった。そしてわたしは藤本タツキがめちゃくちゃ好きなんだと確信できた。
以上ベスト3でした。
売り場にいると、ここ何年もとにかく異世界転生コミックが流行していて、きっとみんな現世がしんどいんだろうなとか、来世に期待することそれは新時代の宗教のようなものという書き込みをどこかで読んでなるほどなと思ったり、実際読んでみるとたしかに面白いと感じたり。(転生ではなく、女性向けライトノベルのコミカライズではあるけれど、「31番目のお妃様」「ふつつかな悪女ではございますが」とかは今年読んでみてすきでした)
GLと呼ぶべきかシスターフッドと呼ぶべきかと言った作品が一般レーベルからつぎつぎと刊行されたり、BLもネット発のライトな手触りのものが男女関係なく購入されていったりと、境界が溶けているような印象で、やはりカルチャーは時代とともにあると思います。
時代の流れといえば、わたしは基本的に、創作活動や表現は自由であり、もちろん線引きやすみ分けのようなものは必要かと思うのですが、誰かを救うものが誰かを傷つけてしまうこともある、しかしまたその逆もしかり、それが同時に存在することが、創作や芸術のあるべき姿だと考えています。むやみに一方に偏り、どちらかの存在を握り潰し、なかったことにするようなことが当然のようなことにはなってほしくないという願いのようなものも持っています。なぜなら創作とはある種、昇華をともなっており、表現することで自身を救う、癒す、また、かくも複雑な人間の深部の発散(欲や暗部のようなものも含め)をしている面もあると個人的には思うからです。
わたし自身はどちらかといえば、すべての作品が個としておなじ地平にあり、興味のあるなしや好き嫌いはべつにして、ただ在ることをなにもかも飲み込んでいるというような感覚なので、さまざまな異論や考え方があり難しい問題であることもわかってはいるのですが、表現そのものが画一的に閉じ込められてしまうことからはつねに解放されていてほしいと考えています。
また、最近ではひとつの作品が大バズして、その品切れと重版待ちに追われることで一年が過ぎていってる…ただ仕事として。というような印象で、なんというか純粋にマンガを読むことそのものが好き、という域からははみ出してしまっているところもなきにしもあらずなため、来年も自分が必要としている作品と出会うべきときに出会いたい、そのためには感度を最大にして生きることだなあと心してこの世界に身を置いていく所存です。