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輝く月の裏側で


ここ二ヶ月間くらい、たくさんのことに悩むようになった。


悩んでいると、自分に自信がなくなったり、急に寂しくなったりする。心に余裕がなくなった時に飲むハイボールは、いつもより炭酸が強い。




氷は溶け、コップについた水滴。七畳間の室内で感じる儚い朝露。空から月が消えてゆく。

いつの間にか眠りにつき、話の辻褄が合わない夢を見る。

ハッと目を覚ましたときにはもう、太陽が真上にいる。
何かに置いていかれている感じがする。




起きてすぐ、掛け布団に埋もれたiPhoneを気怠い体で探し当てる。決まって充電がない。

最後に流れていた曲はなんだっただろう?ちぎれた朝方の記憶が虚しい。




iPhoneに充電コードを挿し、現在時刻を予想する自分。

充電が3%にまで回復したiPhone。


2ヶ月前よりも現在時刻の正答率が上がっている。




ウォーターサーバーのぬるいお湯をマグカップに注いではじまる1日。

口の中に広がってゆくブラックコーヒーの風味。テレビから聞こえる暗いニュースのせいか、いつもより苦い。



悩んでるのは自分だけじゃないんだって。断片的な情報に、単純化された自分は気持ちを揺さぶられる。





悩みに悩みまくった夜を越え続け、悩むことに疲弊した自分は、悩むことを放棄し、悩まない自分を正当化させる口実を探そうとする。

もう悩んでないと自分に言い聞かせて、本当に悩んでないフリをする。







そんな日常の最中、僕は梅田の裏路地のバーにいた。

これからへの期待、今後への覚悟、あの人からの信用。大切なものが入り混じった決断をせまられていた。

緊張からジンジャーエールがすすむ。炭酸が強い。


そんな自分だが、対人のコミュニケーションにおいてかなりのYESマンであった僕は、1秒たりとも悩まなかった




その瞬間、ボヤけたようにみえる生活に光が差した感じがした。


ただ、それと同じ瞬間、自分がした決断の裏側で引き起こる全ての事柄に対しての責任を持つことを、知らぬ間に放棄していた





そんなことにも気付かずに、原付にまたがる自分。夜の月が、久しぶりに輝いてみえる。

帰路を走る僕の後ろを、時速30kmでぴったりとつけてくる後悔。サイドミラーを確認しても、アホな自分には何も見えていない。





家に帰った頃、決断の裏側を想像し、気付く。浅はかなエゴが、周りの人の心を惑わせ、傷つけていた。


そう、悩まないということこそが、どれだけ無責任で、自らを、人を、寂しくさせるのか。



出しっぱなしのシャワー。重たいメッセージが水しぶきでぼやけてゆく。ふやけた指先で打ってゆく反省の文字。水に流せない事実を受け止めきれない。




その日、重いまぶたでみた月は、いつもに増してかすんでいた。



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# 1  決断の二面性
決断をすることで得られる利益。それは、その選択を行った過去の自分を正当化させる材料になる。一方で、その決断の裏には、周囲の、あるいは世界の誰かを結果として傷つけてしまったり、自然や動物、モノや思想、そして自分までもを追い込んでしまうこともある。責任の伴わない決断は、どんなに些細であろうとも、世の中に不満や憎しみ、心の寂しさを生み出してしまうと思う。


# 2 決断に際する悩みが与える当人への負荷は、責任感の大きさと比例する
決断の裏に広がる形ない世界に想像力を働かせることは、多かれ少なかれ精神的負荷が伴う。想像力を働かせれば働かせるほど、決断に怯えてしまうし、眠れないほど寂しくなることだってある。ただ、その精神的負荷は、決断に責任を持とうとしている故に現れるものだと思う。無思考による決断を繰り返すと、大切なものを失うかもしれない。だからこそ、人はたくさん悩むし、自らに負荷をかける。



# 3 その負荷こそが、人を強くさせる
決断することに頭を働かせ、悩み抜き、自らに負荷をかける。その責任感は、何かを本気で思いやろうとする、温かくも、強い気持ちを持っているということの現れだと思う。負荷を背負い、決めたことに責任を持とうとするその姿勢は、本当の意味で、人を強く、優しくさせるはず。





だからこそ、悩むことって素晴らしいこと。悩んでいる自分をむやみに責める必要は絶対にない。


そうやって人は、自分自身を大切にしていくことで、他者を大切にできる、強い人間になっていくんだと思う。




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