見出し画像

「ジョイランド わたしの願い」にはテーマがてんこ盛り。人により響くところが違ってオモシロいだろう。

パキスタン、と聞いてまずはどんな反応をアナタは示すだろう。
まずはそこからだ。

そもそもオモシロい映画と聞いて、でも次にパキスタン映画だと知って、観に行くかどうかのハードルを各個人がどう越えるのか興味深い。

ボクの場合
・オモシロいと聞いたが、内容は知らなかった
・パキスタンに行ったことがないが興味があった
・パキスタンの街並み、生活の様子を見たかった
・そもそも知らない地域への興味がある
・賞をもらうほどの映画のレベルだそう
・インドに行ったことがあるが、似ていて大いに違うのだろう
という程度でこの映画を観ることに決めた。

結果見て大正解だったわけだ。
内容も良し、映像も良し。

国が違えど、様式が違えど、時代が違えど、宗教が違えど、人生で人を悩ます案件は何処でも同じ。
以下ネタバレあり。


ここでの「ジョイランド」とは映画途中家族で行ったような遊園地を指すようだ。
女性同士で気兼ねなく笑い合ったあの瞬間の笑顔
昔日本でもあったような結婚様式。
結婚式まで互いの顔を知らないで結婚する因習を嫌ったのか、主人公が秘密裏に結婚前に会いに行って軽く会話を交わしたときに彼女が見せた笑顔
あの笑顔のまま生きたいというのが本当の彼女の、或いはパキスタン女性の想いかもしれない。

映画にテーマをてんこ盛りすると焦点がぼやけ何が何だか分からなくなるケースが多い。監督の独りよがりパターン。強い思いの独走パターンだ。
しかし、「ジョイランド わたしの願い」はバランスよく無理がなくそれぞれが主張され、観る人に訴えかけている。
家父長制度、男女格差、旧来の宗教観に基づく考え方、トランスジェンダー、女性の性、家族の絆、家族の価値観の違い、などなど。

今マンガで『。-地球の運動について-』を読んでいる途中だが、宗教、因習による囚われた価値観というのは、この映画においてもマンガにおいても通じるものがあると思った。

何処の国でも歴史があればあるほど宗教観がキッチリしているとそれに囚われ自由な発想、行動が出来なくなる。
この映画においての家長は典型だ。
家長を助けてくれた女性でさえ因習での価値観から切り捨てられる。対して女性の方が束縛の歴史からか発想が柔軟だ。
映画の一番最後に反省を促したのも女性だ。

奥さんは結婚する前に働けるかどうかを気にしていた。
恐らく働くことを「条件」に結婚するかどうかを「選択」できる環境など女性にはパキスタンにないだろう。
でも仕事にやりがいを感じていた奥さんは、ずっと無職だった旦那が仕事を見つけそれがどんな仕事だったかを知った時も怒ることなく「羨ましい」と言った。
その「羨ましい」の言葉の裏にある本当の意味は、男が自分で自由に仕事を選択して働くことができる当たり前のことに対して、に言った言葉であって仕事そのものへの賛美でもない。

宗教が悪いのではない。
宗教を盾にして男女格差を作るのが悪いのである。
神様を理由にして格差を作るのが悪いのである。
トランスジェンダーにしてもそう。

トランスジェンダーを生んだのは、女性であり、神様である。
何をもって差別を生むのであろうか。


ところで、主人公とトランスジェンダーとの行為に至ろうとする際、互いの意思疎通が上手くいかず結果的にそれで分かれる事となったが、これって結構酷くね。w
「変態!」って言われてるし。w
いやいや、わからんでしょ。アンタだって分からんかったでしょ。w
しかも、話し合おう、って言ってるのに。
難しいね。恋愛、って。

この映画を通してパキスタンにもトランスジェンダーがいること(当然だ)、そして活躍できる場所が限られていること、虐げられていることを知った。
パキスタンはイスラム教が90%以上だそうだから日本以上に住みずらいだろう。その中であのように強く生きている。余程の精神力。


本作はストーリー、テーマだけが秀逸ではなく、映像、カットも素晴らしい。主人公の二人の出会いの場面、光の使われ方。素晴らしい。
スマホの光の逸話も奥さんの話は美談でいいが、奥さんの話からヒントを得て不倫相手の成功に導くライトの話は同じ光の使われ方でもシュールで残酷だ。奥さんは知らないが。

ストーリーについて素人なりの一言を言わせてもらうと、ストーリーとして主人公の最期の行為は安直ではなかろうか。一捻り欲しかった。
奥さんの場合、何度か死別か逃避かで予知があった(旦那は知らないが)。
確かに主人公は全てを失った。自身には何もないと感じている。でもそれがすぐに最期の結果に結びつけるのはやはり安直だ。


本作品は世界で広く認められているにもかかわらず、肝心な本国パキスタンにおいて上映禁止作品になっているということにこの作品の存在の本質性が表れている。
国が問題を認めていて、改善する気がないということなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?