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【表象読解・分析】阿久悠作詞『十九の純情』の歌詞が表象の教科書ですごい

日本を代表する歌手、石川さゆりの曲にすごい曲がある。『十九の純情』という。今日は『十九の純情』の話をしたい。


作詞は阿久悠、作曲は三木たかし。この二人は、石川をスターダムに押し上げた名曲『津軽海峡冬景色』(1977年発売)を作ったゴールデンコンビでもある。
石川の曲をミリオンヒット『津軽海峡冬景色』を境に初期とそれ以降と区分するならば、『十九の純情』は初期の曲だ。この曲では当時18歳の石川の伸びやかな歌声と圧巻のうなりを聞くことができる。

この曲がすごい。歌詞がすごい。
女の「純情」にまつわる表象がこれでもかとばかりに盛り込まれている。今回は一番の歌詞を見ていこう。


Aメロ①

「頬をそめたのは あなたのせいなの」

最初の一文からは、語りの「わたし」が「あなた」をきっかけに頬を赤くした、まずその事実が読み取れる。わたしはあなたに恋をしているのだろう。

Aメロ②

「ゆうべを思えば はじらうわたしよ」

一方で、次の一文がわたしとあなたの関係をもう少し深いものだと示唆する。「ゆうべ」から連想されるのは、演歌風に言えば「契り」だろう。歌の中の少女は、かくれんぼをしたりなでしこを抱きしめていただけの少女から、大人の女性へ階段を上っている。

ここで注目したいのは、わたしがその時のことを思い出して「頬をそめ」「はじらう」点である。歌の中の少女が仮に「契り」を交わしたのだとしたら、少女は確かに純潔(=処女性)を失っている。しかし男や性に擦れてはいないし、純潔をささげるのは「あなた」ひとりだけ。このような少女のけがれない素直な「純情」は、ただ一人によって赤く染まった頬が強調する。

Bメロ①

「指にきざまれた 愛の傷あとを」

主人公の指に付いた傷が昨日の営みの残り香を漂わせる。1番でもっとも分かりやすくエロティックな詞である。
さて、ここで見たいのはまず「きざまれた」である。
このような場面を描く際、男女における性的な役割の対照は、男=傷つける者、女=傷つけられる者の構図によって強調される。
征服者と未開の地。ナイフと石板。インクと紙‥‥‥‥。この構図は、対応する物同士を登場させることで、従来数多くの作品で用いられてきた。
この対置は、例えば男女の能動/受動の関係を強調する。新大陸を探し開発する征服者と、発見され手を加えられる未開の地。文字を刻み込むナイフと刻み込まれる石板。男性をきっかけとした関係においてこそ、ことさら女性の未開を守る身持ちの良さやまっさらな白紙のような純潔が担保されるのである。このような表象が従来、男女のとりわけ愛情関係についてとられてきた。
そしてこの歌詞に登場するのは少女の傷ついた指である。傷付けた主体は登場しないが、「愛」によって付いた「傷あと」となれば自明である。少女自身が付けた傷だとしても、営みの中でついた傷なら同じことだ。

愛情関係や処女性の表象に関する議論は、アンケ・ベルナウ著、夏目幸子訳『処女の文化史』(新潮社、2008)の「第3章 処女の多義性(文学的視点)」に詳しい。

Bメロ②

「そっとつつんだ 白いハンカチ」

つづいて赤い傷口を白いハンカチが包む。白といえば通常、ウエディングドレスを筆頭に何にも染まっていない色として混じりの無い状態、純潔を表す。白いハンカチを登場することで上手く純情、さらには純潔、清潔感がただよう歌詞になる。
一方で、ハンカチがヴェールの役割を果たしているようにも見える。ベールは特に西洋において、女性の純潔を同時に表す象徴として用いられる。ウェディングドレスを着てヴァージンロードを歩く結婚式は、ヴェールをそのような意味で着ける最たる例だろう。
とりわけこの詞では、赤と白のコントラストの鮮やかさはイメージとしての美しさもたたえる。

以上のように、『十九の純情』は女の純情や純潔にまつわる表象に溢れている。現代のティーンアイドルが歌うラブソングに聞きなじんだ耳には、大人の恋愛を歌わせようとする明確な意図にややバツが悪くいたたまれない感じがする。しかし、なぜこんなにもこの歌詞にハッとさせられるのか考え始めた時、女の純情を連想させる要素をこれでもかとばかりに散りばめる、おそらく全て計算ずくの作詞に圧倒されたのだった。


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