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マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』を読む

チャンギージーさんは、視覚の超人的能力を検証しています。

人間が色覚を持っているのは、肌を見て、敵や味方の感情と状態を感知するためだ(テレパシー)。目が前向きについているのは、自分の鼻や身の周りの邪魔物の先を見通すためだ(透視)。目の錯覚は、現在を正しく知覚するために、脳が未来を見ようとしているからだ(未来予知)。そして、文字が自然界のものと似た形へと何世紀もかけて文化的に進化したのは、人間は自然を見るのが得意になるように進化してきたからだ。そして、こうした文字のおかげで、人間は他人の考えを易々と読むことができる。生者ばかりでなく、死者の考えも(霊読)。

――pp.28-29 はじめに「超人的な視覚能力」

科学者ならではの推測だが、問いの立て方が良い。

馬が人を乗せるために進化したのではないのとちょうど同じで、目は文字のために進化したわけではない。本書を読んでいるあなたの目は野生の目で、文字を持たない大昔の祖先が持っていたのと同じ目と視覚系だ。ところが、「手綱」なしで生まれてきたあなたの視覚系は、今や読字という鞍を置かれている。字を読むという私たちの能力は、馬具をつけた馬と同じ種類の謎を突きつけてくる。私たちの大昔からの視覚系は、読字抜きには考えられない現代社会に、どうしてこれほどうまく適合しているのだろう?

――p.263 第4章「霊読する力」

そして、彼の主張の要約が『〈脳と文明〉の暗号』の序章にあります。

「脳の仕組みに合わせて、文化が文字を形成していった」とするこの説を裏づけるため、わたしはいままでの研究や前著『ヒトの目、驚異の進化』でいろいろな証拠を示してきた。簡単にいえば、文字はそれぞれの文化の中で淘汰され、ごく自然に見えるかたちに整えられたと考えられる。おかげで、人間の視覚系は、進化の過程で読む本能を手に入れたわけでもないのに、まるで生まれつきの才能であるかのように効率よく文字を処理できる。文字を読む力は、太古からの本能でもなければ、進化の途中で備わった本能でもない。
つまり、文字の場合、そのかたちを決めたのは本能ではない。生来の能力によってではなく文化によって淘汰され、かたちが整えられたのだ。脳が文字に合わせたというよりも、脳に合わせて文字ができあがったため、脳と文字はしっくりと嚙み合う。このようなことが可能なのは、ヒトという生物が、昔から持つ脳の機能をうまく利用して新しい用途に対応し、本能と同じくらい自然に使いこなせるからだ。これをわたしは「先天的な脳機能の転用」と呼んでいる。

――pp.16-17 序章「読む力は本能なのか?」

その「転用」という発想に、スピリチュアルな見解を乗せたい。

人間の霊魂にはもともと超人的な能力があり、その能力を実現すべく、霊魂は人体を転用しているのだが、私たちは、もっぱら、両親の人体の使い方を模倣しており、別の使い方があるとは思いもよらずにいるのだ。

以上、言語学的制約から自由になるために。