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乙武洋匡さんと中学生が考えた。「いたみ」って何?【itami lab前編】

身近な感覚なのに、実はあまり向き合ったことがない「いたみ」。その奥深さを研究する「itami lab*」(いたみラボ)の活動に、中学生が研究員として参加しました。所長は、作家の乙武洋匡さん。

そもそもどんな「いたみ」があったっけ。他の人はどんな「いたみ」を感じているんだろう。自分が考えたことのない「いたみ」を感じる人もいるんだ……様々な「いたみ」を探索するなかで、自分と他者の「違い」というテーマも見えてきました。

研究活動の締めくくりとなる交流会で、研究員と乙武さんが一緒に考えました。その対話の様子を前後編に分けてお伝えします。

*itami labは「いたみ」を手がかりに、多様性について学ぶ探求型のプログラムです。自分やクラスメイトが思う「いたみ」について、対話したり考えたりしながら「多様性」や「人と人の違い」を体験的に学び、自分事化していきます。日本財団が推進する「True Colors 探求学習プロジェクト」 の一環で、教育と探求社がカリキュラム開発に協力し、2021年度に静岡と広島両県の4中学校で実験授業が行われました。この記事では、itami lab の締めくくりとして開催されたオンラインの交流会(2022年3月3日)での、生徒と乙武さんとの対話の様子をまとめています。

「違い」が生む争い

乙武さんは冒頭、ロシアの侵攻を受けたウクライナの「いたみ」について話し始めました。

乙武所長:ショックですよね。これだけ世界中の人が「戦争反対」「戦争なんてとんでもない」と言い続けてきて、これだけ世界中に頭のいい人がいて、権力のある人たちがいて、世界中に軍隊があって、それでも戦争を止められない。すごく悲しいことだと思うんです。

itami labが今回の戦争を止められるかと言われれば、それは難しい。僕らにそんな力はない。僕達は無力なのか?僕はそうは思っていないです。今起こっている戦争を止めることはできないけれども、僕らはこれから起こる戦争を防ぐことはできると思っているんです。
なぜか?

戦争って、なんで起こるんだろう? それぞれの国の立場の違い、利益の違い、そこから見えている景色の違い 、そういうことから争いが起こり、その争いの解決の手段として「戦争」を選んでしまっているんですよね。

皆さんは itami labの研究員として「違い」というものを学んできました。私も、ずっとこのことについて研究してきました。当然、立場が違えば、同じものを見ても感じることが違います。

ひとつのことに対して、私はこう思うけど、あの人はこのことをこう見ていたんだ。全く違う感情を持つこと、違う感想を持つこと、今回の研究を通して、「違い」というものが、この戦争というものを招いてしまっていることにも、ここまで勉強してきた皆さんならきっと気付けると思うんです。

つまり、言い換えれば、僕らは常に「違い」に思いをはせ、「僕はこう思っているかもしれないけれども、あの人はこう思っているかもしれない」「私たちの国はこう思っているかもしれないけれども、向こうの国から見たら違う景色が見えているのかもしれない」――そんな想像力を持った人々に多くの希望が宿っていると、僕は思います。

一番最初に「僕らは今起こっている戦争を止めることはできない。でも、これから起きるかもしれない戦争を防いでいくことはできるはずだ」と話したのは、今述べたような理由からです。

いきなり戦争の話をされ、びっくりしてしまったかもしれないし「そんな大きな話なの?」と思われるかもしれません。でも、私は決して大きな話ではないと思っています。

皆さん一人ひとりと教室を見回してみてください。隣の子、前に座っている子、後ろにいる子、先生、みんな違う人間です。違う人間であるということは、考えていること、感じること、全てが違っています。みんな違う存在なんだ、感じ方も理解の仕方もそれぞれなんだ。そんなことを学んだ皆さんは、きっと「戦争という手段がいかに馬鹿ばかしいものなのか」を理解でき
る人になるのではないか、と思っています。

私がなぜitami labを立ち上げ、一人ひとり何に「いたみ」を感じるか、もっとそこを深く研究していこうと思うようになったのは、自分の身体、つまり自分の障がいが理由です。

私は先天性四肢欠損、つまり生まれた時から両手と両足がない人生を送ってきました。普段は重さ100キロもある電動車椅子に乗っています。当然、不便です。世の中は段差だらけです。お店に入ろうと思っても、入れないことがとても多いんです。

たったひと段の段差でも、私の行く手を阻まれてしまう。そこより奥には行けなくなってしまう。でも脚がある人たちは、段差があろうがなかろうが、まったく困ることはない。それどころか、そこに段差があることにさえ気づかないかもしれない。たった一段の段差でも、見える景色が変わってくる。その後の「行動できるのか/できないのか」ということも変わってくる。

そんなことを皆さんにもぜひ考えてもらいたいと、itami labを立ち上げました。今日は皆さんと、どんなお話ができるのか、非常に楽しみにしています。

「いたみ」の研究で面白いと思うのは?

研究員と乙武所長との対話が始まりました。まず、静岡市立東中学の研究員からです。lab研究で、目に見える「いたみ」よりも、見えない「いたみ」のほうが多いと気づいた、と研究員。そこから、世の中に伝えたい「いたみ」として「ストレス」を挙げました。地域の人たちへのインタビューで「少しのストレスは大事」と教えてもらったそうです。研究員が乙武所長に尋ねたのは「いたみ」の研究で面白い、興味深いと思うところ、でした。

乙武所長:ありがとうございます。ちなみに、どんな時にストレスを感じる?
研究員:サッカーであまりうまくいかなかった時にストレスを感じます。

乙武所長:今言ってくれた「ストレス」だけでも、人それぞれの感じ方は本当に千差万別だなと思うんです。
もちろんサッカーでうまく行かない時はストレスを感じていると思うけれども、それでもサッカーをやめないのは、サッカーを好きだからだと思うんだよね。
だからもし、例えば親や学校の先生に「よし、もうオマエは今日からサッカーをやってはダメだ」と言われたり、試験前に「試験勉強をしっかりしてほしいから、2週間部活禁止、サッカーをやっちゃダメ」と言われたら、ストレスじゃない?
研究員:はい。

乙武所長:逆に、運動が得意ではない、特にサッカーが苦手な人がいたとするじゃない?今度はその子が「キミは今日から2週間、毎日サッカー部の練習に出なさい」と言われたら、その人はどうかな、嬉しいかな?
研究員:いや、嬉しくないです。
乙武所長:そう、逆にストレスを感じるのかな、と思うんだよね。

乙武所長はここで、自分のマネージャーと自分を引き合いに「違い」を説明します。

乙武所長:マネージャーと僕とは性格が正反対なんです。旅行に行くとき、僕は予定が何も決まっていないと、すごくストレス。だからすごく下調べして「今日はここに行こう」「ここのレストランに行って、こういうご飯を食べよう」「ここに行って、こういう景色を見よう。そのためには、3日間の天気のうち今日が一番天気が良さそうだから、その予定にしよう」と考えます。

でも、マネージャーは、朝起きて何かひとつでも予定が入っている状態がストレスだそうです。僕は「予定があることがストレス」と思う人がいるなんて思っていなかったから、面白いと思いました。

ひとつひとつの「違い」を知るというのは、自分にない視点を知れることでもあるから、面白いですよね。

研究員も、itami labの研究で「一人ひとり意見を出し合うというのは、とても面白いし楽しかった」と思ったそうです。

乙武所長:よく「みんな一人ひとり違う人なんだよ」と言われて、頭では「まあ、そうだろうな」と思うけど、itami labで、その意味の納得感は増した?逆に、やってみてモヤモヤしていることって何かある?

研究員:モヤモヤしていると言うか、意見がちょっとでも食い違った時に、自分はこう思うんだよねというのが、言い争いになっちゃうので、そういうところの受け止めが……。

乙武所長:そこが難しかった?
研究員:はい。

乙武所長:「意見の食い違いってあまり良くないから言わないようにしておこう」から、「人は一人ひとり意見が違って当たり前なんだから、とりあえずみんな意見を言ってみて、その違いを最終的にどういう風に決着させるか、みんなで話し合っていこう」としていけるといいよね。

「本当の友達」って何ですか?

次は、沼津市立第五中学の研究員たちとの対話です。itami laboを通じて、違う考えや感覚を持つ人同士が分かり合う難しさを感じたという同校の研究員は「『本当の友だち』って、何ですか」と乙武さんに投げかけました。

乙武所長:「本当の友だち」か……。「本当の友だち」、誰か、頭に思い浮かぶ人はいる?その人は、何がどうだから、自分にとって「本当の友だち」だと思うんだろう?

研究員:趣味が合ったり、困った時に助けてくれたり、一緒にいて楽しかったり。
乙武所長:「趣味が合う」「困った時に助けてくれる」「一緒にいて楽しい」。この3つで言うと、2番目の「困った時に助けてくれる」というのは、僕の思う「本当の友だち」に引っかかるワードかな。

学校生活ですごく楽しいと思える日もあれば、結構ツライこととか、今自分が状況的に苦しいこともあると思うけど、そういう時にこそ助けてくれる人というのは、本当の友だちと思えるかな。もうひとつ言うなら、自分に苦言を呈してくれる友だちも、本当の友だちと思える。

「苦言を呈す」って分かるかな?

自分が気付いていないけれども気付いたほうがいいこと、たとえば「オマエ、すぐ人の悪口を言っちゃうところがあるよ。そういうの気を付けたほうがいいよ」と言われることって、「悪口」ではなくて、言われた人にとって必要な情報だと思うんだよね。

でも、その必要な情報って、自分にとってマイナスなことだから、最初はいい気持ちはしないと思う。言う側だって嫌われたくないから、友だちに何か注意することって結構ハードルが高いことだと思うんだよね。

でも、嫌われる覚悟でそう言ってくれる人は、本当にその相手に「そこ直したほうが、もっと素敵な人になれるよ」と思ってくれているからだと思うんだよね。

だからこそ僕は、自分に苦言を呈してくれる人を「本当の友だち」と言えるのかなと思っています。ちなみに自分の周りに、注意をしてくれる友だちって、誰か思い浮かぶ人、いる? 

研究員:パッと思い浮かぶかと言われたら、分からないです。探していないだけかもしれない。

乙武所長:中学1年だと、親や先生がその役割を担ってくれることが多いと思うんだけど、大人になると親もあまり注意しないし、先生という存在もいなくなる。だから友だち同士で注意するしかなくなってくる。あと5年10年かけてお友だち同士でもそういうことが少しずつできるようになっていくといいのかな、と思います。

見えない「いたみ」って何ですか?

同じく沼津市立第五中学校の研究員は、乙武所長に「見えない『いたみ』で、本人が一番つらく感じる 『いたみ』って、何だと思いますか?」と尋ねました。

乙武所長:すごーく深い質問だなと思うので、頭の中をフル回転させて考えてみました。

パッと思ったのは、自分が抱えている「いたみ」が、自分にとっては非常に大きなことなのに、他の人はそこに「いたみ」を感じていないこと、いくら伝えても、その「いたみ」をあまり理解してもらえないこと――これが一番ツライんじゃないかなと僕は思います。

人それぞれ「いたみ」が違うことはlab活動で分かったと思いますが、でも「へえ、いたみは人それぞれ違うんだね」で終わるのではなく「そうなんだ、キミはそのことがツライんだね」と理解できると、その「いたみ」を抱える本人も、少しは心が軽くなれるんじゃないのかなという気がします。

だからこそ、逆に言えば、自分のその「いたみ」を周りは誰も理解してくれないんだという状況は、結構しんどいだろうという気がします。

後編に続きます。

【参考】
教育と探究社の探究学習プログラムの詳細
探究学習はじめの一歩!【実例】探究学習のテーマ16種
「探究学習」の最先端 教育と探求社の総合パンフレット
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