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自治体だって課金したい!〜アップグレードした新幹線駅〜

皆さんは「課金」と聞いて何を思いつくでしょうか?

ある人はソシャゲ、ある人は推し、ある人は列車の優等種別、ある人はふるさと納税……
人の数だけ「課金」の形がある中、地元長野県の自治体が行った「課金」がありました。それを調べたまとめ。


どこが何に課金したのか

タイトルの通り、課金されたのは新幹線の駅、具体的には北陸新幹線の駅です。

課金を行ったのは、長野県上田市と佐久市です。(ただし上田市は市と商工会議所)。それぞれ、市内に有する北陸新幹線の上田駅と佐久平駅に対し、日本鉄道建設公団への寄付という形で、駅への課金が行われました。

そもそもなんで課金したのか

上田駅と佐久平駅が属する北陸新幹線の高崎~長野間は、フル規格化決定からオリンピック前年までの限られた工期で、いかにして建設費を圧縮できるか注力して建設されました。

設計・建設にあたった日本鉄道建設公団(以降鉄建公団)は、高架橋の構造は当然、線路間の間隔に至っては0.1m単位での見直しを行っています。(高崎駅北にある38番分岐器は、高架橋の建設距離圧縮のために採用されています)
そうなると当然、駅舎の規模や外観などは、必要最低限(もしくはそれ以下)で建設することとされました。

上田駅の例

上田駅

上田駅は、長野県上田市にある、北陸新幹線、しなの鉄道、上田電鉄が乗り入れる駅です。

北陸新幹線の駅がある方が「お城口」と呼ばれ、中心市街側の出入り口となっています。

お城口側。御影石+蔵風デザインの北陸新幹線の駅舎が正面となる。

こちらは、真田家の六文銭をイメージした照明と、城下町の蔵をイメージしたデザインとなっています。

夜間は四角い板が銭の穴、丸く照らされる光が銭の本体となる。
庇などに蔵の意匠が採用されている。

北陸新幹線の駅が設置される前は、信越本線(現しなの鉄道)と上田交通が乗り入れる地上駅でした。北陸新幹線の駅が高架で設置されるのに合わせて、自由通路の設置と、信越本線の駅舎の橋上駅化、上田交通の高架化が行われています。

もともとの上田駅の予定は……

では、上田駅はどのような駅になる予定だったのでしょうか。

最初に駅のイメージが公になったのは、昭和57年3月に鉄建公団から公表された、環境影響評価報告書(長野県)です。
こちらは、北陸新幹線の初期開業区間を、群馬県の高崎駅~石川県の小松駅と想定していた際の書類となります。
この時の上田駅は

  • 2面2線の高架駅(現在と同じ)

  • 新幹線駅施設等は高架下(現在と同じ)

  • 在来線駅施設も高架下

  • 駅出入口は北側(現お城口のみ)

といった形で計画されていました。

ところが、この環境影響評価報告書公開から半年後、北陸新幹線、東北新幹線の盛岡以北、九州新幹線の通称整備新幹線は、財源問題から着工が当面見合わせとなってしまいます。

次に駅デザインが公表されたのは、北陸新幹線が高崎〜長野でのフル規格着工が決まった平成5年に入ってからでした。
この時の上田駅は

  • 2面2線の高架駅(現在と同じ)

  • 新幹線駅施設等は高架下(現在と同じ)

  • 在来線(信越本線→しなの鉄道線)の駅は橋上化

  • 自由通路により、南側にも出入口を設置

となりました。
前回からの変化点としては、在来線の駅が橋上化された事、自由通路の設置等があります。

この時のデザインは、現在も上田市の広報誌バックナンバーで確認することができます。

https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/14735.pdf

最初の課金

ところで、鉄道3社の駅舎を接続する上田駅の自由通路の管理者はどこなのでしょうか?

上田駅の自由通路。

この自由通路の管理者は上田市で、自由通路全体が上田市道「上田駅橋上線」という扱いとなっており、北陸新幹線の着工が決定する前、駅南側からのアクセスを改善するための跨線橋として設置しました。

鉄建公団の当初案では、平成5年の段階でも在来線の駅舎は高架下に設置され、駅の南には一旦北側から出た後、跨線橋を渡ることとされました。
しかしこれでは、在来線駅から南側に出ようとする場合は、2回も跨線橋を渡ることになります。
このため上田市は、鉄建公団に必要経費の7割に当たる約5億円(残りはJR東日本が負担)の負担金を支払うことで在来線の駅舎を橋上化を実施しました。

自由通路から見たしなの鉄道の橋上駅舎。(エレベータはしなの鉄道時代に設置)
しなの鉄道上田駅。エレベーター設置と窓口スペース、待合室減築以外は当時のままとなる。

デザインに不満続出

平成5年に北陸新幹線上田駅のデザインが鉄建公団から公表され、市の広報誌に掲載されたところ、市民や市の商工会議所から不満が続出しました。

というのも、既に書いたようにこの新幹線の区間は「どこまて費用を圧縮できるか」が命題なため「新幹線としての機能」外になる駅のデザインは特に簡素に計画されました。

鉄建公団のデザインでは、駅舎の外装は「コンクリート打ちっぱなし」程度で、現在のように地域らしいデザインは皆無でした。
とはいえ「それ以上のグレードが希望であれば、地元に費用負担をお願いしたい」という鉄建公団からの救済措置もありました。

このため、上田市、そして上田市を中心とする上小地域の玄関口となる駅の外装への課金が開始されます。

自治体では課金不能……?

上田市が外装のグレードアップに向けて動き始めたのはいいものの、在来線駅の橋上化の費用負担とは違って問題がありました。

鉄建公団への寄付は、当時の自治省との協議と許可が必要でした。(佐久平駅の項目で後述)
そのため、駅の機能に関わる部分の寄付については認められる可能性が高いものの、直接機能に関わらないデザイン面に関しては、自治省の許可を得られる可能性が低いと判断されました。

最終的に、上田市は費用負担を商工会議所に依頼し、商工会議所主導で民間企業や個人からの寄付を募る事となりました。

商工会議所の活動の結果

上田駅のデザイン変更のための費用は、1億2926万円とされ(後に1億4926万円に変更)、この費用を上田商工会議所が鉄建公団に寄付する協定書が締結されました。

そうして、現在の上田駅のデザインが完成しました。

上田駅お城口。赤の六文銭は、市が後年貼り付け。
上田駅温泉口。跨線橋に三角屋根とエスカレータ、エレベータを追加して整備された。

寄付を行った企業や個人の名前は、現在も上田駅お城口のドトールコーヒーの裏に刻まれ、市民によって「真田家の上田らしさ」を課金した歴史を静かに伝えています。

上田駅にある寄付者の銘板。

佐久平駅の例

佐久平駅

佐久平駅は、長野県佐久市にある、北陸新幹線と小海線が乗り入れる駅です。

南側の出入口が「蓼科口」と呼ばれ、市の施設が併設され、大型商業施設に面した表側の入り口となります。

佐久平駅蓼科口。山並みをイメージした駅舎。

こちらは、佐久市内から見える山並みをイメージした三角屋根が特徴となっています。

北陸新幹線の駅が設置されることが決定する前は、この付近は小海線の中佐都〜岩村田の田園地帯でした。
北陸新幹線の着工前までに、国道141号のバイパス開通や、上信越自動車道の開通などがあり、佐久市は駅の設置を前提に土地区の利用計画などを進めていました。

もともとの佐久平駅の予定は……

では、佐久平駅はどのような駅になる予定だったのでしょうか。

最初に駅のイメージが公になったのは、上田駅と同じく、昭和57年3月に鉄建公団から公表された、環境影響評価報告書(長野県)です。
この時の佐久駅(仮称)は

  • 2面2線の地上駅(現在と同じ)

  • 小海線は高架で新幹線駅を跨ぐ(現在と同じ)

  • 新幹線駅施設等は南側

  • 小海線の駅は設けない

  • 近隣の岩村田駅までの連絡歩道を設ける

  • 駅出入り口は南側のみ

といった形で計画されていました。
イメージ的には、現在の安中榛名駅前と同じような構造となります。

安中榛名駅。線路の片側のみに小さな駅舎を備える構造。

太っ腹に課金する佐久市

当然、佐久市もこの計画に納得できませんでした。
佐久市は、1970年代から新幹線駅の誘致を進めていたこともあり、佐久市のみならず、佐久地域全体の玄関となる新幹線駅としてふさわしいものではないと考えました。

平成5年10月、佐久市長は佐久地域を代表して新幹線駅への要望を鉄建公団に提出します。
その内容は

  1. 新幹線駅の橋上化(自由通路の設置含む)

  2. 小海線への接続新駅の設置

  3. 都市施設の設置

  4. これらの追加費用については佐久市が負担する

といったものでした。

追加費用を全て佐久市が担うことについては、佐久地域の各自治体の費用分担を協議するよりも、駅が立地する佐久市が一括で負担した方が、すぐに対応可能という背景がありました。

上田駅との最大の違いは、新幹線駅の構造自体を大きく変更した事と、それによる追加費用の負担の多さとなります。

実は鉄建公団への課金は原則禁止

これまで、上田市、佐久市は鉄建公団への寄付という形で負担金を払ってきましたが、実は国鉄と鉄建公団への自治体による寄付金は、原則禁止されていました。(現在は根拠となる法律が廃止されている)
これは、過去に国の事業に対し地方自治体への「自発的な寄付」を求める例が発生していたために制定されたものとなります。

とはいえ例外もあり、地方財政再建促進特別措置法 24条の2項には、以下の通り記載があります。

地方公共団体は、当分の間、日本国有鉄道、日本鉄道建設公団(以 下「公社等」という)に対し、寄付金、法律又は政令の規定に基づかない負担金その他これらに類するもの(以下「寄付金等」という)を支出してはならない。ただし、地方公共団体がその施設を国又は公社等に移管しようとする場合その他やむを得ないと認められる政令で定める揚合における国又は公社等と当該地方公共団体との協議に基づいて支出する寄付金等で、あらかじめ自治大臣の承認を得たものについてはこの限りでない。

地方財政再建促進特別措置法 24条-2より引用

要約すると「寄付は原則禁止だが、自治体が作った施設を移管する場合や自治大臣が認めた場合は可能」という事です。

このため、佐久市と上田市は、長野県を通して自治省と協議を行い、鉄建公団への寄付金に対する許可を得ました。

佐久市の活動の結果

最終的に佐久市は約21億円の負担を行い、鉄建公団が駅舎の設計変更を行いました。

また、小海線の新駅に関しては、すでに小海線の高架化工事が進行していたため、JR東日本と協議して佐久市負担の請願駅として設置されることとなりました。

小海線佐久平駅。高架橋に増設されたため1面1線の無人駅。
長い連絡通路も佐久市による負担で建設された。

この際両隣の駅である、中佐都駅と岩村田駅に関しては、駅間距離が1km未満と短いため佐久平駅に統合される懸念が地元地区から出ていましたが、交渉により両駅は存続となりました。

こうして、現在の佐久平駅が完成しました。

蓼科口を別の角度から。
北側の浅間口。国宝の旧中込学校をイメージしたデザイン。
佐久平駅の自由通路。右側が佐久市の物産館など含む施設。左が新幹線駅舎。

同時に、新幹線駅設置を前提とした土地利用事業も実施され、佐久平駅周辺地区は、佐久地域の一大商業地として発展しました。

車の絶えない4車線の国道バイパスを跨ぐ単線の小海線。
佐久平駅周辺は自動車中心のロードサイド型都市になった。
佐久平駅前のイオンモールは、開業以来多くの買い物客が訪れている。

30年が経って……

駅デザインを巡るこれらの出来事からすでに30年が経過しており、一連の騒動があったことを知る両市民は少なくなっています。
現在では、自治体が追加費用を払うことよりも、施設や建造物を追加することの方が多くなっています(北陸新幹線飯山駅の観光案内所など)

あさまと、一部のはくたかのみが停車する小さな駅の上田と佐久平に、忘れられかけた大騒動があったことを思い出していただければ幸いです。

参考文献

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