地球の歴史からみれば大きな変化はないが、厳しい自然と対峙してきた日本ならではのおいしさのワケを見直すことで、新しい食の個性も認められるようになる
話題の『「美食地質学」入門 和食と日本列島の素敵な関係』(光文社新書)の著者である巽好幸さんが本日のゲストです。大学で地球の進化や超巨大噴火のメカニズムを長く研究されていらっしゃいましたが、2021年に盟友のプロデューサー岡田一雄さんと「ジオリブ研究所」を立ち上げ、「地球」を核に考えるからこそ見えてくるさまざまなテーマを発信しています。そのテーマのひとつが食です。すべてのおいしさには理由があるというビジョンのもと、まずは日本からの発信として各地を訪れ、その土地に伝わる味を地質学の視点から解説しています。「和食は変動帯にある日本列島だからこそ作り上げられてきたものである」と、巽さんは語ります。億年という単位で地球を、大地をみてきた巽さんが見据える30年後の未来とは?
(たつみよしゆき)1954年大阪生まれ。理学博士(東京大学)。京都大学総合人間学部教授、同大学院理学研究科教授、東京大学海洋研究所教授、海洋研究開発機構プログラムディレクター、神戸大学海洋底探査センター教授、同大学高等研究院海共生研究アライアンス長などを歴任。水惑星地球の進化や超巨大噴火のメカニズムを「マグマ学」の視点で考えている。日本地質学会賞、日本火山学会賞、米国地球物理学連合ボーエン賞、井植文化賞などを受賞。主な一般向け著書として『地球の中心で何が起きているのか』『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』(幻冬舎新書)、『地震と噴火は必ず起こる』(新潮選書)、『なぜ地球だけに陸と海があるのか』『和食はなぜ美味しい –日本列島の贈り物』(岩波書店)『美食地質学』(光文社新書)など。NHKスペシャル「ジオ・ジャパン 」シリーズ、MBS「情熱大陸」など出演・監修、多数。(HPプロフィールより)https://geo-live.jp/about/
世界一の地殻変動国だからこその恩恵もある
――本連載のテーマが30年後の未来というひとつの区切りなんですが、1995年に阪神淡路大震災があって、2011年に東日本大震災があって、2016年に熊本地震があって、そして今年能登半島地震があって。この30年間で大きな地震が続いているように思うのですが。
巽 これまで被害にあわれた方々には心よりお見舞いを申し上げたいと思います。ただ、この30年が特別に多いというわけではなく、地質学的なタイムスケールでみると日本はこうした宿命を背負っている国ではあります。日本は世界一の変動帯にある国ですから。
――日本列島の成り立ちについてお話いただけますか?
巽 46億年前に地球が誕生し、38億年前に表層に海洋が登場し、という途方もなく長い歴史のなかで、地球上の陸地は海洋プレートの動きや火山活動などにより変動を繰り返してきました。今ある5つの大陸も、もともとはほんの小さな陸だったんです。それが離合集散つまり集まったり、離れたりして作られてきました。現在、我々が見ている大陸の配置は、2億年くらい前に一つの大きな「パンゲア」という大陸だったのですが、それが分裂していって、たとえば8000万年ぐらい前には北アメリカと南アメリカと、ユーラシア大陸、アフリカ大陸が分裂して、だんだん離れていって今のような形になりました。我々は、地球の中で繰り広げられている壮大なドラマの一つの瞬間を今生きているということになります。
――億年とか、万年という単位を考えると、30年という単位はホントにホントに一瞬ですね。
巽 日本列島に関しては、もともとはアジア大陸の一部だったんですけれども、2500万年ぐらい前から大陸が分裂して、日本列島が太平洋の方へせり出してきて、その後ろ側の断裂したところに日本海が生まれました。こうして今の島国としての日本列島ができ上がったわけです。そして300万年前には日本の南側にあるフィリピン海プレートの方向が、北向きから北西向きに大転換しました。これが今、我々が暮らしている日本列島の地殻変動や火山活動を引き起こしています。
――フィリピン海プレートというと、南海トラフの巨大地震を起こすという、あのプレートですね。
巽 そうです。フィリピン海プレートは日本列島の地下で太平洋プレートとせめぎ合って、その結果、押し負けてしまって方向転換しました。この転換によって、日本列島が地球上で一番、変動現象つまりは地殻変動や火山活動の激しい地帯となったわけです。それまでは比較的静穏だったんですが、300万年前から急激に東日本はギュッと押されるような、西日本は斜めに引きずられるような力が働くようになって、大きな変動が生じるようになってきました。地殻変動の結果で現れてきた地形や、気候風土、そこで生まれた人の営みのなかで、先人たちはいろいろな料理であり食文化を育んできたわけです。
――豊かな食の向こうに、人類にとっては過酷な歴史があったと思うと少々複雑な思いがします。日本が誕生してから2500万年のなかでは30年という期間は0.000001ほどですし、地球が誕生してからの期間を考えると、もう一瞬にもならないですね。頻発する地震でメディアでは地球の活動期になった! なんてあおっていますが、地球の歴史のなかでは繰り返されてきたことであり、冷静に捉えるしかないということでしょうか。
巽 大地震が起こるのはとても痛ましいことですが、日本が世界一の変動帯に位置している以上、それは受け止めるしかないです。でもそのことを悲劇とだけ捉えるか、恩恵と捉えるかによって未来は変わってきます。私は恩恵と考えることでいい方向に向くんじゃないかと思っています。世界一の変動帯ですから地殻変動によって当然、激しい地震が起きたり、火山活動が起こったりします。日本の先人たちはそうした自然と闘いながら、その中で生きていく術を探してきたわけです。そして前向きに生きてきて、時に戦いながらも自然と対峙し、育んできたものが、今の、というか伝統的な食文化なんだろうと思っています。ですから、30年でどう変わるか? と聞かれると、地球の大きな流れのなかでは全く変わらないとは思うのですが、先人たちの営みを、我々がどう受け止めて、それを今後30年どう発展させていくかというのは、とても重要で私自身も興味のある問題だと考えています。
火山があるところに息づく蕎麦文化
――今、巽さんは岡田さんと一緒に日本中をまわられていますが、こういう土地だからこういう伝統的な料理がある、というような印象深かったものを教えていただけますか?
巽 瀬戸内海や三陸、それこそ今回の地震の能登半島の地形が産んだ海の幸などはまさしくそうだと思うのですが、もう少し俯瞰で見てみると、蕎麦は興味深いですね。今、蕎麦が大ブームです。蕎麦はもともと、日本列島が火山大国であるからこそ生まれた食文化であり、生き延びる術であったと私は考えます。というのも、蕎麦の産地と火山の分布がとてもよく重なるんです。火山地帯というのは、火山灰が積もったり、溶岩があったりして、土壌的に見ると作物を育てるのには非常に不向きなところです。この土壌を形成する土を黒ボク土と呼ぶんですが、この黒ボク土に含まれるリンは植物がとりこめない仕組みになっているからです。
――植物が育つのに欠かせない栄養素のリンですね。
巽 そうです。ある鉱物のなかにリンが入ってしまっているから、リンが溶け出て植物に与えることができない。そうなると、黒ボク土ではほとんどの作物は育たないわけです。でも蕎麦は非常に特殊な根を持っていて、そういうやっかいな鉱物に入ってるリンも吸い上げることができる。だから人々は火山地帯で、しかも冷涼な場所で、米や麦が育たなくても蕎麦を育てて生き延びることができました。こういう歴史を知ったうえで蕎麦を味わうと、一段とおいしく感じるのではないですかね。香りやのど越しがどうのこうのとか、ツユがなんだと語るのも大事ですが、一番根本的なことは「なぜ日本で蕎麦を食べてきたのか。食べざるを得なかったのか」ということだと思います。これがわかっていれば、グルメというものが一過性のブームで終わらないし、何より食が楽しくなるでしょう。
――蕎麦の名産地というと信州が思い浮かびますが、やはりその辺りも火山帯でしょうか。
巽 そうですね。北アルプスは全部火山ですから、そこから出た火山灰が松本、伊那、長野盆地を広く覆っています。蕎麦しかできなかったというのがホントのところではないでしょうかね。いっぽうで関西から中国地方にかけては火山がほとんどない。そもそも黒ボク土がないから蕎麦文化圏ではないんですね。逆に申し上げると、だからこそ豊かな土壌があり、ヤマト王権が成立したということではないでしょうか。
――蕎麦のお話を伺いましたが、日本においては主食が米で、神様に捧げるのも米ですが、米を食するという文化について、地質学的にはどうお考えですか?
巽 米はもともと南方系ですので、温暖な気候が必要です。米が作られるようになった縄文時代から弥生時代の日本列島というのは、今に比べて気候が非常に温暖で雨も多かった。米の栽培に適した土壌ができ上った頃に米が大陸からやってきたわけですね。米を作れるところは非常に限られていて、水が豊かにあって土壌も肥えてないといけない。その条件が揃った日本の平野部での開拓が進み、田が作られて主食となっていったのでしょう。佐賀の吉野ヶ里あたりは、邪馬台国であったかどうかは別としても、筑後川が流れていて非常に豊かな土壌があって、内湾に森の栄養分が流れていって、海の幸が豊富にとれる。そんな場所に文明が花開いていったんだろうと思います。
島や半島の隆起による海の恩恵
――今回大きな被害を受けた能登半島あたりはいかがでしょうか。
巽 能登半島や男鹿半島、新潟沖の粟島、山形沖の飛島、佐渡といった、日本海に飛び出している半島や日本海に浮かび上がっている島というのは、食材の、特に海の幸の宝庫です。この状況には、先ほど申し上げた300万年前にギュッと押された力によって日本海に隆起が起きて、島々ができて半島が飛び出したからという背景があります。能登半島は半島として突き出ているために海流がぶつかって栄養分の豊富な深層水を取り込むことができます。その恩恵を受けているのが岩ガキです。岩ガキは5メートル以上の深いところに棲んでいるので日光は届きません。そうなるとエサとなるプランクトンは本来少ないのですが、深層水がプランクトンを育む栄養分を運んでくるので深い海でゆっくり育つことができ、ミルキーで爽やかな味の岩ガキになります。岩ガキにかぎらず、おいしいものにはすべて、地質がもたらしてきた物語があります。我々はそういう恩恵を当たり前のようにずっといただいてきたわけです。
――まさにテロワールですね。非常に興味深いお話です。
巽 地震に話を戻すと、地震というのは土地を隆起させて半島を飛び出させることであり、それによっておいしい海の恵みにありつけるのだということを、改めて認識したほうがよいと思いますね。今後、能登の復興を考えていくときにも、こうした地質学的、歴史的、な背景を踏まえて食文化の復興を考えていかないと、観光的なものばかりでは浅くて深く根づかず、一過性に終わってしまう恐れがあります。
――文化的にも地に足のついた復興支援をしていかないとダメだということですね。
巽 物品や人的支援ももちろん大事ですが、復興を願いながら能登半島周辺の地形を思い、日本列島全体の歴史や地形を意識して食文化を捉えてみる。地震と食、そして被災地と我々といった文化的な共生関係も必要な時が来ているのだろうと、能登杜氏の醸す日本酒を飲みながら思う今日この頃でございます。
――(笑)。日本酒お好きなんですね。日本酒も土地の味だとよく聞きます。
巽 日本酒の話はまた今度(笑)。日本全体のことをいうと、日本の食の動きをみていると、東京を中心としたある種のグルメブームで平均化されてきているように思えます。日本列島で生まれた地域特有の風土で育まれてきた食文化を早急に見直さないと、多様性もしくはその根幹にある人の営みそのものが忘れ去られていくのではないかと危惧しています。この流れがそのまま続いていくと、それこそこれから30年後どうなっちゃうんだろう? と心配ですよ。
――心配といえば、いま温暖化がいわれていますが、やはり地殻変動も大きく関わるんですか?
巽 もちろんです。海水温が上がって氷が減ってくると、当然、水面が上がってきますし、大地も変わる。本来の海水面の変動のリズムなりメカニズムなりが、人間の影響で狂わされているとしたら、私は非常に強い抵抗感があります。ですが長い歴史のなかで氷期と温暖化が繰り返されてきたことも事実です。先ほど縄文・弥生時代は温暖化で雨も多かった時代だったと申し上げましたが、それは間氷期といわれる氷期と氷期の間の、いわば温暖化した時代なんです。その時代にいろいろな文化が育まれて豊かな農業生産が広がっていきました。そう考えると、地球が本来持っている姿のなかで食文化は捉えていくことがごく自然なことだと思いますね。やはり、地球の息吹、息づかいは大切にして考えたいです。
おいしいものにはワケがある。そのワケを考えた地域振興を
――それとはちょっと真逆にも思えるフードテック的な流れがあるではないですか。それはどうお考えですか?
巽 そのこと自体は別に悪くないというか、いいなと思うことはあります。食材の確保という意味ではとても重要だと思います。ただ少しでも頭の中に置いておきたいのは、フードテックでもなんでも、野菜のような素材を前にしたときには、その野菜はもともとどこでどういうふうにして育ってきたものであるかを知ることだと思います。環境さえ整えば、これからの時代はどこでも何でも育つかも知れない。でもだからこそ、野菜の背景と、その野菜が人々の生き方をどう支えてきたのかを知っておくことが重要ではないかと思います。フードテックよりも、それを使う人間のほうが心配です。
――具体的にはどういうことですか?
巽 流されるやすいことです。単に流されてフードテックで野菜を作る。その野菜をなんとなく食べる。流行っているから食べる。みんなが言うから食べる。まわりに流されるのは楽ではあるけれど、それは個性を失うことであり、多様性も認めないことにつながっていきます。ここ最近ブームになっている国産のワインやクラフトビールもそう思います。がんばって作っている生産者ももちろんあるのですが、流行っているからなんとなく作っている人も多い。地域振興をうたっていながら、おそらく彼らはワインとビールとそれを育む地質の関係をきちんと説明できないと思いますよ。
――地域の名産をうたったワインやビールはこの10年で一気に出てきましたね。
巽 わかりやすいからね。でも、本来、ブドウが育たないようなところで無理に育てたり、軟水がおいしいエリアでペールエールを無理して作ったりしなくてよいと思います。日本ではブドウといえば山梨が一大産地ですが、なぜ山梨がトップであるかというと、それは明らかに、地殻変動で南の島からやってきた伊豆半島がぶつかったことです。それによりあそこに盆地ができて、寒暖の差が激しくなり、乾燥気候になった。これがブドウにとって好条件だったわけです。そうでないところでもブドウは育ちますし、ある程度の技術があればある程度のワインはできます。でも無理して作ったものが果たしていつまで続くのでしょうか。30年後もあるかどうか。硬水が必要なペールエールを作るために、地元に湧く軟水を無理矢理硬水に変えて、それでいてボトルに「地元のおいしい水を使った」なんて書いてあるんだから、本末転倒です。どうしてもビールが作りたければ。軟水で作るピルスナーにすればいい。地域特性とは何かを改めて考える必要があると思うのは、そういうことです。
――それこそ、昨今はローカルが流行していますが、それが流行りもので終わらないために。そして日本の食文化をきちんと伝えていくためにどうすればよいですか? おいしいものをどう伝えていけばいいのでしょう。最後の締めでお願いします。
巽 簡単なことです。まずは心からおいしいと思えるものを自分から求め、「なぜおいしのだろう?」を考え続けて欲しいと思いますね。究極のおいしいものを探せといっているのではなく、お母さんの味的なものでもいい。昔から作り続けてきたものには、絶対にワケがある。地域振興をしたいのなら、まずは地元の素材の背景を見直して欲しいです。日本人特有の自然に対する畏敬の念のようなものを持ち続けることです。これは私自身にも課しています。そうすることで、世界の中の日本の位置づけも見えてくるのではないですか? 世界に目を向けて、なぜ地中海沿岸でパスタなのか? の理由を考えてもいい。なぜ? を考えながら、おいしさの原点にもどって、素朴なおいしさを求めて考え続けていければ、30年後はそこから新しい個性が出てきて。いろいろな多様性も持ちつつ、過去の伝統も踏まえていけるようになるんじゃないかなと考えています。ちょっと偉そうに言っちゃったけどね。
インタビュー:吉川欣也/土田美登世(文・構成含)