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え?最終勝利者は誰ですか?フリースタイルダンジョンコロナの中打ち切り。

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新型コロナウィルスの騒動の中で、突然打ち切りになったフリースタイルダンジョン。

番組収録も大きかったが、やはり最大の原因は番組のモンスターに参加していた

漢 a.k.a GAMI

の薬物による逮捕が影響は大きいと言えよう。




フリースタイルダンジョン

この記事ではこの番組の最後の勝者が、誰であったのかを考察したいと考える。

1996年、川崎クラブチッタに、高校生の男の子と女の子がいた。

2人は暴走族に足を入れるようなヤンキーで、三軒茶屋では知られた悪だった。

男の子の名前はYOSHI、女の子の名前はRUMI。

2人は憧れの

キングギドラを見に来ていた。


錚々たる面子のライブが終了すると、司会だったYOU THE ROCK★が叫んだ。

「今からフリースタイルやるから、やりたい奴はステージに上がってこい!」

YOSHIは手を挙げると、はじめて立つステージに衝撃を受ける。

やがてフリースタイルにRUMIも参加する。

一瞬の隙を盗んだRUMIは、後の日本のHIP HOPシーンの首領となるZeebraに一つのテープを渡す。

これは二人のグループ、般若のテープだった。

2日後にYOSHIの家の電話が鳴る。

「東京FMの者ですが」

「番組に電話出演してくれませんか?」

Hip Hop Night Flightという番組をYOU THE ROCK★のパーソナリティを務める生放送のラジオ番組だった。


Zeebraの出演コーナーでRUMIが渡したデモテープが全国に流れる。

先のライブに出るようなラッパーをディスる曲だった。

おもしろがったZeebraは、YOSHIとRUMIの後見人へとなっていく。

これを機に2人はHIP HOPの世界で名を馳せることになる。

この時、2人の年齢は17歳。

YOSHIはラップを始めて1か月ほどだった。

2人のグループは時を流れて解消し、YOSHIは般若と名乗り、一つの大会へと導かれる。



ULTIMATE MC BATTLE


2008年フリースタイルの大会を手にした般若は日本一のラッパーとなる。

しかし般若には、まだ日本一には満足できず、フリースタイルで勝負をしたいと思っている人物がいた。

KREVA

彼は、ULTIMATE MC BATTLEよりも伝統がある大会、B BOY PARK

フリースタイルで1999年、2000年、2001年を制覇。殿堂入りを果たす。

般若のような高校時代に暴走族と関わった不良と違い、東京都立国際高校から慶応大学という煌びやかな経歴を持っていた。

KREVAを超えたい…。

彼は公共の場で何度もフリースタイルでのKREVAと対決を求めたが、KICK THE CAN CREWで売れてしまったKREVAは煙に巻いた。


時は流れてMyspaceで世界の音楽を聴いていたラッパーR-指定とDJ松永は、住んでいる場所は全く違ったが、2013年、ユニットCreepy Nutsを結成する。



R指定は2012年、2013年、2014年、般若が優勝した ULTIMATE MC BATTLEで3連覇を達成する。


日本にフリースタイルの全国大会で優勝したR-指定は、同じように3連覇であるKREVAとの直接対決を望むものの、般若と同じく煙に巻かれる。

R-指定は般若に師事し、日々ラップの腕を磨くことになる。

2014年Zeebraは、今後の日本のHIP HOPを盛り上げるために一つの構想を練る。

テレビ朝日で全国のラッパーを集めて、フリースタイルで戦うフリースタイルダンジョンへの業界参入である。

3R制で出場者が番組が準備したラッパーたちと対決。

5人倒すと100万円という番組である。

ここで出場する番組の最後の5人目、ラスボスを誰にするか?

ここにZeebraが選んだのは、17歳からの姿を見てきた般若であった。


逆に般若も挑戦者と戦うモンスターにある人物を推す。

自分の優勝した大会で3連覇を果たしたR-指定だった。

般若とR-指定は、番組内で熱いバトルを繰り広げる。


テレビで般若とともに戦うR指定を見ていると、面白くない気分になっている男がいた。

日本一のラッパーとユニットを組んでいるCreepy NutsのDJ松永である。


R指定は日本一!では松永とはなんなのか?

Creepy Nutsは日本一のラッパーと、そうではないターンテーブリストとのユニットなのか?

これで世界一のユニットになれるのか?

DJ松永は日本一のターンテーブリストを決める大会DMC JAPANへと足を進める。

2016年、DJ松永は見事に本選に進むものの、惜しくも2位になる。


2017年は健闘むなしく3位に終わる。

2019年春、フリースタイルダンジョンは新たなる局面を迎える。


番組の終盤にスーツ姿の般若が突然マイクを持つ。


突然のラスボス引退宣言とともに、彼はこう言う。

誰がラスボスになればいいか?その問題ですよね?これフリースタイルダンジョンだから、そのラスボスになる人と。俺は自分のMCバトルという現役を一度戦ってみたい。僕は今まで9回戦ってきました。9という字はどうも、あまりはんぱな数字だなと。じゃあ10回戦ってみよう。これで本当の本当に、般若はMCバトルとして、もう引退です。なのでR指定君。

と宣言し、二人はフリースタイルで対決する。


第1バトル

(R-指定)
ガキの頃 見た俺に伝えてぇ 今 お前 般若さんとやってるぜ
中坊の俺は興奮 わかってる アンタ 誰よりも Dope
経験もイケイケも無いけども 底辺のラッパーがてっぺん目指すとこ
アンタの姿から学んだ だから最高なんだ 般若 No.1

般若

世代も超える 全てを超える 俺は自分に問える
十何年前の俺に問う こんな天才とやってんだって
現代現役 これでラスト 俺にはあるよ 覚悟
ラップはもう全てを 日本で超えてる お前が行けよ

般若の勝ち。

第2バトル

(R-指定)
昭和 ブレない ブレない 売れないとしても 俺なら媚びない
伸びない スキルでもKREVAを超えたい とか思いながら未だやる戦い
ララバイ聞かせるにはまだ早い 俺だってまだその姿勢見てたい
でももうこれが終えりゃ アンタはいねぇ だから愛を込めて 般若最低

R-指定の勝ち。

そして第3試合目の時にあの男の曲が流れ始める。

2人が戦いたがってきたKREVAの曲がフロアに流れ出す。

気がつけばアイツもアイツもアイツもアイツも
アイツもアイツもいなくなって
アイツもアイツも見なくなって
こっちはいつもいっつもやってる
いつも流行ってる
いつも変わんねぇ
スタイル崩さずまだ戦ってる
わかってるフリしてたいした事ない
奴らとしっかり相対してる
相当笑った事もあったが状況は悪化 世界中
でもホンモノはやっぱ残るんだ

そしてバトルがはじまる。

(R-指定)
分かるか これが俺たちが作り上げてる HIPHOPなんだよ
HIPHOPなんだよ チン×ス般若 未だに変わらず1番なんだ
俺の中のスーパースター 俺の中のヒーロー 俺の中の伝説は未だに生きてる
ここで出会えた全て 
般若 感謝

3試合目は審査するのは野暮だとし、勝敗はなしとなる。

こうして般若はKREVAへの物語をR指定に託して、別の道へと続いていく。


こうなると全国で最高のラッパーとユニットを組むDJ松永はおもしろくない。

日本一のラッパーとターンテーブリスト日本2位と3位。

DJ松永は3年ぶりのDMC JAPANへ参戦を決める。

出場者は、DJ松永以外はミュージシャンではなく、所謂競技のためだけに練習していた挑戦者達である。

2019年8月24日渋谷。

松永は曲の中にはじめてR指定の声を使う。

そしてDJ松永は見事、日本一となる。

そして会場にはお忍びで来ていたR指定もいた。

日本一のラッパーと、日本一のターンテーブリストが組むCreepy Nutsへと変化する瞬間であった。



DJ松永のトレンドはTwitterで1位となり、テレビもラジオも引っ張りだこへとなる。


世界中が俺をお祝いしてくれている!

と喜んでいたが、次の目標とするロンドンへと進む。

DMC世界大会があるためだ。


そして9月彼は世界一のターンテーブリストになる。

R指定はKREVAと対決するのだろうか?

さてさてKREVAは逃げ切るのか?

フリースタイルダンジョンは終わった。

最後の勝利者はラッパーでもないDJ松永。

そして最後のラスボスに君臨したR指定。

二人のCreepy Nutsと私は思う。

絶対に勝者は釣り動画で稼ぐユウチューバー、シバターではない。

この記事も釣りではない。

しかし最後までこの文章を読んだ奇特な方がいれば、勝者は私かもしれない。




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