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推しに届け(ショートショート#21)【2400字】

「あら、亜実。もう八時じゃない。紅白、観ないの?」

 母がキッチンからお盆をもって現れた。

 お盆には年越しそばが二つ。母と私の分だ。お出汁のいい香りが一人暮らしのせまい部屋に満ちる。コタツの上に場所をつくるため、散らばった書類を片付ける。

「もう大晦日なのに、まだ仕事?」

「うん。中三のクラスの内申書のチェック。これだけはいい加減なこと書けないし」

 書類をまとめて仕事用のファイルケースにしまった。母が部屋の隅のショッピングバッグをちらっと見る。ライブ用にデコレーションされた団扇やらカラフルなペンライトやらがそこに雑然と突っ込まれている。かつて壁一面に貼られていたポスターも。

「あんなに夢中だったのに、もういいのかい? SEVEN TEEN’S(セブン・ティーンズ)の祈里ちゃん」

「うん。もう、いいの」

 ショッピングバッグから一七歳の少女のまぶしい笑顔がのぞいている。かつての推しだった祈里ちゃんのポスターだ。

 目を閉じて、思い出す。二年前、仕事の帰り道に駅前でもらったライブのチラシからすべてがはじまった。七人のティーンエイジャーを意味するSEVEN TEEN'S(セブン・ティーンズ)。それが彼女たち地下アイドルのグループ名だった。

「ほら、ついに紅白に祈里ちゃんたちが出演するんでしょ? 応援してあげなさいよ」

 いいというのに、母がテレビのチャンネルを変えた。見知らぬ女性ヴォーカリストの歌声が響く。午後八時。SEVEN TEEN'Sが紅白に初出演するのはもうすぐだ。

「いいって」

 母からリモコンを取り上げて、興味のないバラエティ番組に変えた。

 かつて彼女たちは無名の地下アイドルの一つにすぎなかった。私が出会った二年前までは。

「一体何があったのよ。わたしを連れ出して一緒にライブにまで行ったじゃないの」

「去年、一回だけね」

 私は中学の教員である。当時、私の担任のクラスは学級崩壊していた。いよいよ仕事をやめてやると決意した夜に、祈里ちゃんに出会ったのだ。

 おそるおそる入ったライブハウスはガラガラで、彼女たちの無名さを物語っていた。

 でも、チラシを配っていたその小さな女の子がステージに立つのを目にした瞬間、鳥肌が立った。その声に、その踊りに。雷に撃たれたかのように、その場に立ち尽くしてしまった。

 たちまち私はファンになり、ライブに通い詰め、部屋はグッズで埋め尽くされていった。

「もういいって。お蕎麦、伸びちゃうよ。早く食べよ」

 私は手を合わせて。母の揚げた海老天をかじった。相変わらずの味。

 そのグループ、SEVEN TEEN'Sが大躍進したのは今年に入ってからだ。

 動画サイトに投稿された公式の歌動画が流行したことをキッカケに、彼女たちは一気にスターダムに昇っていった。

 初のテレビ出演、そして祈里ちゃんのドラマ出演、来年は映画の公開まで控えている。ここ二年間の思い出が走馬灯のようによみがえってくる。

 彼女たちの曲がヒットチャートを駆け上がっていくのが、自分のことのように嬉しかった。

「亜実。そういえば、あれ覚えてる? 十年以上前、あなたがまだ高校生だったころ」

「なに?」

 そばをすすりながらそっけなく応える。

「アイドルになりたいって、言ってたじゃない」

 思わずそばを噴き出した。

「お母さん、それ私の黒歴史だから!」

「くろれきし? 何言ってんのよ。オーディションを受けに、一緒に事務所までついていってあげたじゃない。一次選考で落ちたみたいだけど」

 私は卒倒してクッションに顔をうずめた。

 ぐりぐりと顔を押しつけながら、思い出す。そうだ。私の夢はアイドルになることだった。

 当時大人気だったグループのオーディションに落ちたあとも、高校の文化祭で彼女たちに扮して歌を披露したりした。

 人前で歌ったのは、思えばあれが最後だった。

 でもその夢は当たり前のように砕け散って、地元の大学を出て、地元の中学の英語教師になった。

「祈里ちゃんね、あの頃の一生懸命だった亜実に似てるのよ」

 そうか。クッションから顔を上げて、思い至る。

 私はSEVEN TEEN'Sの祈里ちゃんに、自分を重ねていたのか。ありえたかもしれないもう一人の自分を、彼女に見出して……。

「私、わかった。なんで祈里ちゃんと推すのをやめたか」

「何?」

「きっと怖かったんだ。嫉妬して嫌いになるのが。本心から応援してたはずなのに、有名になっていく彼女が羨ましくて、黒い感情を抑えられなくなるのが怖かった」

 クッションを抱えて横になったまま、丸めたポスターの彼女の笑顔を見ながら言う。

「結局、推していたのは祈里ちゃんのためじゃない。自分のためだった」

「ふぅん?」

 母は、リモコンを私の目の前に置く。

「誰かを推すことなんて、多かれ少なかれ、みんな自分のためだと思うわよ。それでいいじゃない。ほら、もう時間でしょ」

 私はしぶしぶ起き上がって、空になったそばの器をながめる。リモコンを手に取って、紅白歌合戦に合わせた。観客の拍手の音が響く。

「ハイ、初出場のSEVEN TEEN'Sのみなさん、どうぞ! 

 センターは若干、十七歳の斎藤祈里さんです。今日歌っていただくのは、デビュー曲でもある『推しに届け』ですね。

 こちら、斎藤さんご自身が作詞されたということですが、どういった想いが込められているんでしょうか?」

「『推しに届け』は、アイドルになりたいと思ったきっかけをテーマにした曲です。

 十年前、一番上の姉に連れられて高校の文化祭に行ったんです。そこで、ある方が歌っていた姿が忘れられなくて。

 あんなふうに一生懸命になれたら、って。

 名前を聞くことはできなかったのですが、その方が初めての私の推しだったんです。

 今日まで頑張ってこれたのは、彼女のおかげだと思います。

 彼女がこのステージを観てくれていると信じて、歌います」

「白組のSEVEN TEEN'Sで『推しに届け』です。どうぞ!」


 

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