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東京大学大学院 情報学環学際情報学府 先端表現情報学コース 合格体験記#1

この記事は東京大学大学院をはじめとした外部大学院の受験を考えている方に自伝的な合格体験レポートを通して雰囲気をお伝えしたいと思い執筆しています。

受験準備や試験対策ついては以下の記事でまとめているので是非チェックしてみてください。


自己紹介

私は、現在関東の某指定国立大学に通う学部の4年生です。大学では半導体関連の研究をしているのですが、自分の本当にやりたいことを見つめ直す過程で分野を転向し、認知科学的な学際研究を志しました。今回は無事に東京大学大学院学際情報学府学際情報学専攻先端表現情報学コースの方に合格させて頂きました。

併願状況

第一志望は、東京大学大学院学際情報学府(以降、学府) 学際情報学専攻先端表現情報学コースだったのですが、自分の大学院に加え、東京大学大学院総合文化研究科(以降、総合文化)広域システム科学系に出願しました。

入試結果

学府 一次試験(書類審査)通過、二次試験(面接)合格
総合文化 一次試験(筆記試験)通過、二次試験(面接)不合格

という結果でした。つまり本記事は、合格体験記及び不合格体験記であり、どちらのケースも網羅した体験記になっています。受験者の皆さんの今後の勉強や計画の参考になれば幸いです。

私の背景

学部受験

私は学部受験の時にも東京大学を志しており、その時は不合格をいただきました。今所属している某指定国立大学は、後期試験で合格し、そのまま現役で通っています。

不合格を確認したときはやはりつらかったですね。東大受験後から後期試験までの期間は、後期の面接対策をしつつも、ずっと東大数学27ヶ年を解き続けていました。正直、後期で合格が出ても浪人するつもりで勉強を続けていました。

前述したように某指定国立大学の後期試験では合格を頂けたのですが、本当は辞退するつもりでした。しかし、父の助言もあり、辞退は先送りにしました。今思えば、早まっていた自分に考え直す時間を与えてくれた父には感謝しています。

たくさんの友人や先生に電話をかけました。そのまま大学に入学するべきか、もう一度東京大学を志すべきなのか。心では決まっていたはずなのに段々と揺れていきます。

思えばあの頃は目的意識が非常に希薄でした。東大の志望理由も曖昧なもので、ただ何となく、良い環境に身を置きたいからという漠然としたものでしかありませんでした。強いて言えば、東大に行けば変な人間や面白い人間と関われて楽しいだろうな、という気持ちはありました。

高校の尊敬する師からは、どちらを選んでも後悔するから、好きな方を選べばいいという風に言って頂きました。結局自分には東大を目指す明確な理由、もっと言えば某指定国立大学ではいけない理由が見つからず、最終的にはそのまま進学することを決めました。

大学生活

私は、高校から大学にかけてコロナ禍だった世代です。受験を自宅で乗り切るのが難しかったのはさることながら、大学一年生の対面授業は体育のみでした。せっかくの大学生活が、週一の体育というのはどうもものたりません。そこで私は、7つのサークルに所属することになっていきます。これで暇になることはなく、毎日大学に行く理由ができたわけです。今思えばこの頃は元気でしたね。徹夜でボードゲーム会をしたり、本当に楽しい時間だったと思います。

サークルの内訳としては、ミュージカル、アカペラ、謎解き、国際交流、オセロなど様々です。高校の頃から様々な団体に所属していたのでそういう意味では全く変わっていないのかもしれませんね。

趣味という点では、高校の頃に知ったマーダーミステリーやTRPGを大学で本格的に始めました。回ったシナリオは恐らく300を超えているのではないかと思います。自分自身でもシナリオを作成し、ゲームマスターをすることで多くの人に楽しんで頂いています。

勉強と学問、挫折の繰り返し

某指定国立大学の学部選びには少しだけ意図がありました。私は勉強自体は嫌いでも好きでもないという人間でした。しかし、知を探究するという意味での学問は大好きで、友人と議論するのがとても好きでした。また、苦手な科目こそありましたが、嫌いな科目というのは特になく、裏を返せば、やりたい事がはっきりと決まってはいませんでした。そのため、総合大学の中で理学系を幅広く学べることを謳うコースを選択しました。

数学は好きでした。おそらく子どもの頃に読んだ「数の悪魔」という本の影響で、小学生の頃には2の累乗やパスカルの三角形をノートに書き連ね、自習の時間に遊んでいると勘違いされて怒られた記憶があります。

中学校に入学して初めの方の授業で、先生から無理数の例をあげましょうという質問がありました。誰かが円周率と答えたので、さらに他にはないかという質問が次に飛んできました。そこで、咄嗟にネイピア数と答えると驚かれました。当時の自分は本当に素で言っているのですが、どうやらルート2などの"平方根"という答えを期待されていたので、それは驚かれますよね。そんなこともあって、中学1年生の時から最年少で高校生対象の数学講座に参加していました。

ここまで聞くと、さも天才児のようですが、受験の数学はむしろ国語より苦手でしたし、なんなら得意ではありませんでした。また、問題集を全て解き切るという努力は、明確な目的を持たない当時の自分にはできませんでした。受験ではこういう人間は成功しないわけです。努力は才能です。

数学オリンピックにも出場しましたが、結局後1点で本選出場を逃し、地区優秀賞という結果でした。結局上には上がいて、敵わないということはそういう挫折を経て知っていました。

実はこの頃、某指定国立大学の研究支援に採択されて数学の研究をしていました。自分にとってはこちらの方がとても楽しい時間だったのだと思います。

思えば、中高一貫の進学校は良い環境でした。たくさん、たくさんお世話になったと思います。そんな母校も実は中学受験の滑り止めとして入りました。本当に失礼な話ですね。当時は関東の名門である開成中学を目指していたのですが届きませんでした。これもまた、挫折ですね。

良い環境にずっといたのは事実です。それでも、何度も何度も上を見て、挫折を繰り返した人生でした。

転換点

受験を決めたのは、学部3年の12月ごろでした。何度も、何度も悩みました。このまま進んでゆくべきかどうなのか。3年のコース振り分けでは半導体関連のコースに所属していました。個人的にも将来性があって素晴らしい研究分野だと思っています。それは確かなのですが、同時に、この分野は自分じゃないとできないのか?本当にやりたいのはこれなのか?と考えるようにもなりました。理工学は確かに学問として面白いとは思います。学んだことも後悔していません。しかしながら研究をするとなると話が変わってきます。

個人的には大学は学位を取る場所ではなく、学問を追求する場所であると考えています。あるいはそう夢見て大学に入学した節がありました。

しかし、いつの間にか大学入学後はサークルに力を入れ、授業は倍速で見る、試験前は過去問対策のみという模範カス大学生になっていたのです。

思えば矛盾を抱えて生きてきたのだと思います。惰性で勉強と向き合ってきた、正直それが私の大学生活だったと思います。

しかし、それなりにうまく生きているのでその時点ではGPAもかなり高く、正直推薦を狙った方が楽だというのが事実で、それに打ち勝つには相当なモチベーションが必要でした。

決断

話は戻りますが、私はTRPGが好きです。プレイヤーが物語の中の登場人物の1人として自由にインタラクションをしながらセッションの中でリアルタイムに物語を紡いでいく。架空の感情が交錯する、そんなある意味リアルな非日常な体験が大好きです。3年間で9本ほどシナリオを制作し、とても長い時間、どっぷりと使っています。私は様々な趣味がありますが、趣味という枠組みを超える何かに、ようやく出会えたと最近は確信しています。

サークルでは、ミュージカル公演に出演し、アンサンブルキャストとして舞台に立ちました。演じるキャラクターと向き合うこと、それは自分にとってとても楽しい時間でした。

別のサークルでは代表になり、謎解きイベントを制作しました。中学生の頃からの趣味です、たくさんの公演に参加してきました。

私はこうした「主体的な物語体験」が大好きなんです。

これを研究の俎上に落としたいと、心から思ったのが始まりでした。

第一節 終

ここまでが東大院受験を決めるまでの私の背景でした。次の記事では、実際に受験を決めてからどのように準備を進めていったのかについて書いていきたいと思います。

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