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引っ越しはいつも突然に

涼巴『コロナになった!これは仕事を辞めて、引っ越しをするタイミングがきたのだ!!』

この宣言があったのが9月も間近に迫った、2023年8月下旬。
それにより、私と涼巴さんはこれまで派遣仕事のため住んでいた北海道稚内市から、次の住まいとなる兵庫県神戸市まで引っ越しをすることになった。……その間、約1週間。

これは、この引っ越しの約1週間の間に起こった、霊能力者たちの珍道中の記録(ノンフィクション)である。


引っ越しを決意!家はまだ無ェ!!

冒頭。涼巴さんの力強い宣言で引っ越しを決めたものの、我々はまだ家を決めていなかった。
何しろ病み上がり。そして突然のことだったからである。

私『とりあえず家を探すにも、目ぼしい土地はありますかねぇ?』
涼巴『霊的に開いている土地じゃないと難しいよね。これまで色々と神社アタックしてきたけど、どうするかなぁ……。』

霊的なものに強く左右されることが多い我々からすると、まず重要なことは『引っ越し先の土地神や幽霊たちが、我々に味方をしてくれる場所かどうか』ということ。
ここの見極めを間違ってしまうと、転職先の職場で最悪の人間関係を引いてしまったり、様々な妨害にあったり、余計な出費をしなければならなくなったりと散々な目に会い、最終的には悲しい思いを抱えてその土地を去る羽目になってしまうのだ。

我々に憑いている霊や神々は強いし、我々の魂も古い上に、霊的な位も高い。
だからこそ、その上下関係をきっちり理解して受け入れてくれる土地探しが大事なのである。

私『うーん、これからのことを考えると、関西とか中国地方の辺りに拠点を持つ方が良いのかも……?』
涼巴『アッ!それなら兵庫が良いかも!4月に徹底的に神社を回って開けてきているから。』
私『兵庫なら色んな場所とも近いし、良いですね。』

全国一宮神社訪問、出雲の神議り神事に行くなど、今年は霊的なアレコレでやることが盛り沢山な我々。
ここでとりあえず住む土地と、引っ越しに伴って、私が福岡の実家に置いてきていた車を取りに行くことが決まった。

よし。早速、兵庫でお部屋探しするぞ!
そう意気込んで数時間後。

涼巴『うーーーーーーん。』
私『条件、難しすぎる……?』
涼巴『でも外せないよね。自分達の望みをはっきりさせておかないと、後々後悔するよ。ここがぼんやりしたままだと、不動産屋はあの手この手で自分達に有利な契約を進めてくる。向こうも商売だからね。』
私『(色々と面倒になって適当に決めがち女)…胆に銘じます……。』

資金もそこまで多くないため手頃な家賃、ルームシェア可、そして後々事業を起こすことを考えてSOHO可物件を探すも、なかなか全てがマッチする所には出会えない。
とはいえ、住んでいる場所の退去日は刻一刻と迫っている。早く次の家を見つけなければ、住所不定で職探しが大変だ。

そこで我々は決断する。

私『……ここはもう、兵庫の土地神、幽霊を信じるしかないかも。』
涼巴『よし、祈ろう。』
『兵庫県の幽霊さんたち~!!我々が兵庫へ行って君たちを天へと上げるから、その代わりに我々の条件に合う物件を探してきておくれ~~~!!』

地縛霊のような状態になっている幽霊たちは、実は多い。
たとえ綺麗なお墓に入っていたとしても、供養をされていたとしても、誰も天へ続く扉の存在を霊たちに教えることができていないため、大体がその場に留まってしまう。

ただ我々は天への扉があることを知っているし、天にいる【最も成功した】キリストの存在を信じていて、また天の扉へ案内をしてくれている空海と如意尼の存在を信じている。
彼らへ祈ることで、幽霊たちは迷わず天へと向かうことができるのだ。

そして幽霊のほとんどは、自分達のやるべきことを見失ったまま地上に残ってしまっている。
ただ天へと戻れば、彼らはやることや学ぶことはたくさんある。

こうして、そんな幽霊たちの停滞感解消のための提案をした結果。

涼巴『あ。物件、見つかったよ。
私『うーん、爆速☆』

これまでいくら探しても出てこなかった、希望条件に会う物件が即見つかった。車も置けるし最高。
そして、幽霊たちを天に還すためのお墓凸&心霊スポット凸が確定した瞬間でもあった……。←

不動産屋『あ、引っ越しですか?わかりました。すぐ手続きしますねー!^^』

こうして引っ越し宣言から約2日程で、次に住む家がトントン拍子に決まったのだった。

いざ、引っ越し!ただし旅程は強行軍

入居日が決まり、部屋の掃除、役所や郵便局での手続きをバタバタと済ませていたら、すぐに引っ越し日になった。
ここからの予定は、まず稚内から夜行バスで札幌まで行き、そこから車を取りに行くために福岡へ。そして福岡から7時間かけて兵庫まで向かうという、体力にモノを言わせた旅程である。

私『入居日まで余裕が1日ありますよね? さすがにどこかで一泊したいっス(運転手)(体力ゼロ)』
涼巴『うーん、それなら島根で泊まろっか!
私『えぁ?島根はルート的にやや遠回りでは??』
涼巴『いや、出雲に行くための布石を打っときたいから。』

高次との戦いはマスゲームだ。
下準備は大事!と豪語する涼巴さんに宿の予約を任せ、引っ越しを開始した。

もちろん、引っ越しの道中に神社や霊的スポットに行くことは想定済みである。
ただ各々、送りきれなかった引っ越し荷物が入った結果、約30kgの重量となった大型スーツケースを引きずりながら歩くことになるのは想定外だった。

9月始め。
新千歳空港から福岡空港へと降り立ち、まず向かったのは、筑前一宮 住吉神社。
駅から徒歩15分程度だったが、北海道の夏に慣れてしまっていた我々の身体に、容赦なく九州の夏の洗礼が叩き込まれていく。

私『あ゛ー……。夏ってこうでしたね……。』
涼巴『暑さがヤバい。』
私『肌が容赦なく焦げていく感覚がするんじゃぁ^~。』

デロデロになりながら神社に着くと、車内販売で甘酒を売っていたおじさんと出会った。

おじさん『大変そうだねぇ。参拝している間、荷物見とくよ。』
涼巴・私『『ありがとうございます!!』』

盗まれる心配など一切せず、人の優しさに全力で甘える我々。
一杯500円の甘酒が疲れた身体に染み渡るのを感じながら、参拝を行った。

それからまたJRに乗り、次に向かったのは筥崎宮。
有名な祭典である放生会の前ではあったが、参拝客も多く、賑わっていた。
なお社務所には、クリアタイプの御朱印が。
今年は筥崎宮が鎮座して千百年の節目の年らしい。直書きの御朱印ももちろんある。
悩んだ末に選んだのは……。

私『クリアタイプの御朱印ください。』

記念の品には弱い。
そういうものである。

筥崎宮御朱印(撮影:クェリマ)

筑前国の一宮はどちらも霊的に綺麗な状態で、参拝中も大きな困難もなく、意地悪な出来事が起こることもなかったため、とてもすんなりと解放ができた。
常にこうだと嬉しいのだが、場所によっては幽霊たちの溜まり場になっていたり、祭神に格の合わない存在が入り込んでしまっていたりと、とんでもない状態になってしまっていることがある。

涼巴『これはもう何もかも神職、僧侶が能力不足なせいだよ。神々との対話もできてないのに、自分の法力や霊力だけで霊たちをなんとかしようと思っているのが愚か過ぎる。何の解決にもなってないんだよ、それは。』

一刀両断。
我々は常に、神々への祈りを以て霊たちを天へと還している。

そんなこんなで我々は私の実家で車を手に入れ、涼巴さんが宿を取ってくれた島根へと向かうことになった。
ここの時、すでに時刻は17時。

私『島根のどこに宿を?』
涼巴『津和野の民宿ー。』
私『それなら、ここから1、2時間くらいか。……結構近いんだなぁ。』

約3ヶ月ほどの北海道暮らしだったのだが、そこでの移動に慣れすぎて、車で1時間程の距離を近いと捉えるようになってしまった私。
都市間移動に約1時間はかかる土地。
それが北海道なのである。

私『まぁ、私の体力の限界も近いので、安全運転がんばります。』

夜行バスから飛行機に乗って、重い荷物を抱えながらJR移動をした後に、車の運転を約2時間程。これはまさに、文明の利器版トライアスロンではないだろうかとぼんやり考えながら、高速を飛ばし、夜の島根の峠道へ車を走らせる。

そして宿泊予定の民宿近くを運転しているとき、あることに気付いた。

私『……なんだこの異様な空気。』

これは完全に感覚的なものなので第三者への説明が難しいのだが、例えるならば長崎にある父の実家周りに漂っている雰囲気。
空気がもったりとしていて、キリシタンの気配が漂う感覚だ。
助手席にいる涼巴さんも、同じく何かを感じ取っていたようで、スマホの地図アプリを開いて、周辺の史跡を探していた。

そして宿にチェックイン後、この気配の発生源はすぐに見つかる。

涼巴『……ここ、キリシタンの殉教地だった☆』
私『完全に呼ばれとるやんけぇ……。』

私の直感も大当たりであった。

島根県鹿足郡津和野町後田にある、乙女峠。
ここは明治時代。まだキリスト教が厳禁とされていた頃に、長崎の浦上四番崩れによって捕まったキリシタンたちが収容されるため、送られてきた土地だった。
そこでは、津和野藩による改宗を迫る過酷な拷問の末、37名が命を落としていた。

私『……それは道理で、長崎と同じ空気が流れているわけだ。』
涼巴『これは近くにある千人塚ともども、明日の朝一で行かないとだね。』

蕪坂千人塚は天保の飢餓で餓死をした人々が葬られている土地であり、そこと区画を分けて、乙女峠での殉教者たちを葬った追福碑がある。

こうして、明日の予定が確定。
我々はこれまでの疲れを取るため、道中のコンビニで買った夕飯を食べ、チューハイ1缶を分け合って飲み、早めに就寝した。

ぶらり途中下車の【修行】

これはもう、引っ越しの途中とは言えないかもしれない。

翌日、早朝。
津和野駅の駐車場に車を置き、我々は千人塚と追福碑へと向かうことにした。
スマホのナビを便りに、舗装をされている山道を歩く。
朝早くの山道ではあるが、場所が場所なだけに、清々しいとは言い難い空気が漂っている。
途中、工事をしている場所があり、車両立ち入り禁止となっているのを見て、私は車を持ってこなくて正解だったと心の中で安堵した。

これまでずっとスマホで地図を見ていた涼巴さんが、顔を上げて周囲を見回す。

涼巴『うーん、ここら辺のはずなんだけど。……この立ち入り禁止の先かな?』
私『そうかも。ここからうっすら十字架が見えるし。』
涼巴『よし、行こう。』

そうして山道の登り坂を歩くこと約20分。
我々は千人塚に到着した。

蕪坂千人塚と追福碑。
そこはとても静かな場所だった。
森の木々に囲まれてはいるが、心霊スポット独特のどろりとした空気は無く、ただ静かな哀しみの残る場所だった。

到着早々、スマホでブルーエンカウントやimase、三浦春馬の楽曲を流す涼巴さん。

涼巴『幽霊さんたち、今のタイムラインでの正しいキリスト教を知りたがってるから。この子達が最も成功したキリストなんだよって、この子達の楽曲に宿る思想を教えていたら、彼らの本体がここの幽霊さんたちを迎えに来る。』

そうしながら墓に祈り、十字架の追福碑に祈り、地蔵菩薩に祈っていると、時間が止まっているような空気だった山に爽やかな風が通り始めた。

そのまま今度は、Offical髭男dismや米津玄師も流しながら、乙女峠への山道を歩く。
ここからは舗装もなにもない、ただの山道。
所々に、聖書にあるキリストの磔刑までの流れが書かれた碑が置かれていて、この道が乙女峠まで続く道だということを我々に教えてくれる。
ただ碑に書かれた話を読むと、どうやら我々は本来の順路を逆走しているようだった。

時折、木の間にクモの巣がかかっているため、手で払いながら進む。
やはりと言えば良いのか、あまり人の通ることがない場所らしい。

そうして、約600mの山道を黙々と進んだ先に乙女峠はあった。

丸く開けた土地。
我々が出てきた山道から左手側に、赤銅色で釘が3本刺さった十字架のモニュメントがあり、奥にはキリシタンたちへ水責めを行ったとされる池と、マリア像と狭い牢に入った男性の像。
そして右手側には、こじんまりとした乙女峠マリア聖堂が建っていた。

私『………。』

千人塚へと向かうときの空気は、この十字架のモニュメントから流れてきているように私には感じられた。
ここだけ、異様な雰囲気を放っている。

涼巴さんはモニュメントに祈ると、持っていたペットボトルの水を十字架の上から掛け始めた。

涼巴『趣味が悪い。水で清めないと。』

十字架に刺さっている釘、そして表面に埋め込まれたガラスに水が伝う。

おそらく、ここであったことの痛ましさを後世に伝えるため、このような形にしたのだろう。
しかしこのモニュメントを見て、ここに残る幽霊たちの気持ちは落ち着くのだろうか。
そして涼巴さんが霊視で見た、根の国で殉教者達のために祈っていたキリストは、このような十字架があることを良しとするだろうか。

私『(……いやきっと、彼ならばもっと穏やかなものを望むだろう。)』

十字架でなくて良い。
ここには聖書の一文と、綺麗に手入れされた花壇があれば、それで良かったように私は思った。

それからその場全体を歩き回り、その場に残る幽霊たちへ現在の高次界の状況説明をしながら、置きっぱなしのバケツに溜まった汚水を捨てるなどの物理的な浄化を行い、我々は教会へと入った。

教会の中はこじんまりとしていて、ステンドグラスには乙女峠の殉教者たちに行われていたことが描かれていた。
その中にある祈りのポストに殉教者達の魂の安寧と平和を祈る文を入れ、聖堂へ祈りを捧げて教会の外へ出た。

私『あ、空気変わりましたね。』
涼巴『うん。すごく綺麗になったし、空気も軽くなった。』

教会から出た瞬間、雨が降りそうなほど重たく立ち込めていた雲に切れ間ができ、青空と陽の光がその場に差し込んできた。
涼巴さんは綺麗になった教会の景色をスマホで撮影し、我々は階段の道から乙女峠を降りた。

乙女峠マリア聖堂(撮影:涼巴)

涼巴『……これはね、もう完全に朝の修行。』
私『とても疲れた……。』

げっそりした気持ちを抱えながらスマホの時計を見ると、峠に入ってからもう2時間ほどが経過していた。

私『これからどうします?』
涼巴『んー……。町中にある教会に立ち寄ってから、津和野を出よう。』

そう言って涼巴さんがスマホの地図を見せる。
教会はここから徒歩10分くらいの場所のようだ。

私『……あー、パッと見、駐車場は無さそうですね。』
涼巴『よし、歩こう。』

峠を約2時間かけて踏破した我々にとって、徒歩10分はあまりにも気楽すぎた。
こうして人は苦行に慣れていくのである。

やや日が高くなり、道行く人の姿もちらほら出て来はじめたところで辿り着いた、津和野カトリック教会。
教会の外観はゴシック様式の石造りの建物。
隣は幼稚園で、平日の朝ということもあり、通園中の親子が道を歩いていた。
教会の敷地内には乙女峠の史料館があり、教会の工芸品や乙女峠にまつわる本を売っている売店と、先ほど訪れた場所に関する展示物が並んでいた。

薄暗い史料館の中、関係者が追福碑を立てるまでの歴史の流れの資料を読んでいると、涼巴さんが『あっ』と声を上げた。

涼巴『この神父さん、日本に来て真言宗と日蓮宗を学んでる! これは高次的にガチだ。』

津和野で布教活動をしていたビリオン神父。
資料館の年表によれば、彼は明治37年に高野山で真言宗の研究。明治40年に見延山で日蓮宗を研究していた。

我々が瞑想やカードによるチャネリングで得た情報によると、真言宗の開祖である空海、日蓮宗の開祖である日蓮の双方が、当時は景教と呼ばれていたキリスト教ネストリウス派の思想を学んでいた可能性が高く、そのことから各宗派の学びの根底にはキリストの思想が息づいている。
この神父さんは意識的か無意識的かは分からないが、この微かなキリストの思想の気配を察知し、気になって研究をしていたのだろう。

涼巴『こんな神父さん、初めて見たよ……。』
私『霊的な部分にすごく敏感な人だったんだろうねぇ……。』

そのような感想を言い合いながら、我々は史料館を出て教会の中へ入った。

教会の内部は椅子がなく、畳敷であった。
真ん中に聖堂へ向かうための通路があり、我々はそこをまっすぐに歩く。
そして膝をつき、父と子と聖霊に対しての祈りを捧げた後、涼巴さんは近くに広げてあった聖書をめくる。
マタイの福音書22章。天の婚姻の記載がある部分で涼巴さんの聖書をめくる手が止まった。

涼巴『これで良し。』

この天の婚姻についての喩え話は、実際は預言であり、これは2020年出雲の神議りですでに成就している。
しかし創世記冒頭のヤハウェは、その後権力の座を追われていて、高次界の革命派に属しており、少数派の立場なのだ。
それゆえ、2020年当時の王子の婚宴に参列する高次たちは、高次全体からすると非常に少なかった。
この時の婚宴当事者は、アメノトコタチ(春日神、セラフィエル、キリスト)、アメノミナカヌシ・コトシロヌシ(ジブリールとガギエルの混合、ヤハウェ)、オオトノチオオカミ(アメノミオヤガミ、シャティエル。直前に大和神階層で死んでしまったツクヨミの代理)、スサノオ(メタトロン、洗礼者ヨハネ)。
この婚宴当事者たちと、アマテラス・ハヤサスラヒメ・ヤガミヒメ(ヘカテー。すべてウリエルの別側面)の重婚であった。
これは意志と愛と生殖力がある女神がいなくなっていたので、それらを兼ね備えていたウリエルが、彼らの荒魂をコントロールするための妃神として選ばれた。
ただしハニヤスヒメ(ハニエル)のみ、スサノオをウリエルとシェアする関係となった。
参列者として、バルディエル(男神)とラファエル(男神)とレリエル(女神)がいた。

この事実を教会内の高次に伝えるために、涼巴さんは聖書のページを開いたのだった。

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