見出し画像

消えたルーズソックスの謎。

10年ほど前、友人から「知人が下着泥棒で逮捕された」と言う話を聞いて驚いた。私にとって「下着泥棒」とはかなり理解から遠い性癖だったため、心のどこかで「遠い世界の性癖」のように思っていた。だって、あーた、布ですぜ?

同じ「物」でも、絵やフィギュアに対して欲情するということなら、理解できる。少なくとも人型だし、そこに想像上とはいえ人格もあるのだろう。ただ、布そのものとなるとなぁ。

もし、この後まさに犯行に及ぼうとしている下着泥棒の方がこれを読んでいたとしたら、もう一回よく考えて欲しい。あんたが盗もうとしてるの、布だぜ?それ。細かく解いたら、糸なんだぜ。ただの。女性が身につけてたものなら、糸だっていいのか?……良いんだろうなぁ、多分。

というのも、数年前、実際に布愛好家の方の犯行現場を目にしたことがある。ある晴れた日の昼間、うちの賃貸の前に自転車を止めて、何やら上空の写真を撮っている男性がいた。

何を撮っているんだろうとカメラが向けられている先を見たところ、そこには上の階の女性の洗濯物が干してあった。男性は私に気付くと、そそくさと逃げ去った。私は何が何だかわからなかったが、数秒後に彼のしていた行為の意味に気づき、恐ろしくなった。

そう、下着の盗撮である。

いや、100歩譲って、良し悪しは別としてもパンチラの盗撮ってことなら、まだわかる。けどさぁ、干してある布だぜ?布。想像力が逞し過ぎないか?その後、その男性を再び見ることはなかったが、相当な上級者であることは間違いない。

嗅ぐでもない、履くでもない、手に取るでもない。ただの写真でいいんだもんな。だったら、ニッセンのカタログに載ってる写真でも見てろよ、と言ってやりたいが、言ったところで「わかってねぇなぁ。そういうことじゃねぇんだよ」って言われるんだろう。そこの違いはまぁ、わからんでもない。やっぱり、女性が身に付けていたという事実が必要なんだろう。


何度も言うけど、布だぜ?これが、干してあるものではなく、人が身につけている状態の下着に価値があることはわかる。パンチラ、ブラチラなんか見つけた日には、「やぁ、こりゃあ滋養に良いモンですな」という気持ちにすらなる。

ただ、下着その物のみの状態を見ても私はなんとも思わない。そこに興奮を覚える人って、恋人の下着を脱がせた後、相手じゃなくて脱がせた下着の方に興奮するんだろうか。

とはいえ、性癖なんて人それぞれ。法に触れなければ否定するつもりもない。なんなら、特殊なフェチを持っている人の方が人生にコクがある気がする。

そんな人たちにとって、ただの布ですら垂涎のお宝なのかもしれないが、私のような性癖になんのコクも渋みもない男にとって、下着なんてただの衣類であり、「身に付けて初めて価値のあるもの」なのである。

繰り返し言うが、身につけている間ならまだしも、脱がれた時点でただの汚れた布と化す。ましてやそれが上着や靴下なんてことになれば、尚更だ。


一時期毎日のように目にしていたのに、いつの間にかすっかり見なくなったものといえば、小出恵介とルーズソックスだけれど、ルーズソックスは私の青春の思い出の中にあり、あの「ボテッ」としたシルエットを思い出すたびにノスタルジックな気持ちになる。

ルーズソックスといえば20世紀末を象徴したコギャルファッションの代名詞で、アルバローザ、ラルフローレンのベストとともに「コギャル界三種の神器」の一角を担っていた、世紀末のテンションが産んだ歪みのひとつである。

ミレニアル世代である私の高校時代は、本来ルーズソックスは過去の遺物で既に現役を退いた品であり、都会では新しく「紺のハイソックス」という新・三種の神器へ世代交代が始まっていた。しかし、あいにく私は新潟の田舎出身。

当時はまだネットが発達しておらず、田舎と東京では5年から10年程流行の時差があった。おそらく、5年前のeggのバックナンバーが「南蛮渡来の書」としてありがたがられ、出回っていたことが原因ではないかと専門家は見ている。つまり、新世紀を迎えても、我々にとってルーズソックスはまだ「ナウ」だったのである。


都会ではギャルブームもすっかり下火になっていたころだったが、そんな事情もあってか私の通っていた高校の女子のスクールカースト上位は未だに「ギャル」や「準ギャル」であり、発言権の強いものほど皺の多いルーズソックスを履くことが許され、彼女らの背中には「シルバーバック」と呼ばれる灰色の毛が生えていた。恐らく、ルーズソックスの皺はコックの帽子と同じシステムだったのではないかと思う。そのためカースト上位の女子はほとんどミシュランマンと同じ足をしていた。


ルーズソックスには、不思議なエロさがあった。ルーズソックスがエロかったのか、ルーズソックスを履いていたやつがエロかったからなのかはわからないけれど、脱いだ後の単体のルーズソックスなんて、ただのスカイフィッシュの死骸である。ルーズソックスには足を細く見せる効果があると言うから、それがエロく見える理由なのかもしれない。

そんな効果を狙ってなのか、私の通っていた高校以外でも、ギャルっぽくはないけどルーズソックスは履いている、と言う女の子も多くいた。Mもそのうちの1人だった。

Mは私と中学も高校も違うけれど、同じ電車に乗って高校に通っており、Mと同じ高校に通う私の中学時代の同級生を通して仲良くなった。鈴木蘭々に似た、大きな目に丸顔の女の子で、今で言うとラランドのサーヤにも似ているかもしれない。

当時の我々は恋愛関係や肉体関係にあったわけでもなく、「そこまで親しくないけれど何となく話と趣味が合う友達の友達」と言う感じの関係だった。

当時『私立探偵濱マイク』にどハマりしていた私。しかし、周囲に同じドラマを好きだと言う人がおらず、ドラマの話がしたくてたまらなかったのだが、偶然Mも同じドラマにハマり、同じ境遇だったことがわかった。ニッチな共通の趣味があることで距離感が縮まり、Mは私の家に来るようになった。

ある雨の日、Mからうちに雨宿りに来たいと連絡があった。Mを自室に招いて他愛もない話をする。濡れ姿の彼女にタオルを渡したあと、彼女は雨で濡れたルーズソックスを脱ぎ、

「要らないからあげる」

と渡してきた。冗談かと思ったけど、本気らしい。私は布そのものに興奮できるタイプではないし、女装の趣味もないため、置いていかれても困るとつっかえそうとするが、どうしても持って帰りたくないらしい。多分「捨てといて」ということなんだろう。

言い出したら聞かないタイプということは知っていたので、ここは私が折れた。ダルダルのルーズソックスから出てきた細くて真っ白な足は、何だか心許なく、艶っぽく見えた。


夕方以降になっても雨は止まず、母に依頼して車で駅まで送ってもらう。彼女を送った後、過干渉で口うるさい母から車の中で、「あれはどこの女だ」「学生の身分で女なんか連れ込むんじゃない」「今後も女となんか遊ぶんじゃない」など口うるさく言われた。

さて、この靴下である。洗って返そうかな、とも思ったが、何だかそれも気持ち悪がられそうな気がする。

じゃあ、やっぱり捨てるか。ただ、布って燃えるゴミに出して良いんだっけ?当時、ゴミの分別もしたことがないような私にはよくわからなかった。男子高校生が出すゴミなんて、恥ずかしいティッシュくらいしかない。男子の出すゴミは全て燃えるゴミである。

おそらく、布類であれば燃えるゴミとは別に布類で纏めて捨てることになるだろう。その際、多分母からの検閲に引っかかるのは間違いない。

私には年子の妹がいたのだが、生憎ルーズソックスとは無縁のタイプである。恐らく母も捨てられたルーズソックスを見つけた際、妹のものとは判断しないだろう。それはつまり、「私に女装趣味があると思われるか、盗品と思われる」という大きなリスクを背負うことになる。

別に本当のことを言えば良いのだけど、「雨の日に濡れたから、友達が捨てて行った」というのは、なんだか言い訳じみてて非常にウソくさい感じがする。

何にせよ、何だか考えるのもめんどくさくなったので、自室の押し入れの上の方にあるエロ本やエロビデオの隠し場所、通称「エロ魔窟」に閉まっておいた。

それからと言うもの、エロ本の点検をするたびにルーズソックスが目に入るようになり、「いつか処分しなきゃなぁ」とは思っていたのだけど、いつのまにかそのルーズソックスに注意が向かなくなり、その存在をすっかり忘れたまま私は上京した。



時は流れ、数年前の年末。実家に帰った私は、自室に入ってその変わりように驚いた。本棚や机、椅子などがなくなり、代わりに毛布や布団などが置かれていた。私の部屋は半分物置になっていたようだ。

頻繁に帰省するわけでもないので構わないのだが、多くの本も処分されており、それには少し腹が立った。

押し入れを開けても布団がパンパンに詰まっている。ふと、母の身長では届かない、押し入れ上部のエロ魔窟を点検する。

良かった。エロ本類は無事だった。しかし、私は妙な違和感を覚えた。そして、すぐに違和感の正体に気づき、愕然とした。

「ルーズソックスが無い……」

別に、思い出の品ということでもないので、無きゃ無いで良いのである。そもそも捨てようと思っていた物なので、ある意味手間が省けたとも言える。

まず間違いなく母が捨てたのだと思うけれど、なんだかそこにも違和感がある。


部屋に置いてあった多くの本が処分されていたのは、布団など他の荷物を置くのに邪魔だったからだろう。これはまぁ、わかる。

一方、エロ魔窟にあるエロ本の類は無事だった。ルーズソックスが捨てられていたことから、母のチェックが入らなかったわけではない。恐らく、上部の押し入れに入れる物がなかったので、エロ本は捨てなくてもいいかと見逃されたのだろう。つまり、使わないスペースだから捨てられなかったのだ。

だとすると、

「じゃあ、なぜルーズソックスを捨てた?」

という疑問が残る。エロ本も捨てる、ならわかるのだ。

本来の母なら、エロ本の方を真っ先に処分するだろう。そう言う人だ。恐らく、母にとってエロ本よりもルーズソックスの方を見て「危険物である」だと認定したのであろう。では、なぜそれを危険と判断したか。やはり、答えはひとつである。

「女装癖があるのか、もしくは盗品かもしれない」

母はそう判断したのだろう。ルーズソックスは新品ではなく、明らかに誰かが履いていた形跡がある為だ。


恐れていたことが起きてしまった。私は弁明したくなったが、どう考えても弁明の機会がない。

「エロ本と一緒に隠していたルーズソックス、知らない?」

なんて、聞けるわけがない。

しかも、収納の組み合わせが最低である。他の衣類と一緒に押し入れに入れておいただけなら、「なぜか置いてあった謎のルーズソックス」だけで済みそうだけれど、私はルーズソックスをエロ本と一緒に収納していたのである。

つまり、衣服としてのルーズソックスではなく、母の中ではもう「エロ用途のルーズソックス」になっていたのだ。

とんでもない事である。私はガチガチと奥歯を鳴らした。

そう考えると、エロ本だけステイさせてルーズソックスだけ捨てたと言う行動にも意味が生じてくる。前述の通り、私の知っているカトリックでうるさ型の母であれば、必ずエロ本の方も処分するだろう。それを処分しなかったと言うことは、

「エロ本だけなら、目を瞑りましょう。しかし、女装や靴下泥棒など、アブノーマルに足を踏み入れることは許しませんよ。アーメン」

と、言われているとしか思えない。違うんだ!!あれは、自分が履くための物でもなければ、盗んだ物でもない!!ましてや、嗅いだり、吸ったり、巻いたりなんて断じてしていないんだ!!ルーズソックスフェチなんかじゃないんだよ!!

こんなことなら早めに処分して置くんだったと後悔するばかりだが、今となっては後の祭りである。

「思わぬフェチに結びつけられる可能性があるため、安易にエロ関係の物と他の物をセットで保管するべきではない」

私は今回のことでそんなことを学び、それと同時に母からの印象や信頼など、大切なものも失った。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?