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ブルース・スプリングスティーン&トム・ジニー『ウエスタン・スターズ』

ブルース・スプリングスティーン&トム・ジニー『ウエスタン・スターズ』を観る。泣く子も黙るアメリカン・ロック界の良心ブルース・スプリングスティーンが2019年に発表したアルバム『ウエスタン・スターズ』を、彼の持ち家にある納屋でオーケストラを率いて(つまり30人くらいで編成されたバンドで)再現したライブの模様を収めてそこにブルース(以降「ボス」と書く)の解説を付けたのがこの映画である。今回はいつもにもまして感想文の色合いが濃くなる。この作品に関しては「批評」を目指す気にはなれない。というより、そんなもの書けっこないと思ってしまう。それだけこの作品は見応えがある、ということだと受け取ってもらえればありがたい。

さて、ボスに関して言えば前にネットフリックスで視聴可能な『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』を紹介したことがあった。ボスの面白いところは――人間誰しも持ち合わせている要素かなとも思うのだが――「矛盾」を孕んだ人間であり、なおかつそれが分裂せず調和を保って服を着ているかのような自然な佇まいを見せているところにある。工場労働者の歌を歌いながらボスは自分はあくまでミュージシャンとして生きてきたことを強調し(つまり、シビアな労働の現場を知らないと謙遜しているわけだ)、民主党支持のバリバリのリベラルのくせにどこか保守的な価値観を信奉しておりスノッブな様子を見せない。なかなかの曲者だ。

この映画でそのボスにまつわる謎、つまり矛盾を孕みながら同時に自然に生きているその生き様の奥義についてあわよくば学べれば……とも思ったのだがそんな浅はかな期待は裏切られることになった。ここに収められた演奏はどれも余計なギミックこそ効いておらず、余分な音が一切入っていない。それでいてスカスカに音の隙間を活かした演奏(これはこれで優れている音楽だと思うが)というわけではなく、すべてがまろやかな流れの中に溶け込み豊満なアメリカン・ロックの最新モデルとして成り立っているように感じられる。これがボスの底力なのだろうな、と唸らされた。

果たして、ボスが語る歌の解説も深い。ここまで来るともう「人生哲学」ではないか、いやもっと言えば「哲学」そのものではないかとも思われてくる。この作品では肝腎の英詩が字幕で表示されないので私としてはサイトを調べまくるしかなかったのだが(だから未だにどんな歌なのか、自信が持てるほどわかっていない)、しかしボスも流石に老境を迎えてあとは落ち着くべきところに落ち着くだけ。だが、枯淡のようでありながら決してヤワな「丸さ」に落ち着いていない、そんなボスの人間性ないしは魅力は生々しく伝わってくる。改めてボスという人物を尊敬してしまった。

上に書いたような情けない有様なのでここからは妄想が入るが、ボスは愛や奇跡について歌う。愛も奇跡も哲学者好みといえば好みの神秘的な要素だ。だが、ボスの哲学は意外とウィトゲンシュタインと近いのではないかとも思ってしまう。つまり、愛や奇跡といったものを語るのに神や超常現象を持ち出してその神秘性を青筋立てて論じるのではなく、愛や奇跡がそこにあるだけでこの世界は尊いと肯定してしまう……そんな境地なのではないか、と勝手に愚考してしまった。これはぜひボスの真意を確かめなければならないな、と思う。早速『ウエスタン・スターズ』の2周目を聴いているが、これはヘビロテになる予感までしてきた。

思えばボスはいつも不器用なロックシンガーだった。「ボーン・イン・ザ・USA」のヒットで世間が騒がしかった時も、そのヒットの余波を乗りこなすでもなく美味しい話を断って自分を貫いてきたのだった。政治に積極的に口出ししてセルアウトを狙うでもなく、逆に政治とは無縁に人畜無害な音楽に逃避するのでもなく、いつも自分の自然体を貫いて生きてきたボス。だからこそここで見られるボスの姿はとても自然だ。長渕剛や佐野元春など、ボスに影響を受けたミュージシャンは日本にも確実に存在する。だが、ボスはあくまでボスひとりである。その唯一無二のパーソナリティに肉薄できる「渋い」一本として、本作を推したい。

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