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プラトン著 国家

ーーー正義についてーーー

第1章    1〜44p

ソクラテスとケパロスの対話によると、人間の性格こそが豊かにしているという。また、端正で自足することを知る人間であれば老年でもそれほど苦にならない。その逆であれば、老年であろうと、青春であろうとつらいものになるということだった。

しかし、ふつうのひとはケパロスが老年に堪えておられるのは性格ではなく財産のおかげだ思うだろう。そこでケパロスの財産事情を訊いてみると、どうもケパロスの祖父が多くの財産を持っていて、父が少なくしてしまったという。
そして、ケパロス自身は半分を相続、もう半を自らの手によって得たといっている。
そこでソクラテスはケパロスのお金に執着しない性格は、大体の場合、相続によって起きると考えていたがどうもケパロスはお金に執着していないので変だなあと思う。

そこでソクラテスはケパロスに質問する。
ケパロスが財産をたくさんもってよかったと思うことで、一番大きいことはなんですかと。
そこでケパロスは詩を持ちだして説明する。

“甘い希望が その人につき添って
心をはぐくみ 老いの身を養う
その希望こそ 何にもましてその人の子の
気まぐれな想いをみちびくもの”

ピンダロスの詩

ケパロスは立派にきちんとしたひとにとっては、不本意ながらにせよ誰かを欺いたり嘘を言ったりしないとか、また、神に対してお供えすべきものをしないままで、あるいは、人に対して金を借りたままで、びくびくしながらあの世へ去るといったことのないようにするためにこそ、お金の所有は大いに役立つのである、と言った。

ソクラテスは「ほんとうのことを語り、あずかったものを返す」ということが正義でないという。というのも、狂った相手にそれをしてしまうと正義でなくなるからだと。

そこで話し手が変わり、ポレマルコスに相手が変わる。そこでポレマルコスはシモニデスの引用句をもちだす。

“それぞれの人に借りているものを返すのが、正しいことだ”

シモニデスの格言

やはりしかし、これでは狂った者にこれを返すのは正義ではないといい、ポレマルコスはさらに付け加える。
シモニデスの考えでは、人は本来、自分の友に対して、何か善いことをなし、悪いことをけっしてなさぬということという。
そこでソクラテスは要約して、「それぞれの相手に本来ふさわしいものを返し与えるのが正しい」ということだとする。

そこでソクラテスは技術一般のことを例に挙げる。医術は身体に対して薬や食べ物や飲み物を与える技術であり、料理術はうまい味を与える技術であることである。
そこで、正義はそもそも、何に対して、何を与える技術のことであるかわからないと言う。
それに対し、ポレマルコスは友に対して利益を敵に対して害悪を与える技術だと言う。
そこでソクラテスはさらに話を進める。
正義は組んで何かをする場合、正義の人はその他諸々の技術に劣るのではないかという。
そこでポレマルコスは正義はお金に関することの場合で有用という。
そこでソクラテスは平和であり組んで何かをする場合、正義は他の技術に劣ってしまい、正義はお金が不用であるようなときにこそ、はじめてそのために有用であると言う。
なぜなら、使用にあたっては他の技術に正義は劣ってしまい無用であり、不用にあたっては有用なものであるからだ。

そのようなわけで正義はあまり大した代物ではないと言うことになる。

ソクラテスはさらに進め、正義の人は一種の盗人であるという。
なぜなら、技術あるものはお金を守ることにせよ、盗むことにせよ有能だからだという。

そこでポレマルコスはなんだかわからなくなったが、正義とは友を利し敵を害することであるとことはたしかという。

ソクラテスはポレマルコスが言っているの友は、各人に善い人だと思われている者のことか?と訊ねる。

これに対してポレマルコスは人は相手を善い人間であると思う場合に、その人間を友とし愛し、悪い人間だと思う場合に、敵として憎むのだと考えるという。

そこでソクラテスは判断を誤った場合には、その反対になる主張する。
つまり、善い人間は不正をけっして働かない人のことをいい、判断を誤れば、けっして不正を働かないような人間に対して悪いことをすることが正しいということになってしまうと。

そこでポレマルコスは善い人間だと思われる人が友であるという規定にしたことを修正し、実際に善い人間であるひとが友であると変更することになる。

ソクラテスはそれを踏まえて、善き人間である友に対しては善くしてやり、悪き人間である敵に対して害を与える、これが正しいことであるということにし、ポレマルコスも同意したのだった。

ーー続くーー

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