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神戸新開地のミニシアター、「パルシネマしんこうえん」で「ほかげ」「せかいのおきく」を観てきた。二本立ての映画館は世界遺産にしよう!

「せかいのおきく」は鑑賞2回目だ。別府のブルバード会館での思わぬ鑑賞で感動し、ここパルシネマしんこうえんで再会となった。
パルシネマしんこうえんはミニシアターでも今や珍しい二本立ての映画館だ。昔はよくあった。
また、パルシネマは二本立てでも映画の選択にこだわりを感じる。
今回のアソートは、「ほかげ」と「せかいのおきく」。
さて、くくりとしては何くくりを言おうか。

以下ネタバレあり。


「ほかげ」は初見だし、初回の公開日でもノーチェックだった。戦争映画、戦争後映画はあまり興味が湧かないのだ。
「せかいのおきく」とセットだから観に行ったようなものだ。申し訳ない。

暗いし、深刻だし、直視しなければならない辛い現実や過去の事実で目も背けたくなる一方、伝え続けていかなければならない一般では知られなかった事実が映画では知らされているので、戦争映画の価値は高いはずだ。

しかしなんせ暗いのだ。
当たり前だ。
さらにしかし、もしもっと多くの人に観てほしければ違う切り口を持ってきてもいいかもしれない。これから公開される「関心領域」なんかがそうだ。
まだ観ていないが興味をそそられる。
「ほかげ」の公開日が2023年の11月らしいが、これまでの「戦争後映画」と令和に作られた「戦争後映画」と何が異なっているのだろうか。

話は変わるが、ここ数年になって男女との区別をなす染色体XY型とXX型との「間」にも数パターンのグラデーションパターンがあるそうだ。つまり単純な2型にわけられるという従来の考え方が変えられる可能性があることから、性の多様性の捉え方の説明ができるわけだ。
何事においても人や世の中はこのように単純に2極に分かれて捉えられるものではなくグラデーションがあるわけで戦争についてもその理解で考えていった方がいい。

戦争がいいか悪いかで言えば、これは「悪い」で言える。
では、なぜ止められなかったか。悪いと分かっていて止められない責任を罪に問おうとすればその国、関連国のほぼ全員となり、ここからややこしくなる。

「ほかげ」が描く世界は巻き込まれてしまった市井の人の物語だ。
では、その後の生活の仕方で全てが悪いのか。グラデーションの部分で生きている人はいないのだろうか。沢山いただろうし、皆が生きるために必死だった。
「闇市」の存在自体が混沌としている。

戦中の復讐のために拳銃を借りた男の案件は、戦中ことは国のための善で戦後に殺すことはやはり悪として彼を罰していいのだろうか。
現在の司法ではもちろんそうだろう。
ただ誰もが腑に落ちないことを心に抱えて生きることになり、彼の行動の方が感情的に納得できる。

戦争が終了し現実社会に納得しきれず、闇を抱えたままの元兵士も戦場での重い記憶から逃れることが出来ず、社会復帰が出来ない真面目なタイプ。
彼の方がむしろ「普通」のはずだが、国は戦後も個人に対し社会保障なんてできやしない。
戦争は終わっても、戦後は続く。特に個人には重く心にのしかかる。

この度、思わぬ機会で「ほかげ」を観たが、心にはドシンと残る作品だった。これもパルシネマしんこうえん二本立て映画館であったから出会えたパルシネマしんこうえんの功績によるものだと言いたい。

二本立ては思わず人の世界を広げる機会を生むのだ。今は金儲け主義になってしまったが、映画が文化や芸術の観点で語られるべきアイテムであるなら、このような二本立てと言う手法は残していくべきものであると思われる。
いま全国にどれほどあるのだろうか。
少なくとも常時的に行っているのは関西ではパルシネマしんこうえんだけだろう。
無くならないでほしいし、情報が広まってほしい。

ザ・昭和レトロ!な看板

また、この際だから言うが、本にも読書会があるように、映画にも語り合うような「会」があってもいいのに。

特にミニシアター系なら観客層的に需要がありそうだし、居場所作りにいいかもしれない。
企画者まとめ役がたぶん難しそうなのね、きっと。w

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