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孤独感と仮想敵

ずっと見よう見ようと思っていたドラマ『フェイクニュース』をやっと全部見終わったのだけど、個人的に今年マイベストドラマといっても過言ではないくらい面白かった。

フェイクニュースは誰か1人の悪者が作り出しているわけではなく、無責任で利己的な私たち1人1人がそこに加担していること。

現実世界で証拠とされるようなものも、いくらでも捏造が可能だということ。

そして何より、『普通の人』がちょっとした出来心で人生が崩壊する可能性があるのが現代だということ。

私自身メディア企業に勤めつつ、(人よりちょっと多めに)SNSを活用しているだけあって、明日は我が身と思うようなリアリティがあった。

印象的なシーンはいろいろあったのだけど、ラストスパートで狂乱のような状態になってしまった時の東雲の心の迷いやその後をあえて書かずに時間を経過させたのがリアルだったなと思う。

東雲のやったことが正しかったのか、正義とは何なのか、伝える仕事の意義とは──。

それは、呆然と立ち尽くす彼女とともに私たち自身が考えなければならないことなのだろうと思う。

そして一番印象的だったのは、終盤の『私は、味方がほしかっただけだったのかもしれない』というセリフだ。

ネット上であるバッシングが膨れ上がって暴走するとき、その対象を一緒に糾弾する私たちはみな『仲間』になる。

あいつは悪いことをしたのだからバッシングを受けてもしょうがない。

そんな言い訳とともに、『私たち』は連帯して石を投げる。

本来、相手の罪と自分の断罪の権利はまったく別物のはずなのに。

こうした正義の傘を着た糾弾は憂さ晴らしや暇つぶしだと言われることが多いけれど、前述のセリフで気づいたのは、その行為の源泉が実はもっと切実な『孤独感』からきているのではないかということ。

仮想敵を作り、共にそれを倒そうとすることでしか癒せない孤独感がある。

それがSNSにおける過剰な反応の正体なのではないだろうか。

ここでいう孤独感とは、家族や友人が物理的にまわりにいるかどうかではなく、自分の考えや思い、感情を共有できるかどうかを指している。

他者に共感や理解を求めたとき、相手に拒絶される可能性が低く、一緒に『だよね〜』と言い合えるネタ。

それがわかりやすい悪者を糾弾することなのだろうと思う。

もちろん一切人の悪口を言わない聖人になることは難しいし、身近な人の愚痴を共有せずにはいられないときもあるだろう。

ただ、その悪意がネットの広大な海の中でつながりあい、増幅したとき、自分たちが思った以上に強大な力を持つようになってしまう。

そしてその刃は、いつ自分に向くともわからないリスクを孕んでいるのだ。

私も仕事として文章を書くようになって気づいたけれど、ファクトを丁寧に洗って真実かどうかを精査することは面倒だし、コストがかかる。

そんなコストをかけずとも、わかりやすく数字がとれればいい、自分の利益になればいいという個々人の無責任な行動がフェイクニュースを生み、本来受けるべき罰以上の損失を与えることがある。

日々私たちが消費しているニュースの裏側でも、そうして謂れなき罪や勘違いによって辛い思いをしている人がいるかもしれない、ということに時々は思いを馳せてみてもいいのではないだろうか。

ただ、人は極力考えたくないし、すぐに簡単にわかりたいと思う生き物でもある。

つい目の前のニュースに脊髄反射で言及しようとしてしまいそうなとき、私はいつも小林秀雄が語ったこの一説を思い出す。

信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。
知るということは、万人の如く知ることです。
人間にはこの二つの道があるのです。
(中略)
僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。
しかし、責任は取ります。
それが信ずることなのです。
信ずるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるのです。
そうすると人間は集団的になるのです。
自分流に信じないから、集団的なイデオロギーというものが幅をきかせるのです。
(小林秀雄「信ずることと知ること」)

自分は今、自分流に信じているか。

その問いは一見孤独なように見えるけれど、自分の考えを正しく言葉にする能力さえ身につければ、ただ表面的な共感を得るよりもはるかに孤独を癒す行為だと思う。

『正しく伝わる』ことの喜びは、それだけのインパクトがある。

孤独を癒すために徒党を組むことは、何かの拍子に意見の相違が起きた時に自分が攻撃対象となる可能性を孕む分、むしろ孤独を深めてしまうことがある。

本当に孤独から解放されるためには、自分流に信じるために一度孤独を経験する必要があるのだ。

『自分は今、何を信じているのか』

おおげさに聞こえるかもしれないけれど、私たち一人一人が発信者になった今、本当の意味でリテラシーを身に着けるということは、何かあるごとに立ち返るべき自分の信念を持つということなのではないかと私は思っている。

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今日のおまけは、無料部分に関連して『自分流に信ずる』ための私なりの考え方について。

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Retail Futurist / curator。「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。 将来は世界一の店舗メディアを作る予定。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!
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