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#8 もしも、志村けんがクイズ番組の解答者になったら…

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 5月26日放送の『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』(日本テレビ)に、話題のモノマネ芸人、レッツゴーよしまさが出演しました。
 ご存じない方のために説明しますと、彼はザ・ドリフターズのメンバー全員をモノマネのレパートリーに入れており、中でも業界や視聴者をざわつかせているのが、キャラ物のコントをやっていないときの、素の志村けんのしゃべりモノマネです。彼の芸名の名付け親でもあるコージー冨田曰く「デフォルメを全くしない」その芸は、言い回しから細かい仕草に至るまで、すべてが似ている。そのディテールから「憑依芸」、「生き写し」とも評されています。その完成度の高さに、彼のモノマネを見た芸能人の中には、まるで本人に逢ったかのような驚きを隠せない後輩芸人もいれば、涙を浮かべる、かつてのコント共演者まで現れるほどです。

レッツゴーよしまさ ※太田プロダクションのHPより引用

 そんなよしまさは中学から大学まで学習院出身の現在34歳。学生時代にはすでに学校の文化祭でモノマネショーを行っていましたが、そのレパートリーは昭和の歌謡曲ばかりで、彼のショーを見ているのは、いつの間にか生徒の保護者だけだった、ということもあったといいます。ただその時点では、彼はまだ志村のモノマネをしていませんでした。
 大学卒業後は、芸能とは縁のないアミューズメント系の企業へ就職。会社からの許可を得て、週五日勤務の傍ら、週末はショーパブでのモノマネ活動を行う“二足の草鞋”生活をしていたこの時も、彼はまだ志村のモノマネをしていません。
 彼の運命が大きく動いたのは、あの日の出来事以降のことです。

 2020年3月30日、志村けんの訃報を受け、多くの国民が果てしない喪失感を抱いたように、子供の頃から志村の出演するコント番組をほぼすべて録画し続け、VHSのテープが文字通り擦り切れるまで見ていたよしまさ自身もまた然りです。
 もしも、志村けんがまだ生きていたら、どんなテレビ番組に出演しているか。どんなコントを作っているか。どんなことを喋っているか。誰もが一度は想像したであろう、志村にまつわる多くの“もしも”を、よしまさは自らが志村になりきることで、実現しようと試みたのです。モノマネするためのサンプルデータは、所持している膨大なビデオテープから呼び起こせばいい。彼にとっては有り余るほどの量でした。

 なお『小5クイズ』に挑んだよしまさは、10問目で不正解となりましたが、志村けんとしてクイズ番組の解答者になるということは、極めて異例の光景とも言えます。それは志村が生前、クイズ番組に解答者として出演することがほとんどなかったからです。その理由については、憶測の域を出ないところがありますが、東八郎の言葉が影響していると考えられます。
 かつて志村が東に「どうして、いつまで経ってもバカなことをやっていられるんですか。俺も外で子どもに会うと、志村、バカだなって言われる。どうなんですかね」と質問すると、「それはお前の芸がすごいからだ」という答えが返ってきたといいます。
「ケンちゃん、お笑いはバカになりきることだよ。いくらバカをやっても、見る人はわかってる。自分は文化人だ、常識があるんだってことを見せようとした瞬間、コメディアンは終わりだよ」
 お笑いの地位がまだ低く見られていた時代、いちコメディアンとして切実な悩みに対し贈られたこの言葉に、志村は救われたといいます。
「『芸人の遊び方を教えてあげるよ』と東さんに誘われ、向島や伊東で正月を迎えたこともあった。その翌年、亡くなられて残念な思いをした。あの人の粋なところを、もっと教わっておけばよかった」
 1988年7月、52歳の若さでこの世を去った元トリオ・スカイラインのメンバー、東八郎。葬儀には同じ浅草芸人である萩本欽一、ビートたけしに交じって、『加トちゃんけんちゃんごきげんテレビ』(TBS)の本番終わりの加藤茶と志村けんが駆けつけるなど、希代の喜劇人が集結しました。1986年に放送が始まった『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)では筆頭家老の“じい”役を演じるなど、長年交流のあった先輩芸人の金言を、志村は、すごく大切に思っている、と語っています。

「常識を知らないと、非常識なことはできない」

 非常識なことをしでかすキャラクターが出るコントについて志村は「常識の範囲をすべて知っておかないと、非常識の面白さは表現できない」との理由で、毎朝欠かさずニュースを見て、スポーツ紙を全紙購読。忙しい時は車中に持ち込み、隅から隅まで目を通していた。こう語るのは、94年に志村に弟子入りし7年間付き人を務め、現在は鹿児島でローカルタレントとして活躍する乾き亭げそ太郎。酒の席でも周囲から多くの情報を仕入れ、コントのネタ探しのために映画やテレビドラマを鑑賞する生活。人生をコントに捧げた“笑いの王様”は巷の動向に人一倍敏感だったのです。

 1997年、「コントを追究し続ける男」と評価され、第6回東京スポーツ映画大賞特別賞に選ばれた志村。その審査委員長を務める、東京スポーツ客員編集長のビートたけしとの対談では、東京を代表するお笑い芸人同士にふさわしい、熱いお笑い論が交わされていました。

たけし「本当のお笑いの人はいなくなった。やってるのはクイズのパネラーばかりで、気の利いたことを言えばいいっていう、芸人じゃないのが多すぎる。漫才やコントをちゃんと作る番組を作らなきゃダメだな」
志村「みんなファンの対象が中高生になってしまっている。若手はお客さんの前で、少なくとも5分はコントをやらなきゃ。しっかりしたコントを育てる番組があれば、と思う。最近つまらないのは放送翌日、見た人が話題にすらしない番組が多すぎること。ゲームやクイズをやって、数字が良ければいいというものでもない。翌日、思い出してクスッと笑ってもらえるようなものがいいね」

 現在にも当てはまるものがある当時のテレビの現状は、およそ四半世紀も前のものとは思えないほど。ちなみにたけしと志村は2年後の1999年、テレビ朝日で冠番組『神出鬼没!タケシムケン』をスタートさせていますが、日曜夜7時には視聴者層との相性が良くなかったのか、一年で放送を終了しています。

「唯一こだわっているのは、自分が笑われること。人を批判する芸でもなくて、人を介しての笑いでもなくて、自分が笑われることが第一」
 それらの“お笑いの哲学”を貫くコントを作り続けたことで、志村けんは子どもからお年寄りまで愛される、国民的お笑い芸人として確固たる地位を築き上げたのです。

 最後に、5月2日放送の『ものまねグランプリ』(日本テレビ)にて、セリフがほぼアドリブのネタを披露したよしまさが、志村けんとして熱唱した、河島英五の名曲『時代おくれ』の歌唱部分を引用してお別れです。

目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい

唄 河島英五/作詞 阿久悠/作曲 森田公一

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 その他の参考文献・記事・番組
『変なおじさん』、『変なおじさん リタ~ンズ』志村けん 日経BP社
『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』乾き亭げそ太郎 集英社インターナショナル
『志村けんさん たけしと交わした熱いお笑い論』東スポWEB 2020年3月31日
『東貴博と山根千佳のラジオビバリー昼ズ』ニッポン放送 2020年3月31日
『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』フジテレビ 2022年12月17日
『ものまねのプロ216人がガチで選んだ いま本当にスゴい!ものまねランキング』テレビ東京 2023年1月1日
『証言者バラエティー アンタウォッチマン!』テレビ朝日 2023年4月18日
『しゃべくり007』日本テレビ 2023年5月15日

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