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でも、みんなちゃんと人間やってるんだ。

「おい、俺のチーズケーキ、
勝手に食っただろ!!」

天井越しに怒鳴り声が聞こえてくる。上の階のカップルだ。

「食べてやったわよ!もちろん!
あんたの大好きな、あのチーズケーキ!」

そしていつも通り、喧嘩が始まった。

そういえば、あれはまだ、みんなにとってウイルス問題がまるで対岸の火事でしかなかった頃。

階下の我が家からでも一字一句聞き取れるぐらいの声で、上の階のカップルが喧嘩をしていたのを思い出した。

「ちょっと、冷蔵庫のタルト
どこやったの?」

「あ、俺、食った」

「ええええ。何考えてんのよ!!!
 あれ、超高いやつで
 楽しみにとっといたのに」

あ、そうか。チーズケーキはあの時の仕返しか。こりゃ長くなりそうだ。


二人の喧嘩は、それはもう見事なほどに、いつもFワードだらけだ。

大真面目な本人たちには申し訳ないが、そのせいでどこかおマヌケに聞こえるやりとりに、つい吹き出してしまう。

それでいて、プライバシーが筒抜けな会話は、後味の悪さも残す。

よその人の「日常」を覗き見ているうちに、気づけばその「日常」がこちらに紛れ込んでくるような、二重の意味での居心地の悪さ。

たったの、二週間前のことだ。

ところがどうだろう。

あれ?

今日は何かが違う。

非常事態のど真ん中にある今日この日、いつもの他人の喧嘩がなんだか懐かしいものに聞こえてくる。



学校も公共施設もお店も閉まり、交わす会話がグッと減った。こもっていると、自分たち以外誰もいない錯覚すら覚える、今日この頃。

そこに突如として降ってくる、カップルの喧嘩の声。

空間に入り込んでくる、よそのうちのざらついた「日常」が、今日は窓から入ってくる日差しぐらいの柔らかさに、感じられるのはなぜか。

そして、耳から伝わって体に広がる、少しくすぐったいような、あたたかいような感触。

人肌を、もし耳で感じることができるとしたら、こういう感覚なのかもしれない。

ああ、みんな、ちゃんと暮らしてるんだ。
人間らしくやってんだ。
見えにくくなったけど、そこは変わってないんだ。

当たり前だったはずの手触りが、たかだか二週間で不確かになっていたという現実に、ようやく気づく。思わず吹き出す。

そっか。私、人恋しかったのか。

教えてくれて、ありがとう。いつもの営みを変わらず続けていける、人間の強さを。だから今日もド派手に喧嘩してね。ここ数日のそのひどい咳、ちょっと気になるけれど。

おうちにこもっているすべての人々の、不安と恐れの只中でも変わらぬ人間らしさに、幸あれ。

今日の歌。

いつものやりとり。二人の間合い。
ゆらゆらするのは、生きてる証。

一発撮りだからこそ見える、二人の間の化学反応。

KANA-BOON(谷口鮪)× ネクライトーキー(もっさ)”ないものねだり”


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