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僕がなぜスピリチュアルの話をするのか

僕がスピリチュアルの話をしだしたのは最近です。


だから、昔から知ってくれている人たちからの反応は様々。

共通しているのは急にどうしたん?ですかねw


で、その中で、らしい事を言い出したやん。

って、言ってくれる人もいれば

どしたどした?
と心配してくれる人もいて。


だから今日は、僕がなぜスピの話をしだしたのか?

僕が言うスピってどんなこと?


を書きたいと思いました。



子供の頃から松浦少年は大いなる力というか

流れみたいなんあるよなー

と思っていたのですが、そういうスピ系の話を親友にしたら

親友だと思ってたのに、いじめられるようになったんですよね。



で、それ以降ずっとスピの話をしても誰も分かってくれないし

嫌な事が起こる。と思って

ずっとしてなかったんです。


で、天才性覚醒チャートに出会い

どうやら、今世とか生まれ変わりとか

あるなー!!!

って事に気づくことがあって

ずっと心の底で蓋をしていたスピの話を

信頼できる仲間にならできると思って

話してみたところ

みんな嫌がるどころか喜んでくれて。


で、スピの話が好きな人って結構いるやん!

ってなって、今に至ります。

めっちゃ簡単に言うと

そういう事ですw


で、僕は子供の頃から

色々な物事はなんでそうなっているのか?

と、いう理由とか本質の部分がすごく気になるタイプで。


人の事も大好きなので

色々と考えていたんですよね。


で、今回、そうそう!そういうこと!

ってのがあったので、その話を書きながら

僕が言うスピの話ってこういうこと

ってのを伝えられたらと思っています。


まず、前提として

多くの人は「命」が自分の体の中にあると思っている。


そして、多くの人に

「あなたが、うまれたのはいつですか?」


という質問をすると

大抵、生年月日を答える。

という話です。


では

うまれるって


「産まれる」

「生まれる」


どっち?

って話です。


言わずもがな

「産まれる」

は、お母さんのお腹の中から出てきた記念日です。

で、それを地球にある

カレンダーという決まりに則って

お誕生日がつけられます。


一方

「生まれる」

は、何か命がパッと出たような印象があり

その命が現れた、あるいは

この体の中に命が入った。

そんな印象を受けますよね。


お母さんのお腹から出てきた記念日は分かります。

ただ、お母さんのお腹の中にいた時も

・・・生きてますよね。


お母さんのお腹に中にいる時に成長し育つわけですし

ある一定の期間から心臓も動き出しますし

すごい勢いで細胞分裂を繰り返し

命の活動を行なっています。


お腹の中にいるときから「命」はあって

命が入った瞬間なんていうのは確認できないですよね。


じゃぁ、どの段階で生命活動が始まり

器に命が入ったのはどの段階なんでしょうか。


お母さんの子宮に受精卵が着床した瞬間でしょうか?

でもちょっと待ってと。

着床する前に、受精卵は細胞分裂を始めているんです。

そして、細胞分裂をしながら着床に向かいます。


ということは、ここでもなんらかの生命活動の動き

というものは見れるわけです。


一方。

精子も生きています。


だって、精子は自分で動いて卵子に向かうわけです。

で、卵子は生きていて精子を迎え入れようとします。

これは事実ですよね。


僕たちが人にせよ、動物にせよ、植物にせよ

なんとなく分かれている単体一つに対して

一つの「命」と、数えるのであれば

まさに、精子の「命」と卵子の「命」が

あることになります。


それが融合して細胞分裂を起こして

のちに今の自分の体があるのだとすれば

少なからず、この着床の瞬間

僕らは「命」を2つ持っているという話になります。

でも、そういうことじゃないですよね。

今の自分に「命」は一つだと思ってますよね。


精子を生成したお父さんがいて。

卵子を生成したお母さんがいて。


こうやって考えていくと

「命が入った」時なんて、ないですよね。

そもそも、「命」の誕生の地点は誰が見たんでしょう?

出産を見ることはありますよ。

でも、「命」の誕生を見たことがある人はいないですよね。


「命」はずっと途切れることなく続いているんです。


だから

私の「命」

誰かの「命」

なんて分けて考えること自体が

なんかおかしいって事になってきませんか?と。


そして、自分の体の中に「命」が入っている

という考えは本当なの?

誰がどう確認して、その考えが採用されているの?

となるわけです。


なんで、中なんでしょう?

「命」が外にあって僕たちの体を包んでいる。

という発想だってあるんじゃないの?

と、いう話になってもいいですよね。


そして

「私の命」と言うと

私は命の保有者であって命そのものではない。

ということになります。


例えば

「私のメガネ」は、私が持っているメガネのことであって

メガネが私ではありませんよね?

それと同様に

「私の命」と言ってしまうと

私が保有している命であって「命は私ではない」

と、いうことになります。


つまり本当は

「私の命」ではなく

「私は命」ということになります。


多くの方が、「命」を持ち物だと感じている。

「命」を「私」が失うということを「死」と名付けていますよね。


「命」それ自身が「命」を失うことはありません。

持ち主ではないので。

「命」は「命」そのものだから。


宇宙全体が一つの営みというのはそういうことで

宇宙という巨大で広大な命の中にたくさんの体があるわけです。


「体」が「命」を保有しているのではなくて

「命」が無数の体になっていっているわけです。


そして、年齢の話をしていくと

何歳という計算は、お母さんのお腹の中から出てきた記念日から

カレンダーという決まりの中の月日を追っていった数になります。


この体の経過時間ではありません。

単に年齢は暦を読んだだけで

物質的な経過時間を表しているわけではありません。


脳:1ヶ月で40%

胃の粘膜:約3日

腸・微絨毛:約1日

肝臓:1ヶ月で96%

筋肉:1ヶ月で60%

皮膚:1ヶ月で全て

血液:約100〜120日

骨:1年半〜3年


これは、僕たちが日常的に経験している

新陳代謝

つまり細胞の入れ替わりの周期の話です。


つまり、細胞単位で見ていくと

3年前の体は今、もうここにありません。


もちろん色んな説があって

脳の一部や心臓の一部はものすごく長く生きるという説もあります。

そうだとしても

その僅かな細胞が自分そのものだとは言えないですよね。


だとしたら、どの部分が物質として

「私」ですと言える場所なんでしょうか。

「私」とはどの部分を指しているのでしょう。


本当に不思議ですよね。

この話に正解はありません。

世の中そんなことばっかりですよ。

分かってないことばっかり。

だけど、みんなこれはこうあるべき

という自らの考えに苦しんでいるんです。


だって、宇宙が誕生したビッグバンも

本当にあったかどうか分からないんですよ?

海だって、実際調査されて解明されてるのは

たかだか10%なんですよ?


なのに


これはこうあるべきだ

ってのは誰が決めて

僕たちは苦しんでいるんでしょう。


僕自身、色々な苦しみがありました。

その中で、様々な人と出会い

自分自身と向き合い

自己啓発や心理を探究し


なぜ人は苦しむのか?

もっと楽に生きるには

理想の現実を叶えるには?

そういった事を漠然とずっと考えてきて

セミナーやコーチングを受け


そして、天才性覚醒チャートに出会い

アセンションを経験し

強烈に色々な事が繋がり

それを突き詰めていくと

スピリチュアルの話になってきた。


と、いうことなんです。
心理学も、物理学も、数学も、

突き詰めていくと

こんな話になってきます。


だから世界の偉人や

日本が世界に誇る

ビジネスの成功者が書いている本には

スピ系の話がめちゃくちゃ多い。


大事なことは 

本質的なことを分かっているか?

僕らはそもそも全然知らないと言うことを

理解しているか?


そして、その中で

何を取捨選択していくのか。

ということなんだと思います。


僕にとっては

理想を叶えるためには?

楽にありのまま生きる為には?

突き詰めていくと

スピリチュアル

に辿り着き、それがやっぱり

大事だったんだと思い出したわけで

理想を叶えるにはどうしたらいいのか?

楽にありのまま生きる為には

どうしたらいいのか?


そういうことを

少しでも分かってもらえる人に

届けられたらいいな。

と、思ってるわけです。





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