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健康であることが最高のラグジュアリーになる。その感覚とSAKEがリンクする

「日本酒を世界に」をビジョンに「WAKAZE」を立ち上げた稲川琢磨氏が今回のゲストです。稲川さんはフランスに日本酒の醸造所を造り、日本の伝統的な醸造技術にフランスのテロワールを反映させた「WAKAZE」ブランドで一躍注目されました。現在はカリフォルニアを拠点に活動する稲川氏が、新しい視点を持って世界へ広げようとしている日本酒の可能性とその未来を伺います。

いながわ たくま 1988年和歌山県新宮市生まれ。慶應義塾大学理工学研究科修士課程修了。在学中にフランス政府の奨学金給費生として2年間パリのEcole Central Parisに留学。卒業後、ボストンコンサルティング・ グループにて経営戦略コンサルタントを担当。在職中に仲間との週末プロジェクトとして日本酒事業に着手。2018年に東京・三軒茶屋で酒蔵&レストランを開業。その後、パリで初めての酒蔵を設立し2020年商品リリースして注目を集める。昨年からカリフォルニアに拠点を移し、宝ホールディングス株式会社と資本業務提携してスパークリングSAKEの「SummerFall」の米国での販売を開始。


日本のものづくり×グローバルで勝負したいという気持ちがスタート

――稲川さんはまったく日本酒に縁がなかったと伺っていますが、なぜ今、日本酒なんでしょう?

稲川 日本酒を本気で好きになったのは、実は会社勤めを始めてからなんです。大学のときフランスへ2年ぐらい留学をしていたんですけど、そのときにワインに出会って、ワインっておいしいなぁ、と素直に思いました。日本酒にはいい印象を持っていなくて、学生のときに悪酔いした飲み物といいますか、当時は大学のサッカー部で出てきて飲んで、仕上げに焼酎を出されてつぶれるみたいなイメージがあったんですよね。

――時代ですね。

稲川 でもフランスでは見事に赤ワインに染まりましてね。そのまま帰って来ても「さすがワインはすばらしい。世界で愛される理由がわかる。でも日本酒なんて……」とずっと思っていました。帰国して日本で就職したのが「ボストンコンサルティング」でした。給料がもらえるようになってから、大好きなすしを食べに回らないおすし屋さんにちょこちょこ行っていました。ある日、おすし屋さんで出された日本酒がものすごくおいしくて。なんというか、ドーンと雷が落ちたように衝撃だったんですよ。今まで飲んだ日本酒はなんなんだって。それがきっかけですね。

――その「雷が落ちたような」日本酒の銘柄は覚えていますか?

稲川 うろ覚えなんですが、「真澄」だったと記憶しています。良質の酒をいい状態で出すことがこんなにおいしいものかと思いましたね。これまでは「酔うためのお酒」だったのに、「味わうためのお酒」があって。すしもおいしくて。日本酒に初めて感動した瞬間でした。この感動を世界に伝えなくては、とすぐに思って行動しましたね。

――それが、趣味で終わらず、ビジネスの方向に、それも海外も視野に入れて即行動に起こそうとされたことが私には衝撃です。

稲川 私の祖父が戦後間もない頃にカメラのレンズの製造業で起業していて、従業員もいて、かなり経営が伸びた会社だったんです。でも父の代になってから見事にiPhoneが出てきて会社が大変になりました。自分は父の寂しい背中を見てきたので、日本のもの作りを何とかしたいっていう思いがありました。また、これから少子高齢化になっていくことを考えると、これからの日本は海外で、効率的に勝負していくことが重要だとずっと感じていたんですよね。ただ、大学を出てからは別に具体的に何かをやりたいわけではなかったのでまずは企業に就職したのですが、そこで先の日本酒に出会ったわけです。ものづくりがしたい、海外に軸を置きたい。この2点考えると、日本酒ならその思いがかなえられると思いました。

――それで会社を辞められたと。

稲川 いや、それからも1年くらいはいました。2015年に会社をやめて、まずは日本酒好きの仲間たちと週末起業のスタイルで日本酒のプロジェクトをスタートしたんです。私の勉強の意味もありました。2016年にWAKAZEを創業したんですが、第1弾のオリジナルの日本酒はなかなかうまくいかなかったですね。資金集めも大変でした。あるとき、山形の起業家たちと出会ったことがきっかけとなって山形へ拠点を移し、そこでいろいろと地元の方々に協力をいただきながら、委託醸造ブランドの事業が軌道にのってきました。そして、2018年に三軒茶屋に「WAKAZE三軒茶屋醸造所」を開設したんです。

――酒造免許も取得されたんですか?

稲川 最初は「その他の醸造酒」にあたる製造免許です。一般的な「清酒」をつくることはできないんですが、どぶろくやボタニカルSAKEなど、新しい商品開発を進めるラボとして運営からのスタートです。清酒を造り始めたのは2019年にフランスに酒蔵を構えてからです。

――なぜフランスだったのでしょう?

稲川 2年間フランスへ留学していましたからね。あと、調べてみると、アメリカではすでにSAKEブルワリーをやっている人が多かったんですよ。私は天邪鬼ですから、ならば、フランスで、と(笑)。三軒茶屋をオープンしてからそのちょうど1年後にフランスへ進出したんですが、最初はフランスでのむずかしさがよくわからなかったですね。マーケットサイズだけは、ワインのそれをもとにイメージはできていたんですが、実際には計算通りに広がらない。1年目はコロナもあってそんなに売れなかったです。でも改善を繰り返してようやく売れるようになってきて、私がやりたかった「ローカライズしたもの作りとマーケティング」みたいなことをフランスで学ばせてもらいました。

――フランスでのむずかしさについてもう少し詳しく教えていただけますか?

稲川 やっぱりひとつは、フランスにはワインがあることです。工夫もなく日本酒をドーンと市場に出したところで、フランス人からすると「ワインがあるから別にいらないよ」となります。もうひとつの問題は価格です。原料費だけではなくワインやビールよりも造る手間のかかる日本酒は人件費がかかるし、小規模生産なのもあってどうしても日本酒は高くなる。その価格の調整と、その価格に見合うデザインを含めた商品性を考える必要がありました。日本人が好むデザインとヨーロッパやアメリカの人たちが好むデザインは当然違うものですし、好む味わいも違う。ワインが好きな人たちだから酸味の引き出し方が大切ですし、食事も基本は当然洋食ですから、洋食に合う味わいにまとめる必要がある。そこで、まずデザインはUKの方にヨーロッパ的なデザインを依頼しましたし、味わいに関しても、ワイン酵母は最初から使ってはいましたが、酸味をなるべく引き立たせられるような白麹系を選ぶなど、細かいチューニングを行いました。価格も、市場に求められるものに調整したつもりです。

――話を伺っていて、とにかく判断力と行動力がすばらしいですね。すし屋でおいしい日本酒に出会ってからわずか数年で、フランスでナンバーワンの日本酒ブランドにしたことも理解できました。でも失礼ですが、もともとは、門外漢、ですよね? 技術的なものも大変だったのではないですか?

稲川 私自身は日本酒に出会うまではコンサルタントでしたし門外漢でしたが、杜氏を含めてまわりのメンバ―は経験者で、一定の知識はありました。ただ正直、日本酒を造る環境はやはり厳しかったですね。こちらで米を育てても、それを磨く機材の調達がむずかしいし、米を硬水で仕込まないといけない。ワイン酵母のみで全商品を作っている蔵はうちしかなくて、そのこだわりでやっていたんですが、それが結構、大変でした。

――米はどこで育てていたんですか?

稲川 南フランスのカマルグです。日本酒に合う米をいろいろ試してみて、ヨーロッパのすし店で使われるイタリアが原産のジャポニカ米を使うことにしました。日本酒造りには使いやすいです。

――私は稲川さんの日本酒をまだいただいたことがないのですが、味わいはどうなのでしょう? 

稲川 海外に向けた日本酒の味わいといいますか、もともと日本と同じ日本酒を造ろうと思っていないんです。フランスのテロワールにあった日本酒になればいいとは思っていましたから。とはいえ、最初にフランスの人たちに言われたのは「味がくどい」というか「米ヌカっぽい感じがする」とか、「米の味が強すぎる」とか、そういうコメントが結構ありまして、それはネガティブな要素なので改良しなくてはいけないと感じました。そこで、果実味を求めるための米の磨きを多くしたり、米の品種も変えて、先に話したような白麹を使ったりして、ヨーロッパの方に好まれるような日本酒にチューニングをしていきました。1年くらいかかりましたね。

――そういうフランスの方のコメントはどこで集めるんですか?

稲川 夏の期間は日本酒が造れないので、その期間にフランス各地をまわって若い人たちを中心に飲んでもらって、意見を聞きました。果実味や酸味が欲しいといった率直な意見を聞いてから、2年目くらいにリブランディングをするタイミングでクラウドファンディングをして集金し、そこでデザインや味わいも変えてまた新たに挑戦して、今の酒の味になってきました。

――日本酒ブームだといわれていますが、フランスでもブームを感じますか?

稲川 いえ、まだブームというところまでは来ていないと思います。やはりフランスにはワインがありますし、保守的ですから。酒のカテゴリーのなかで日本酒が善戦しているというレベルだと思います。まだこれからじゃないでしょうか。

アジアの食への注目度の高さと
健康志向のリンクが日本酒ブームにつながる

――拠点をカリフォルニアに移されてますが、それも何かきっかけがあったのでしょうか。

稲川 フランスで日本酒を売っていて、軌道に乗り始めたところからアメリカへの輸出が始まったんです。それが思ったよりも早くアメリカでトントントンとビジネスができるようになって。これはどうしてだろう? と思ってリサーチに出かけたんです。最初は東海岸、そして西海岸へ移動して。インポーターと売り込みにまわってみたところ、日本酒に対する熱量は西海岸のほうが高かったんです。日本は日本酒の市場規模は大きいんですけど、やはり飲まなくはなってると思うんですが、カリフォルニアでは日本酒は新しいものとして、完全にマーケットにカテゴリーされていて、ヒットしている。それを目の当たりにして、日本酒の可能性を感じたということが大きいですね。ただ、いろいろ課題も見えてきて、それを解決するためには何かしら新しく大きな動きをしたいと考えると、大手と組むのがよいと思うに至って。

――そこで、宝ホールディングスと組まれたということですか。

稲川 はい。価格を下げるためには、ある程度、量を作らないといけないですし、圧倒的な技術力の高さなどの面でも宝さんと組むことにメリットがありました。実はちょうど1年前から情報交換はしていて、そのタイミングで話が進んだということです。宝ホールディングスの子会社で海外事業を展開する宝酒造インターナショナルの、Takara Sake USA Inc.と組んで、缶入りのスパークリングSAKE(清酒)「SummerFall」〈CLASSIC BUBBLES〉という日本酒が4月から販売となりました。

――カリフォルニアでも米を作って、そこで製造して、ですよね?

稲川 そうですね、フランスでもカリフォルニアでも、ローカルのものを使ってローカルの土壌らしいもの作りをしたいというコンセプトは変わりません。そういう意味で、フランスでやってきたことはとても意味があったと思っていて、ローカライズされたものに対する価値が見いだせたように感じています。そして、フランスはやっぱり「おいしさ」に対する強力なブランドがありますから、フランスで成功したことはアメリカで展開がしやすかったです。

――「SummerFall」の反応はどうですか?

稲川 おかげさまで非常に好調です。フランスでは1年目にコロナとぶつかって、もう悲惨な状況を経験しているからそう思えるのかも知れませんが、とにかく売れ行きがよいです。今後1年以内にさらに拡大したいし、エリアを絞りながら徐々に広く広げていきたいです。日本酒に関しては、今後もものすごく伸びていくと思っていますから。

――カリフォルニアで日本酒が支持されている理由をもう少し詳しく聞かせてください。

稲川 アジア人が多いことと、新しいものを積極的に受け入れようというカリフォルニアの気質があるからではないでしょうか。カリフォルニアには多くのアジア人が住んでいるので、アジアの食というものに対して非常に注目が集まっています。ここ4年くらいで、数十億から百億円の規模で大きく成長しているアジア系の食品ブランドもたくさんありますからね。そういうなかで、日本酒も注目されているんだと思います。カリフォルニアの、多少未完成でもどんどん取り入れよう! 応援しよう! という空気感に日本酒がささって、さらに伸びていったらいいと願っています。

あと、カリフォルニアを中心としてアメリカ全土で健康志向になっていることも日本酒に伸びしろが見える要因のひとつだと考えています。健康志向への勢いはものすごいですよ。そこにアジア系の発酵食品や発酵飲料がリンクしていきます。体型の細いアジア人は、アメリカ人にとって健康的なイメージなんですよ。「健康的な発酵飲料としての日本酒」という捉えられ方をされていく可能性は多いにあります。

――では、30年後の未来はというと。

稲山 間違いなく、健康志向がますます高まっているでしょう。昔はラグジュアリーというと、伝統的で重厚感のあるブランドの上になりたって、憧れとかきらびやかなもので、皆それをめざしていたようなところがありましたが、今のようにモノがある程度溢れるようになってくると、真のラグジュアリーは何か? と考え始めてくるでしょう。それはモノではなく精神であり、健康であることではないか? という考え方になっていくと思うんですよね。健康的で楽しく生きられることが一番素晴らしいことであり、そのために努力をする。

私は個人的に、日本酒はワインのような亜硫酸添加もなく、ビールと違ってグルテンフリーなので、とてもクリーンなアルコールだと思っています。アルコール自体は飲み過ぎると体にはよくないですが、色は透明だし、使っている原材料もシンプルで添加物もなくクリーンです。原料は米と水だけなのに、これだけ多様なフレーバーを持っている液体はなかなかないでしょう。

――健康志向に日本酒があってくるということですね。

稲川 アルコールに対するネガティブなキャンペーンも聞こえてきますが、飲む量のバランスが大事なのであって、お酒自体はこれからも飲まれ続けると思います。いずれは、アメリカの酒といえば、ワイン、ビール、そして日本酒になればいいですし、そうした時代はかならず来ます。それを、遠い未来ではなく、10年、20年で流れをぐっと引き寄せるリーダーでいたいと思います。

インタビュー:吉川欣也、土田美登世(構成含)

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