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夏にイライラしたからアドラー憲章を作った話

「夏生まれだから、夏が好き」と思ってこれまで生きてきた。夏の、肌にまとわりつくような馴れ馴れしい空気は嫌いじゃない。Tシャツ・ズボン・サンダルで身軽に出かけられるのも最高だ。節度を知らない底抜けに明るい日差しにも気分は高まる。
今まで人から、好きな季節は、と問われたら、前述の理由からも間髪入れず「夏」と答えてきた。

しかしどうだろう、結婚して以来Googleフォトに溜めている過去の写真を紐解いて「あれ?」と気が付いた。夏になると写真に写る夫の表情から笑顔が消える。子に目線をやってかろうじて口角を上げているか、はたまた遠い目をしてむっすりしているかのいずれかで、普段見せるような歯を露わにして満面の笑みを浮かべている写真が、一枚もない。
そして当時の写真を見返すと、申し訳ないような後ろめたいような、なんとも苦い感情が胃からせり上がってくる。

そう、我々夫婦は夏になるとケンカをしていたのだ。

大抵私が悪い、のだと思う。いや、ケンカは買われてこそ始まるから、どちらが悪いということでもはずなのだけど、最初に売るのはいつだって私である。なぜか分からないけれどイライラしだし、自らの中の正義を絶対的なものとして振りかざし夫にぶつける。理不尽なそしりを受けた夫は反論するのだけど、その際「そうなんだね、あなたはそう思うんだね、だけど自分は~」という受け止めのクッション言葉を使わずにいきなり反駁するものだから、ますます私の言っていることを理解していないと捲し立ててしまう。その勢いに夫は謂われなき責めを被ったと悲嘆し、2人は嚙み合わないまま、業務連絡のみの雑談のない日常という、緊張感漲る延長戦に突入する。
不自然な態度を貫く夫に「何か言いたいことなるなら教えなさいよ」とつついても、硬い表情で「いえ」と答えるのみで、仕方がないので、夫の準備ができるのを待つ。

そうした6月7月を経て、ようやく8月も半ばに夫から「ちょっと話し合いませんか」という場が持ちかけられ、ケンカの発端となった出来事から事実確認のすり合わせが行われる。
私ときたら鳥頭で3歩歩けば忘れる性質、持論を捲し立ててスッキリしているので何が発端かなんて皆目覚えていないのだが、夫ときたら微に入り細に入り覚えているので、(これはいじめっ子はいじめたことを忘れてしまうけれど、いじめられた側は永久にその記憶を抱き続けるというやつか…)と思う。
別にいじめようと思っているわけではないが、結果的に相手がいじめと思ったらいじめである。それは大変に申し訳ない。

夫の認識を聞きながら「それは違うよ」とか茶々を入れるが、結局私が火ぶたを切ったことには相違ないので、最終的にこちらが謝ることになる。
きっかけなんて、自覚するまでさっぱり分からないのだが、ひとたび分かればなんだそんなことで自分はカッカしていたのか、とずっこけるようなものばかりで、本当に申し訳ない限りである。
2年前のきっかけは、留学した友人を訪ねて1週間渡英した後、友人と寝る間も惜しんで交わした、打てば響く美しいテニスラリーのような会話が楽しすぎて、夫もなんで友人のように言葉の応酬ができないのか、ともどかしく思ったことだった。夫からしてみたら、2児の母の渡英を快く見送り、GW中ずっと乳幼児2人の面倒を見させられたのに挙句この理不尽な仕打ちか、と到底納得のいくものではなかったと思う。
昨年はなんだったか、まあとにかくなんやかんやあり、今年はと言えば、このnoteを始める直前で、(だれもスキしてくれなかったらどうしよう、友人と約束した期日までに何も書き上げられなかったらどうしよう)というプレッシャーがすごくて、夫に当たった。我ながら書いていてひどい。

というわけでこの間、子供をキッズルームに預けた後、飲茶・点心をつつきながら2人で5時間話し合った。しばらく言葉少なに、しかし箸は淀みなく餃子や小籠包を口に運んでいた夫だったが、そろそろ麺か、という頃になって「ちょっと確認だけさせてください」と切り出してきた。
「当たったことは悪かった。でも途中までなんでイライラしているのか自分でも分からなくて、分かった時点でお伝えはしていた」と説明する私と、「怒りをなぜ出すのか、そしてそれをなぜ相手にぶつける必要があるのか。私にサンドバックでいろというのか」と指摘する夫。「人間だもの」という私に「解せぬ」という夫。
言うに事欠いて「受け取り方を変えるってできないの?『や、また妻がなにやら荒ぶっておるな。スルーしとこ』っていう対応とか」とポロッと伝えたら、「ジャイアンがいじめると訴えるのび太に『受け取り方を変えろ、自分が変われ』と説くのか」と返された。完全に私=ジャイアン、夫=のび太という構図である。確かに、他者の変革を求める前に自分が変わるのが最も楽で早い方法であるが、ボカボカ殴られているのび太に「捉え方を変えろ」というのはいささか抵抗がある。

「だから」と夫は続ける。「我々の敬愛するアドラーの考えを下敷きに夫婦間の、または家族内の憲章をつくるというのはどうだろう(意訳)」

大変すばらしい考えだと思った。今までの人生で、アドラーの考えを知り、学べたことは大きな契機だった。
人が100人いたら100通りの考え方があり、絶対的に正しい考えなんて存在しないこと。
私自身をまず満たすこと。
現在の状況は自分の「こうしたい」がすっかり反映されたものであること。相手の選択の責任は相手にあり、自分の責任ではないと知ること。
如何なる過去を持っていても、今ここの自分の選択で、今後の人生を選び取ることができること。
満ち足りたありのままの自分でもって社会に貢献し、充足感を得ること。

こんな風に生きられたら最高じゃない?という要素がアドラー心理学には詰まっている。私が今までメンターの先生から習ったことを、講習の度に丸々伝えてきたから、夫もその優れた点を知っての提案だった。
もちろんアドラー心理学は万能ではないし、自分の生活にどのように落とし込んでいくか、生涯にわたる実験と探求が必要であることに違いない。ただ、この指針を胸に家族一丸となって歩んでいけたら、これほど心強いことはない。

憲章制定に伴い、こちらのポストを参照させていただいた。
https://x.com/yoshi_majime/status/1763865976121258262?s=46
なおこの文言は、「アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉 小倉広・著」と「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉 同著」の2冊の引用と考えられる。
こちらを踏まえて、我々の言葉で言い換えてみると、以下の通りである。


アドラー憲章(仲家編)

1. 相手がどのように感じるかは相手の課題であり、わたしが感知する必要はない。

2.違う意見を述べる相手はわたしを批判したいのではない。(批判されている気がするのは私の課題である)わたしにはない新しい視点は尊い。

3.比較したり競争したりする必要はなく、わたしはかけがえのない存在である。

4.わたしは存在しているだけで尊い。他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。

5.わたしだけでなく、家族を大切にすること。幸福になる唯一の道は、受け取るよりも多く、相手に与えること。

6.「よくできたね」とほめるかわりに、「ありがとう、助かったよ」と感謝を伝える。

7.劣等感があるのは目標に向かって頑張っている証。そのプレッシャーを、家族にぶつけるのではなく、生産的な創造力に変える。

8.今わたしが持っている力を最大限活かして生きる。

9.相手を変えようとせずわたしが変わる。

点心屋からスタバへ場所を移していた我々は、この完成を祝してヤ―いいねいいねと肩を寄せ合い、アイスラテとカモミールティーで乾杯したのだった。

完成から1週間経ち、我々の中で「それはアドラー的であるか?」が合言葉になった。今日も極つまらないこと(ネットで見た奢り奢られ論争について激論を交わした。しょうもないことである)でうっかりケンカに発展しそうになったが、「待て!今我々はアドラー的であるか?」で各々内省し、収束に至った。確かにこれは機能するし、ますます拡充させていきたいところである。

ところで個人的にまだ課題は残る。大好きだったはずの夏は、この数年の間に「イライラの夏」にすっかり様相を変えてしまった点だ。
しかし、まさに今日、子の先生に「怒りの6秒ルールって意味ないらしいですよ」という衝撃の話を聞いた。えっあの広く知られている方法が?確かに待ったとて効果を実感したことはなかったですけど、と狼狽する私に先生はなおも続ける。「怒りは冷やすのが一番いいんです。手を洗ったり、冷たいお水飲んだり」

ああ、怒りは熱だったのか。
マンガの「ゆでだこになって、頭から煙がポーッっと蒸気機関車のように立ち上る」という怒りの表現は、まさに理にかなっていたと膝を打った。
そしてアドラーの、身体感覚と心は分けられないという、全体論もいよいよ真実味を帯びた。
私が夏にイライラカッカしてしまうのは、この照り付ける太陽のせいに他ならなかったのだ。

しかし私はアドラー的に生きることにしたのだから、自分を冷やす。自分の健康を損ねない方法で速やかに確実にスッキリ冷やし、憲章⑤わたしだけでなく、家族を大切にすること―その筆頭はもちろん、賢く気高く美しい最愛の夫である―を遵守しようと思う。


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