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第14回 2001年の『オデッセイア』


 『2001 キューブリック クラーク』と言う本の、冒頭の一節。

 20世紀はホメロスの『オデッセイア』の偉大な現代版を二作生み出した。まずはジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』、(中略)もう一つが、スタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークが生み出した『2001年宇宙の旅』だ。


 …そう。以前私が勝手に作った「ユリシーズ・ユニバース」なるものに、加えようかどうか、迷っていた作品がありました。やっぱりこの際なんでユニバースにくわえてやることにします(何様?)。で今回ご紹介させていただきます、それがこの、1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』です。



  これは20世紀の『オデッセイア』の翻案作と言って良いと思います。ジョイスが、『オデッセイア』の舞台を1904年のダブリンで描いたのなら、『2001年〜』の舞台は2001年の宇宙です。 そしてダブリンのオデッセウスがレオポルド・ブルームという名の、なんか頼りない中年男性なら、宇宙のオデッセウスは美形で頭もキレる宇宙飛行士デイブ・ボウマンです(映画ですから)。



 1964年。
 監督権原作者のキューブリックと共同原作者のクラークが、この映画の筋を模索し始めた頃の話。二人はある研究書に出会いました。それはジョゼフ・キャンベルが書いた『千の顔を持つ英雄』と言う本です。古今東西のあらゆる神話や御伽噺の構造を研究した本です。それを読んだ彼らは、神話に出てくる「英雄の冒険譚」を探求することにしました。キャンベルの著によれば、それには

「出立→通過儀礼(人生の試練に向かうこと)→帰還」

が必ず含まれているという。この三位一体の構造は、「単一神話の中核単位」と名付けられるそうです。
この単一神話とは、「貴種流離譚」や「モノミス(モノリスではありません)」とも訳され、

「ある若者が他郷にて、試練を乗り越え、逞しくなって帰還する」

物語構造を言います(奇しくも、この「モノミス」なる言葉は、ジェイムズ・ジョイスが『ユリシーズ』の次作『フェネガンズ・ウェイク』にて、発明した造語だそうです)。
 新しい冒険譚を作り出そうとする過程で『オデッセイア』にたどり着くのは、至極当然、まさしく温故知新ではないでしょうか。

 というかこのひな型、21世紀の現代でも、全然有効です。皆さんが思い浮かべてみた映画や漫画、エンタメ小説に当てはめてみてください。

 そんな彼らキューちゃんとクラくんはこの作品で、単なる一人の英雄の冒険譚ではなく、ヒトザルから始まる、人類の300万年とも400万年とも言われる歴史まで描いてみせた。
キー・ワードの一つに「暴力」あるいは「武器」があります。映画第一幕目、ヒトザルどもが人類最初の武器として発見したのは「動物の骨」でした。その硬いものを降れば、邪魔なやつを排除できる、こりゃええのぉ、ってわけです。
 そして映画は、400万年の時をジャンプ・カットして現代が映されます。そこに映されているのは現代の武器、その象徴として核ミサイルです(あの白い物体は宇宙船ではなく、核ミサイルです。ミサイルに見えないので発射船かな?)。

 BC300万年→硬い骨(人類の出立)
AD2001年
には→核ミサイルまで進化してる。というわけです。

 
さて、
叙事詩『オデッセイア』では、英雄オデッセウスは旅の途中、単眼巨人キュクロプスの攻撃に会います。


オデに一個しかない目を潰される気の毒なキュクロプス。


それを『2001年~』ではスーパー・コンピュータHAL9000として登場させています。


身体的には大きく強いキュクプロスはおつむは空っぽです。それの真逆で、HAL9000は身体的はどこも動きませんがものすごく頭がいい。その頭脳を使ってデイブ・ボウマンを殺そうとします。しかしボウマンも強者でした。最後の知恵を使い、その危機を脱した彼は、HALを負かします(通過儀礼)



 そして、勝利者ボウマンは「単一神話」の型通り英雄として地球に帰還…、するのですが、なななんと英雄を飛び越えお化け赤ちゃん…、じゃなかった「超人」に変身するのです!
なんで突然⁉︎ 映画では説明していませんが、これは宇宙人の策略とのこと。どうやら全ての顛末(ヒト猿が用いることとなった硬い骨云々も含めて)を、宇宙人がどこからか観察していたらしいのです。そしてコンピューターを打ち負かしたボウマンは、地球の勝利者として、スター・ゲート(あのサイケな虹色の空間)に突入します(吸い込まれる?)。そして着いた先は、宇宙人のアジト(多分。でも宇宙人は画面に出てきません。確か制作の段階で、デザイナーが色々作ってみたけど、どれも納得のいくモノじゃなかったから、やめた。ということじゃなかったかなあ)。

「やっぱ、地球は君たち人間のものだよ」

 宇宙人は、戦いに勝ったボウマンを新しい地球の担い手(…※征服者?)として選んだのです。
その場所で突然ボウマンは老人に変貌します。これは人生の終わりを意味している。なぜかって?
 もう人生は終わりにして、次の新しい生命体として生まれ変わるためです。
 それがあの赤ちゃんであり、「超人」というわけです(帰還)

 そこで映画は唐突にジ・エンド。

 でも、「超人になったから、それで?」、という気もします。何が偉いねんというか。

 実はこの映画、当初の案ではその後続きがあった。この映画の小説版では、最後の章にこう記されています。
  
 (彼は)千キロ程下方の気配が意識に入った。軌道上で微睡んでいた死の積荷が(中略)。彼は綺麗な空の方が好きだ。(中略)空を飛ぶメガトン爆弾に閃光の花が咲き…云々。

 これは、「地球から千キロほど離れたところにいる超人は、その周りでうろちょろしてる核ミサイルが、どうにも目障りだった。で(殴ったかなんかして)排除した」、ということだと思われます。



赤ちゃんんが核ミサイルをぶっ壊す。…見たかった!


 これは1968年当時の映像技術では、描くのが難しく、撮影を諦めました。
 で、なんだかすごいのはわかるけど、何が言いたいのかわからん映画になっちゃった。でもその難解なところも『ユリシーズ』に似ていますね。


水木先生の『ゲゲゲの鬼太郎』も加えていいですか?

続く。



 ※ちなみに、現在地球上で最も多い生物(人口は約80億)は、オキアミと呼ばれるプランクトンだそうです。…そんなもんと比べてもなんなんで、みなさんご存知、蟻さんですが、その数20,000,000,000,000,000匹だって。
 …まあ、これも、だから? って気もしますが。

 てか、地球をダメにしてるのは人類に他ならないんですけど…。


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