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#読書感想文 NeuroTribes: The Legacy of Autism and the Future of Neurodiversity

今日は内省女王のしもべの一人「学習くん」が書いていますので「です、ます」調です。
 
昨日、NeuroTribesという本の耳読を完了しました。紙の本で5、6年前に買っていたのですが本文だけで500ページを超えるという厚さに圧倒されてずっと積読だけでした。あ、この本の厚さがちょうど良くて何かを底上げするときに使っていました😅

先週、ふとaudiobookで聞けば良いのだと思い立ち、10ドル程度で購入しました(安い!)。1.5倍で聞いても11時間くらいかかりましたが、1週間で読了。耳読、サイコーです。
 
日本語訳は出ていないので、少し内容を紹介しながら感想も書いていきたいと思います。
 
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この本は副題にもあるように自閉症の歴史について書かれた本です。著者のSteve Silvermanは広範囲に及ぶリサーチをしており聴き応えのある本でした。背後に感じられる彼の自閉症スペクトラムの人たちへの尊敬に満ちた視点も。この本はアメリカではベストセラーにもなり、neurodiversityという考えを広げるのに大きな役割を果たしました。

Neurodiversityとは


Neurodiversityとは「神経」と「多様性」という二つの言葉をつなげて作った言葉ですが、自閉症スペクトラムを含め発達障害と診断される人たちの脳の働きの特徴を障害としてとらえるのではなく、多様性としてとらえていこうという考え方です。そこではいわゆる「健常」とみなされる人を、nuerotypicalと呼びます。日本語では「定型発達」と訳されるようですが、英語のニュアンスは脳の配線が普通の人という感じです。そしてそれ以外の人をneuroatypical(神経的非定型)と呼びます。そこにはどちらが上か下かというのがなく、たまたま片方が多数派であっただけというフラットなニュアンスがあります。
 
このムーブメントのおかげで、今までは非定型の人たちを定型の状態に近づけようという努力から、彼らの持っている才能を伸ばしていくことや、彼らにも生きやすくなるように多数派の意識や社会のあり方を変えていこうという動きがアメリカでは感じられます。
 
まだまだ私たち定型の人たちで作り上げた世界が、非定型の人にも住み良いところになるのには長い時間がかかりそうですが、30年以上前に心理の勉強を始めた時から比べたら、もっと人間的な視点が生まれたことに希望が持てます。

本の紹介


さてこのNeuroTribesという本では、自閉症スペクトラムの人たちが変わり者、落伍者、精神病者などとみなされひどい扱いを受けていた過去から、それをある種の障害と見なすようになり治療への努力が始まった時代、そして先に書いたように障害ではなく特徴としてみていこうとするムーブメントが起こってきた現在までの歴史を丁寧に辿っていきます。
 
長い本なのでまとめるのは難しいのですが、2つ印象に残っているところをお伝えしたいと思います。一つは児童精神病とか精神遅滞と見なされていた人たちの中に、自閉症という独立したグループがあることを見出した二人の精神科医、アスペルガーとカナーという二人の対比です。二人ともオーストリア人でしたが、視点やアプローチは全く違ったものでした。
 

アスペルガーとカナー


 
オーストリアで精神科医として働いていたアスペルガーは自閉症の子供たちを「小さな教授たち」と呼び、その子供たちの中に一般の子どもたちにはない可能性を見いだし、尊敬と愛を持って接し、彼らの才能を引き出すようなアプローチをしました。
 
一方、第一次対戦後にアメリカに移住したカナーは自閉症スペクトラムの中で言語化能力の低いケースだけを見ていたと言うこともあるのですが、 彼らを矯正が必要な障がい者とみなしていました。
 
二人とも同じような時期に論文を出しているのですが、カナーの方が脚光を浴びるようになり、アスペルガーの論文、また功績は長い間忘れ去られることになります。一つにはアスペルガーの論文がドイツ語で書かれていたことがありますが、彼自身が自閉症スペクトラムに親和性があるせいか、出世欲が少なかったこともあるようです。そしてカナーが自閉症の大御所となってしまったことは、自閉症スペクトラムの人たち、そしてその家族にはとても不幸なことでした。
 
1つにはカナーが自閉症をかなり狭い範囲で捉えていたので、後にアスペルガー症候群として知られるような言語能力の高い自閉症の子供たちや大人たちが必要なサポートが受けられなかったことです。二つ目に上記に言ったようにカナーは自閉症の症状を、治すべき症状と捉えていたために、彼のアプローチは子どもたちを本当の意味では助けませんでした。さらにこれはカナーだけの問題ではなかったのですが、当時精神科医療の世界では精神分析の力が強く、この自閉症の原因は母親の冷たさにあると考えられ母親への風当たりが強くなったことです。
 
その後自閉症の親やケアをする人たちから、新しい見方やアプローチをしようというムーブメントが生まれ、アスペルガーの考えも再発見されることになり、今では母親が原因だとは考えられていません。
 

レインマンの裏話


 
もう一つ印象に残ったのは、ダスティン・ホフマンが自閉症の人を演じた「レインマン」が作られた裏話です。この映画によって自閉症への理解や興味が高まりましたが、台本を書いたバリー•マローという人がこの映画の着想を得たのは、自閉症スペクトラムの隣人との交流からでした。長い間施設でひどい扱いを受けた隣人は、ほとんどホームレスのような状態でしたが、マローは彼に惹かれるものを感じ、話しているうちに二人の間に友情が生まれました。そして最後には家に引き取るほどの深い絆ができたのです。レインマンという映画が多くの人の心を打ったのも、マローに友人への深い愛と理解があったからこそと思います。
 

定型発達の人も助けが必要


 
そして2010年代にようやく精神医学界でも自閉症を一つの狭いカテゴリーで考えるのではなく、さまざまな発現の仕方のあるスペクトラムとして考えられるようになりました。現在は少なくとも欧米圏では冒頭の障害としてではなく特徴として見ていこうとするneurodiversityという考えが広がっています。
 
ちなみにある自閉症スペクトラムの人が定型発達の人のことを揶揄してこんなことを書いている紹介されていました。
 
定型発達の人の特徴
·       社会的な認知への拘泥
·       自分たちが優位だという妄想
·       社会的適合への強迫観念
·       確立された治療法はない
 
自閉症スペクトラムの人から私たちを見ると、他の人に認められるかとか、自分の社会的地位や常識ばかり気にしているように見えるのでしょう。彼らが他の人がどうであれ自分の興味があることを集中して学んでいく力や、慣習にとらわれないで新しい見方ができるのは素晴らしい能力です。作者のシルバーマンは科学の発展の陰に非定型の人たちの存在があるのではないかと述べています。インターネットの発展には彼らの活躍がありますし、本当に助けが必要なのは定型発達の私たちかもしれません。
 
可哀想だから助けてあげるのではなく、対等なパートナーとして多様な脳の特徴を持った人たちが手を組むことで、より良い未来が作れるのではないかと希望も持てた読後感でした。
 


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