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神経発達症(発達障害)息子の母になる〜息子の失踪④


女性の刑事さんは療育手帳の件と
児童相談所に発達検査をしたい旨のお話しをしておきますと仰られた後、帰って行きました。

私はため息を1つついて、
びしょびしょに濡れたサンダルと、
息子が脱ぎ散らかした後の
ビショビショの服をビニール袋に入れて抱え
風呂場の息子の元に行きました。


息子は、もうすでにお風呂を出ていて
リビングで悠長に素っ裸で寝転がりながら
iPadでYouTubeを見ていました。
(余談ですが、
この時、彼はひつぎダンスにハマっていました)

「なんで外に出たの!
1人で外に出ちゃいけないって言ったでしょ?
子供だけで海行ったら、お化けに足を引っ張られて帰って来れなくなるって言ったでしょ!」

思わず怒鳴りました。


息子はびくっと体を反らしてこちらを見ます。
明らかに、
やばい!という怯えた目をしています。

「服も靴も、こんなぐしょぐしょにして、
砂まみれでしょう!」

息子は血相変えて部屋の隅っこに走って行き、
丸くなりながら

「ごめんなさい!ごめんねよ!!」
と、この時ばかりは、
適当にエコラリアで返事する事はなく、
何度も何度もごめんなさいを繰り返していました

しかし、頭に来ていた私は止まりません。
声が枯れるまで叱り続け、
私の怒声を聞いた夫が仕事の合間を縫ってやってきました。


「ごめん!!!
こっちの仕事場の方のドアが開いてた、
見てなかったのは俺だった。油断してた。」

夫はかばうように息子の前に立ち
目に涙をためて謝罪を始めました。

何か言い訳をしようものなら
滅茶苦茶に口撃するところ
こう素直に謝罪されると
言葉が出ませんでした。

ただ、怒りを一気に吐き出した
その後は、涙が堰を切ったように溢れました。

今回の恐怖がトリガーになり
イヤだったことが次から次に
胸を刺すように思い起こされました。(フラッシュバックですね)

私は声をあげて泣くことが止められず
同時に、
少し前の強烈にショックだった出来事が頭の中に留まり、その時の光景が脳内に再生されました。


それは
息子が3歳になるかならないかの時で。

息子、祖母の3人で買い物中、
突然、息子が小学生くらいの女の子を押して
尻餅をつかせ、その子のお母さんに
祖母と他のお客さんの前で

「はっ(笑)
どういう教育してるんですか?
しつけがなってないですね。」


と、謝る私の頭の上から
鼻で笑いながら言われた時のことでした。

その時も息子は
何が悪いかちっとも理解してないような顔で
(とりあえず謝っておけば良いと思ったのか)
ごめんね。ごめんねと言っていました。


あの時から息子は成長していない。
ちっとも、これっぽちも。

絶望して涙が止まりませんでした。
(今思えば、マタニティーブルーもあったかもしれません)

泣き続けているうちに、
いつの間にか、
(刑事さん(男性の方)が
市内で虐待事件が発生した例があって以降
こういう案件があった際は、ご両親にも連絡することになっていますので、と
呼んでいた)
両親が現れていて
2人とも悲痛な表情を浮かべたまま
私と夫の前に無言で立っていました。


私は両親を見るなり、
今まで我慢していたことが大爆発しました。
妊娠中の不安定な時期だったこともあって、
ヘドロのように汚い感情が溢れます。


「何で来たの?

E(息子)は私達は無理!お手上げだから。
泊まりに来させないでね、Eを1人でうちに預けないでね。面倒見れないから!
って、あんた(母)言ったよね?!

あんたたちが可愛いのはT(弟)の子供だけでしょ?

Tの子供たちだけ家に泊めるんだもんね!
Tの子だけ家にあげるんだもんね?

うちの子は孫じゃないんでしょう? ねぇ!
手に負えないんでしょう?
いらないんでしょう!
本当は障害があるから恥ずかしいんでしょ?!

警察に呼ばれたからって来なくていいから!
障害者はうちの孫じゃありませんって言えば?!
Eは無理だって言ってたもんね!
もうほっといてよ!!
警察には両親はEの面倒見れませんと言ってますと言っておいてあげるから!
今すぐ帰って!!!」

完全にヒステリーの八つ当たりでしたが
止まりませんでした。

夫が何事か言って場を収めようとしていましたが、何を言っていたか覚えてません。
多分、玄関を開けていたのは自分で見ていなかった自分が悪かったとか、そんなことを言っていたんだと思います

息子は、
泣いている私を見てさらに泣いていたような気がしました。(息子にもかわいそうな思いをさせました。)

両親は息子と私、夫に頭下げ
以前、息子の面倒を自分たちは見れないと言ったことについて
「E(息子)の動きが速くてついていけないから、逆に危ないと思って面倒見れないと言ったの」
というような言い訳を挟み、
泣きながら詫びていました。

本当は、ガン治療中の母に
そんなに多くのことを求めていないし
両親の体格的にも、父の体の障害的にも(脊椎損傷していて足が少し不自由)息子の相手は不可能だなと思っていたのに

八つ当たりの口は無駄によく動きました。
両親を効果的に傷つける言葉をたくさん言ったと思います。
1番悪いのは親である私たちなのに…
なんてことを言ったんだろうと時が過ぎた今は思います。


私達がもっと早く認めていればよかった。
息子は発達障害で精神遅滞もあれば知的障害もあるんだと

してはいけないこと
我慢しなければいけないことが我慢できない。
言葉が出ない。名前も年齢も言えない。

危機管理能力が低い。
自分の身を守れない。

きっといつかしゃべるようになる、
きっといつか名前が言えるようになる
きっといつか年齢が言えるようになる

きっといつか普通になってくれると思っていたし願っていました。

でも、それはただの私たちの願望でエゴでした。

きっといつかなんて来ない。


私達はいつも、
きっといつか来る最悪の事態に備えて行動しなければならなかったんだ。


息子は、もっと多くの人の手を借りなければ
危険に飛び込んで死んでしまうほどの障害を持っているんだと、そう認めるべきでした。


この日を境に
私たち夫婦は
息子の障害を全面的に受け止めようと決め
児童相談所との面会で、
発達検査をした後、
療育手帳を発行しようと言うことになりました。


しかし、発達検査前に
幼稚園の参観日で、息子は大事件を起こすのでした。






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