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あなたは、私の「理想の父親像」そのものでした

昨日、今シーズンで退団することとなった阪神の能見篤史選手が甲子園で最後の登板をした。ずっと前から退団の報道は出ていたので覚悟はしていたけれど、いざ最後のマウンドで投げる能見さんの姿を見たら涙が溢れて止まらなかった。特に二球目で往年の美しいワインドアップの復活させたあたりから、視界が歪みすぎて投球内容はほとんど頭に入ってこなかった。

能見さんは私にとって、特別な選手のひとりだ。パはホークス、セはヤクルトのファンで、普段から菅野(巨人)や大野(中日)の話題が多いので能見さんファンと言うと驚かれるが、かれこれ5年ちかくずっと大好きで3年前にこんなnoteも書いた。

私に新たな野球の楽しみ方を教えてくれた人

能見さんを好きになったきっかけはシンプルで、「顔がかっこよかったから」。塩系の端正な顔立ちと長身のすたりとした出で立ちは、入団当初から「虎のプリンス」と呼ばれ女性ファンからの人気も高かった。いつも淡々としたポーカーフェイスも、ミステリアスな魅力に一役買っていたような気がする。

きっかけは顔だったけれど、能見さんに深くハマったきっかけは「ワインドアップ」と呼ばれる独特の投球フォームだった。正式にはワインドアップは足を下げる動作なので腕の位置はあまり関係ないのだが、鶴のように凛と伸ばされた両腕から繰り出される投球は、野球に詳しくない人にも伝わるほど美しく、私もあっというまに魅了されていった。

振り返ってみれば、ピッチャーの投球を数字の結果ではなくフォームの美しさまで見て評価するようになったのは、能見さんの影響が大きかったように思う。球種や配球がわからなくても、ひとめ見ただけで「ああ、なんて美しいんだろう」と思える投球をする選手がいれば、野球に詳しくなくても楽しみの幅が広がる。

能見さんは、私に新しい野球の楽しみ方を授けてくれた人だ。

そこから能見さんにハマっていった私は、ことあるごとに能見さんの試合を見に行くようになった。甲子園にはなかなか行けないけれど、神宮や東京ドームで能見さん先発の日はどうにか都合をつけて見にいった。

前述のnoteを書いた2017年頃は今ほど収入も安定していなかったので、立ち見や見切れ席の安いチケットを駆使しながら、美しい投球に見惚れる時間を過ごした。たとえ豆粒くらいのサイズでしか見られなくても、能見さんの投球と時間を共有していることが嬉しかった。

能見さんは、決して球界を代表するような派手な選手ではない。しかしいつも淡々とポーカーフェイスでマウンドに立ち、安定した成績を残せる中堅として重要な立場を担ってきた。

さらに近年はベテランとして、新人投手のお手本や若手捕手の教育係でもあった。能見さんは多くを語る人ではないけれど、いつも安定して結果を出すために努力する姿は若手投手陣の模範になっていたと聞くし、その人柄もあってか若手捕手と組む機会も多かった。

言葉ではなく背中で語るベテランの姿から学んだことは、今すぐではなくきっと3年後、5年後にじわじわと効いてくるのだと思う。能見さんは「自分で気づくこと」を大事にしていた人だった。

プロの世界では、頭で理解することとその理論を再現することの間には大きな隔たりがある。花開くまで時間がかかった苦労人の能見さんは、その違いを誰よりも理解していたのだと思う。

特に緊迫した場面でも通常通りのパフォーマンスを出すには、ひたすら場数を踏んで自分の引き出しを増やし、自信を構築するしかない。それは「こうしたらいい」と教えれば一朝一夕で身につく類のものではないため、努力しつづける姿勢を見せるしかない。

そして若手が失敗してもカバーしてあげられるだけの力を自分が身につけ、彼らが挑戦しやすい環境を整えてあげるくらいしか、先輩にできることなんてないのだ。

能見さんの姿勢は、プロの厳しさを教える優しさに満ちている。後ろからそっと支えるようなリーダーシップに、私はどんどん惹かれていったのかもしれない。

まるで、ひよこがはじめて見たものを母と認識するように

私はこれまでも折に触れて、能見さん以外にも様々な選手の魅力を書いてきた。それぞれ特性も惹かれるポイントも異なるが、好きな選手のタイプは能見さんの影響を大きく受けているように思う。

ひよこがはじめて見たものを母と認識するように、能見さんが私のひとつの理想の型になっている。

ちなみに能見さんは、選手としてだけではなく愛妻家エピソードや子煩悩エピソードにも事欠かない。

そしてちょっとズレてるというか天然爆発することろも愛されポイントである。

これらのエピソードも、野球選手としてだけではなく、人間・能見篤史が好きな理由のひとつだ。

父と呼ぶほど年齢は離れていないけれど、野球ファンとして新たな境地を切り開くきっかけとなり、理想の父親像でもある能見さんは、私にとって「野球界の父」のような存在だったのだなと思う。

寡黙だけど、背中で語って家族を引っ張っていってくれる人。
能見さんには、「父」という言葉が似合う。

だからこそ、能見さんの退団は単なるいち選手としてではなく、私の中でひとつの時代が終わったような感慨があった。
いうなれば、父親が定年を迎えたような感覚。
お疲れ様という労いの気持ちと、これまで私たちを支えてくれた感謝と、今の役割が一度終わりを迎える切なさと。

奇しくも私の実父もちょうど還暦で定年を迎えたこともあり、ダブって見えた部分もあるような気がする。
もちろん現代の還暦は即引退ではなくほとんどが再雇用で働き続けるし、能見さんもおそらく他球団で第二の人生がはじまるはずだ。定年を迎えたからといって終わりではないし、次につながる希望もある。

でも、これまでひたすらに自分を守ってくれた存在が加齢によってその役割を果たせなくなり、ピークの頃とは異なる役割にシフトしていく姿に寂しさを感じることもまた事実だ。

まだ能見さんの野球人生は続くとわかっていても、縦縞姿の能見さんはここで一度終わるのだという区切りに際して、つい泣いてしまうことは許してほしい。違うユニフォームに袖を通した姿にもしばらくは切なさを感じるだろうし、慣れるまでは多少めそめそすることもあるだろう。

そしてたとえ来年も野球を続けられたとしても、41歳の年齢が巻き戻ることはない以上、数年の間に「別れ」の本番はくる。

でも、そう遠くない未来に、私たちの "能見さん"という習慣が打ち崩される日がくる。

あと何回、この佇まいを見ていられるのだろう。
あと何回、先発として甲子園のマウンドに上がれるのだろう。
あと何回、お立ち台で微笑む姿を目にすることができるのだろう。

あと何回、あと何日。
ベテラン選手の応援には、いつもカウントダウンがついてまわる。
毎回、「これが最後かもしれない」と思う。

昨年番長が引退したときもだいぶ大泣きしたけれど、能見さんが引退する日のことを考えると今からすでに胸がつぶれそうになる。

誰にだっていつかはくるものとはいえ、あと数年はこのままでいさせてほしい。(「アイラブノウミサン!遅咲きのエース・能見篤史へのラブレター。」より)

シーズンが終わって来年の去就がニュースになる時期は、毎年経験していてもやっぱり慣れない。毎年誰かしらを見送らなければならないし、いちいち泣いていたら体がもたないとわかっていても、やっぱり悲しいものは悲しい。時間なんて進まなければいいのに、来年もまた同じメンバーで野球ができたらいいのに、と無茶苦茶な願望も抱いてしまう。

でもどんなに願っても時間は止められないから、私たちにできるのは悔いのないように好きな選手の試合に足を運び、声を枯らして応援することだけだ。

ちなみに能見さんは「球児と違って、ヤジは凹みます笑」とのことなので、能見さんの元気がでるように今後も「アイラブノウミサン!!!」が伝わるような応援がしていけたらなと思う。応援の声に左右されず淡々としているのが好きなところでもあるけれど。笑

来年も再来年も、そしていつか選手として引退する日がきても、能見篤史という人が幸福でありますように。新天地での活躍を心から期待しています。

せーの、

\ウィーラブノウミサン/

(カバー画像:極トラ・プレミアム(日刊スポーツ)公式Twiterより)

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