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若林正恭のnoteを購読して感じたこと

この内容は「 若林正恭の無地note 」の本文・内容に関する記載は一切ありません。あくまで購入し、読んだ私が感じた、全く別の話しついてです。
「若林正恭のnoteが読みたいけど1000円か、タダで転載ないかなー」と思われて探されている方、ここにはありません。そして多分、他にもありません。諦めてください。

この度、私はオードリーが好きで、特に若林正恭さんが好きで。特に特に彼から出る言葉が好きで、文章が好きなので「 若林正恭の無地note 」を購読しました。
「社会人大学人見知り学部 卒業見込」は私が社会人2-3年目だったこともあり、強く共感しました。でも、
あたしの方が若林より少し大人かな?
なーんて、当時は下に見ていた部分もあったのです。
しかし近年、若林さんから出る言葉・綴る文章からは明らかに自分より先を歩いていることが分かります。
私にはない視点、私にはない相手への思いやり、気遣い
圧倒的に私より大人なのです。
若林正恭さんが先頭に立って、旗を振って先陣を切っているジャンヌダルク(あの有名な絵画)の如く先を示してくれる!と思っていたところへ「 若林正恭の無地note 」だったので迷わず購読しました。

そして読みました。

そして思うのです。
100%同意はできないな。と。

これは若林正恭さんだけに限らず、大好きな星野源でもオダギリジョーでもすべての物に対して言えることなのですが
私は「大好きな人の言っていることに100%同意はできない」のです。
これを現実世界で人に言うと「実はそんなに好きじゃないんでしょ?」「本当に好きならすべてを受け入れられるはず」なんて言われてしまいすので、口にはしません。
それに、もしかしたら私は「そこまで人を好きになれない」人間なのかもしれないし、ただ狭量なだけなのかもしれないから。

でも、でもね、と問いたいのです。
大好きな人の理解できない部分があったらいけないの?
大好きな人のすべてを肯定してあげないとファンを名乗ったらいけないの?
人間って一貫性からほど遠い生き物(愛読書:ハンター×ハンター より)だと思っています。
「この人の笑顔と歌と醸し出す雰囲気が大好き」な気持ちと
「でも演技しているところは微妙」な気持ちと
「話は下手だな、退屈だな」という気持ちは同居できると思うのです。
そこの好きな人のすべてを肯定しているあなた、
本当ですか?落ち着いて。
すべての発言を肯定するってことは、
「その人が言ったことが全て正しい=その発言は正しい=同じ発言をしている人も正しい」になりませんか?その好きな人が言っていること、ホームレスのおじさんが言っていても100%同意できるの?
それに例えば、好きな人がコシの強い讃岐うどんが好きで、あなたがコシのない福岡うどんが好きだった場合、どうするの?

じゃあ、せっかくだしコシの強い讃岐うどん食べてみようかな。
ちゅるーん。
A_あれ?意外とおいしい!これはこれでありかも!
最高のパターンです。
B_あー、やっぱりいまいちだな・・。
これ!この自分の気持ち!大事にしませんか!!!

「大好き_でもこの意見は違う」
これって当たり前だと思うんです。
そして、若林正恭さんは自分のファンが「大好き_でもこの意見は違う、この一部は違うと思う」と思うことすら、肯定してくれる。いや、当たり前だとすら思ってくれていそう。
そんな風に、「 若林正恭の無地note 」を読んで感じたのでした。
とても、楽しく愛読しています。おススメです。

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