「100日間の自己理解プログラムを受けて変わった習慣」

こんにちわ。100日間の自己理解プログラムの終了まで残り3週間。
今日も残りのワークへの取り組みを進めながら、これまでの自分の振り返りをしていこうと思います。

私の自己理解プログラムのスタートは、当初の予定より3か月程遅れてスタートしました。理由は、2024年元旦に起きた石川県の大地震でした。そして、さらに追い打ちをかけるように起こった羽田空港滑走路での飛行機事故。身近な友人家族が被災を受け、当時そのサポートに回る事で精一杯だった私は、羽田空港で炎上する飛行機の映像を直視することが出来ませんでした。コロナウイルスから数年。生活は一変し、世界が一変した2023年。2023年がきっと多くの人にとって厳しい1年であったように、今年はより一層覚悟の1年になることを自分の中でそっと受け止め、覚悟を決めた忘れられない2024年の始まり。そして一向に進まない復興。それどころか日に日に悪くなっていく日本の状況。「時を待っていてもベストなタイミングは来ないかもしれない」。当時、日に日にすさんでいく自分のことを「覚悟を試されている」と受け止め、3か月遅れで自己理解プログラムを開始することを決めました。

思考のマルチタスクが大の苦手だった自分。そんな私が当時、考えなければいけない大事なタスクを沢山抱えた状態で、この自己理解プログラムを始められたのは無料カウンセリングを受けた時からずっとやり取りを続けてきた担当コーチの言葉でした。

「とりあえず30日間」

30日。とりあえず始め、自己理解に集中できない時は躊躇せず、時期をずらして取り組みなおそう。そう思い、相変わらず頭の中がとっ散らかった状態のまま開始した私の自己理解プログラム。気が付いた時にはその30日はとっくに過ぎ去り、自己理解が自分の生活の1部になっていました。綺麗に体系立てられたワークの1つ1つは、「なぜそのワークが必要なのか」が納得できるよう説明がされている為、漠然とした状態でなく論理的に理解が出来ていないと気が済まない自分にぴったりはまったのだと思います。昔から「オタク」が世の中を変えると思っていた私にとって、きっと世界中の誰より「自己理解のオタク」であろう八木さんの自己理解プログラムに自分の価値観の1つである「納得感」が満たされていたのだと思います。

自己理解が進んでいく中で大きく変わった習慣は、生活習慣でした。これまで私は、「忙しくなると自分のケアを怠ってしまう」というとても厄介な習性がありました。そして、それどころか怠っているという自覚がない為、「気が付いた時には手遅れ」といったことが度々ありました。自分を忙しくしている物が、自分が大切にしている物であれば尚更。そのことだけに夢中になり、それ以外のことに時間とエネルギーを使うことを避けてしまう自分。その結果、「大切なモノ」を継続すること自体が難しくなることもありました。
「自己理解プログラムを進めていく中でそれに気づいたから生活を変えた」という訳では特になく、「そのことを誰かから指摘された」といったことがあったわけでも特になく・・・・・・。感覚的には、自然と自分を大切にする事が出来るようになっていったという状態でした。今思うと、それが「自己理解が出来る状態=セルフケアが出来ている状態」という1つの大きな気づきを得たタイミングだったように思います。

「父の言葉」

普段は寡黙な父。そんな父から先日言われた言葉。
定年を迎え、やっと好きなことに1日の全てを使えるようになった父。
「今が1番幸せだ。」
その理由を、「自分の好きなことが思い切りできるようになったから」という事ではなく、「ありがたいことに、子供たちや孫たち、そして、家族が元気でいてくれて気をもむことがないから」と言っていた父の言葉を自分の中にしっかり刻み込みました。
私にとっての「自己理解」は、このプログラムが終わった100日間が過ぎた後もきっと変わらず自分の中に存在する「大切なモノ」でした。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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