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映画自評:観る気が無かった「オッペンハイマー」を観てきた。天才的思考とブレ。

初めは観るリストには入れていなかった。
でも、配給先が決まらないとの「噂」を聞いてから俄然観る気になったのだ。
確かに、監督には関心がありまくりだ。ただテーマが原爆というだけではなく「ある人」の人生を追ったものであるということで今一ボクの興味を引かなかったのだ。
それが嘘か誠か、何かがこの映画が世間一般に広まることを阻止しようとする力が働こうとするのであれば、これは是非とも観なければならないと思った次第。
結果的に、観ても関係なかった。と思う。w
以下ネタバレあり。


「オッペンハイマー 『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」という伝記を基につくられいるが、原作も映画も膨大な資料を基に史実に沿って作られているはずだが、やはり完璧にはそうはいかないようだ。
同じ案件があっても人によって見方が異なるように史実も人によって解釈が異なることもあるだろうし、あるたまたま起きた案件の事実を見た人がその人にとってインパクトを与えたことであれば、その案件がその見た人にとって心に多く支配されることは仕方がないこと。
映画を製作中の過程を見た親族が事実と異なることでショックを受けたけど、脚色作品なんだということで諦めたというエピソードも残っている。

この作品が史実に基づくと言いつつ、脚色作品であるという矛盾を抱えていれば、観る側もある程度身構えて観なければならない。
そもそも不倫相手はいただろうが、どんな行為をして、「実際自死だったのか」はその時代のことだから分からないだろう。立場が立場だから。
「実際自死だったかどうか」の追求は、追及しすぎるとオッペンハイマーの作品から離れる可能性があるからしなくていいけど。

作品全体を語るには膨大過ぎるのでボクの視点で語りたい。脚色作品であればなおさら検討課題は多いはず。

明晰思考と感情のブレこそ彼の特徴ではないか。
感情のブレも行為として「色事」も入る。
天才は色事が好きなのね。(アインシュタインは?)

この映画の通りで彼を見ると好色家、しかもフリーの状態ではない時に欲を発し、彼らの場合こういう時の方が仕事に結果が出るようだ。
大谷選手と真逆。(しらんけど)
いきなり話は飛ぶように思うかもしれないが、彼の原爆に対する罪悪感は、女性に対する罪悪感にも似て、時に反省し、時に正当化し、時の流れに応じ揺れ動く。

科学的な論理的思考は明晰だが、感情に関わる思考に大幅にブレる。兄弟を大事にするのはいいことだが、国家の重要事項に関わる案件に、責任者として冷静に判断すべき事項として、「兄弟だから」以上に論理的に説得できなければならないのではなかったのか。
結果オーライだったが。

彼の天才たる所以は、頭の論理性と心の情動による行動のバランスが絶妙だったからではなかったのか。
頭脳だけでは人は付いてこない。
女好きで、パーティー好きで、人から好まれる人格だけでもダメ。
傍から見た成功の秘訣はバランスだが、彼の内面は揺れ動いていた。そこは映画で良く表現されていた。

原爆成功の演説で彼は人から大賞賛を受けるが、どうも彼の想いと異なるようだ。発する自分の言葉とそれを受け止める群衆の評価とのズレ、ブレ。
自分の思いが伝わっていないという気持ちと、自分自身の本当の気持ちも彼自身がつかみ切れていない不安。
論理的思考が明晰であった彼も自身の心の分析はできていないようだ。

と、

どうもボク自身にも書きたいことにブレがあるようだ。w
更に困難なことに論理的思考もできていない。
なので御終いにしたい。
御馳走様。

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