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偽名みたいな名前を授かった半生を振り返ってみる ~生い立ち編~(1/5)

初めましての方もそうでない方も、こんなイチ会社員のnoteに来てくださってありがとうございます。
本当は2022年中に公開したかったんですが、思いのほか長くなってしまいまして…まとめ切るのに年を跨いでしまいました…。

ここでは、管理職となった自分が次代を担う人たちや彼らのマネジメントをしていく人たちに少しでも何か残せたらと思い、不定期ながら更新していこうと思ってます。
しばらくは自己紹介的な内容になると思うので「こんな記事書いてるのはどんな奴やねん」と気になった方だけ読んでいただければ幸いです。

先に断っておきますが、経歴とかは次の記事からになりますので「それだけさっさと教えろや」って方は次の記事へ進んでください。今回の記事はすごくつまらない自分語りです。

同姓同名多数

平成初期は学校の連絡網に電話番号だけでなく、住所まで載っていました。卒業アルバムなんかも同様で、個人情報の宝庫でしたね。
一時期は卒アル売買ビジネスが問題になったほどです。

その頃は、ハローページというNTTが発行する個人世帯主の電話帳(タウンページみたいなやつ)が各家庭に配布されていました。住所がある市区町村と、隣接するいくつかの市区町村がまとまって一冊になっていたと記憶しています。五十音順なので、それを開けば自分が住んでいる地域一帯にどのくらいの同姓同名の人がいるのか一目瞭然です。

出展:ITmedia News

ちなみに私の場合は、漢字まで同じ方が4ページ程度、読みだけだと10ページ程度あったと記憶しています。(1ページあたり200件くらい載ってる)
ただし、世帯主の名前しか載らないので、実際はもっといたんでしょう。

名前を書かないといけない系の書類の書き方見本に記入されてそうな仮名のような本名を授かった私は、自分の名前が結構嫌いでした。
中学生の頃にセガサターンで遊んだEVE burst errorというゲームで、主人公の天城小次郎が自己紹介する際に毎回のように「偽名じゃないぞ」とか言っているシーンを見てやかましいわと思った記憶があります。

セガサターンの超名作

そんな名前コンプレックスを抱えた思春期を過ぎた頃、ネットである記事を目にします。記事というか所謂ネットミームのようなものだったかもしれません。
その内容は「普通の名前の人の方が出世しやすい」というようなものでした。詳細な文面まで覚えていませんが、この内容は自分のコンプレックスに一筋の光を与えるには十分なきっかけとなりました。

曰く、普通の名前の人は普通に生きていても記憶に残りにくい、だから人一倍努力する。めずらしい名前の人は逆にすぐ覚えられるため、努力を怠る。というような内容だったと記憶しています。

実際、学生時代も社会人時代も、めずらしい名前の人より記憶に残りにくく、損していると思ったことは幾度となくありました。
だからといって人一倍努力した記憶はなく、同期の平均よりはほんのちょっとだけ出世は早かった気もしますが、それは持ち前の効率の良さのおかげなんじゃないかと思ってます。

宗教と家庭崩壊

実は私は宗教二世です。
最近世間を賑わせていますが、社会人になってからは恋人以外には話したことがないです。言う必要もないですしね。
話題のあの宗教ではなく、東海オンエアの虫眼鏡さんと同じやつです。休日に子連れで家を訪ねてきたり、輸血ができなかったりするあれですね。
ちなみに小6の頃に抜けています。

なんでこんなしなくていい話をわざわざするかというと、小さいころから活字に抵抗なく小説を読めたのも、国語が得意だったのも、物心ついたときには新約聖書を読んでいたことが影響していると思っているからです。

父は中卒で印刷会社に就職し、定年まで働きあげました。
母は恐らく二十歳前後で父と結婚し、すぐに二人の娘を授かります。
父も二十歳前後だったはずなので、二人の子を育てるために必死で働いたことでしょう。それが家族の亀裂となります。

高度成長期のCM

夫が深夜まで帰ってこない。母は父の浮気を疑います。
父は家族を守るために残業代を稼いでいるだけなのに。
でも育児で疲れた思考ではその考えに至らず、母は訪問してきた宗教家の救いの言葉に縋ります。父が気付いたときにはすでに遅く、我が家は父vsその他の対立構造が長年に渡って続いていました。

長女が生まれて10年が経とうという頃、家族会議が開かれました。
この崩壊した家族を立て直そうと、父がある提案をします。
犬を飼うか、子供をつくろう

こうして鈴木家に長男が生まれます。
恐らく別の世界線では和夫という名の犬が存在していることでしょう。

父は初の男の子にそれはもう歓喜したと聞いています。
ただ、三人の子を養うのは並大抵なことではなく、次の家庭崩壊が訪れます。

リビング牛乳ぶちまけ事件

上の姉は料理の専門学校へ、下の姉はお菓子の専門学校に進みたいと考えます。立派です。
ただ、それは叶いませんでした。
父は進学を許さず、家族間の確執は取り返しのつかないところまで広がります。

ある日、リビングで雑魚寝しながらTVを見ている父と台所で何かしている姉が些細なことで言い合いになります。
私はこたつを挟んだ父の対面に座り、台所からの導線と父の姿が見える場所にいましたが、姉がつかつかと入ってきて封のあいた牛乳パックを父に向って投げつけます。
漫画などの表現で、交通事故に遭った瞬間スローモーションになるような感覚をその時初めて体験することができました。

ここから姉は部屋に篭りがちになり、少なくとも5年は父と姉が会話しているところを見たことがありませんでした。同じ空間にいたこともなかったと思います。

1980年代に放映されていた家庭崩壊ドラマ

そんな関係も、子供たちの成長によってある程度緩和されていきますが、それでもやはりギクシャクした家庭環境では健全な精神は宿らず、家族全員が癇癪持ちみたいな感じでした。
押したつもりのないスイッチによって勝手に地雷が踏まれ、さっきまで穏やかに会話していたはずなのに、急に怒鳴り出すような家族でした。

中卒の父と宗教家の母に育てられた我ら三姉弟は、世間一般の常識とは隔絶されたところにいたと思います。
具体的な事例は恥を晒すことになるので挙げませんが、全員「一般常識がないな」と思った出来事が存在します。
そんな環境で育つとどうなるかというと「自分も一般常識から外れていることがあるのかもしれない」という疑念を常に抱いて生きていくことになります。

別の記事で語ることになると思いますが、人事教育の部署で働いていた時期はビジネスマナー研修なんかの講師をしていたこともあります。
これは恐らく、教養と常識を身につけたいという上記のような強迫観念から、人一倍書籍やネットで知識をインプットしてきたが故に、普通の人より詳しくなったんであろうと思ってます。
それでも時折不安になることはありますが。

家族の恥を晒すことは本旨ではないのですが、こんな家庭環境で感謝している部分もあります。
自分の家庭がおかしいという認識のもと、それを反面教師として規範となる立ち振る舞いができているのは、この家庭環境のおかげなのかなと。
まあ、しっかり反抗期的なものはありましたけどね。

最後に

こんな3000文字もある生い立ち読んで誰が楽しいんだって感じですが、次の記事は就職編です。
なかなかめずらしい職を転々としているので、今の私のビジネス観を形成した経緯なんかが窺い知れるかなと思います。

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