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セルフプロモーションをしない言い訳

 最近、ここ数年関わっている舞台演出家に言われたこと。

「君、事故から復帰したんだし、それで舞台美術作ったりしているんだから、いっそ事故で両手動かなくなったけどリハビリで乗り越えたアーティストとして売り込めばいいじゃん、それで作品をメルカリで売ればいいじゃん、30万で」

 まあ冗談なのは勿論だが、セルフプロモーション、セルフプロデュースしないとハネないのはわかっている。
 全聾であると売り込んでゴーストライターの新垣隆に『鬼武者』とか交響曲とか書いてもらったりした作曲家とか、スポンサー集めやパフォーマンスばかりで無茶な登山計画を繰り返して凍傷で指9本失った挙句に山で亡くなった登山家とか。それらは極端にしても、大なり小なり個人のストーリー性、ドラマ性があった方がウケるのはわかる。

 でもそういうことに必死になる人を遠目でも近場でも見て自分を売り込むのなんて不毛で馬鹿らしいと思ってしまうようになったのかもしれない。

 同じ頃、久々に会った地元のアマチュア演劇でベテランの方から言われたこと。

「君、昔は舞台に立っていたけどなんでやらなくなったの?」

 簡単だ。自分じゃ集客が見込めないからだ。昔の自分や素人よりは演劇演技のなんたるかをわかってはいるが、演技力も見た目も可もなく不可もなく、代わりなんて幾らでもいる。それにプライベートでの繋がりも少ないし人と仲良くしようとしない。家族友達その他知り合いに公演に来てくれなんて言わない。多様性の時代にわざわざ金と時間のかかることを人に押し付けたくない。そのため目的で人との繋がりを作りたくない。チケットノルマがあるようなのに参加したことはないが、そもそもしたくない。
 もしも仮に自分が舞台に立てばチケットの売り上げが跳ね上がってファンがワーキャー言ってくれるならやるのかもしれないが、それはそれで責任やプレッシャーがキツそうだし。客出しの時に一体どんな対応すればいいのか。万人、誰に対しても愛想よくするなんてできない。

 そんなだから今のスタンスで演劇活動は細く長く続けているが、別にいつでもやめてもいいとも思っている。続けているのは一緒にやっている人達への義理なりなんなりがあるのと、とりあえずやれることがあるからだ。
 簡単な映像や画像や音響の編集をして、即席で小道具を用意して、緊急で前日当日に来て音照の操作をして… 他に代わりがいないわけではないが自分がやるのが一番都合がいい。金で解決しようと余所に外注したら無駄に高くつくことをこなす。ただそれだけ。クリエイターとかアーティストとか演劇人ではなく作業要員、そんな認識でいる。

 あんまりよくないんじゃないかなあとは思っている。自分が謙虚もとい卑屈なのと、学生の頃から役者にしても脚本演出にしても「オレがオレが」とやりたがるが行動で示さない、責務を果たさないタイプを心底軽蔑していたのもあるが、セルフプロモーションする努力をしない、あるいは才能がないことへの言い訳にし過ぎなのではないかと思う。
 演劇に限らず、創作において、ひいては人生において。

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