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村上春樹といえばグレート・ギャツビー

最近、村上春樹を読んでいます。そろそろ私も大人になってきたので、そろそろ村上春樹が好きだとカマしていきたい。今まで好きだった小説が子どもっぽく思えてきたので、純文学?とやらを読んでみたい。ということで、言われるまで「ノルウェイの森」という題名がビートルズの曲名から取られていることも知らなかった無教養な私が村上春樹を理解しようと取り組む過程を雑然と書き記しておくので、同じく無教養なあなたの参考に役立ててほしいと思います。

どれだけの人が商業的な動機抜きにホントに取ってほしいと思って言っているのかわからないけど、まいどまいど今度こそはと煽られるのがノーベル文学賞です。「ノーベル文学賞」を期待されるほど立派なものらしいという、分かりやすい賞の権威にひれ伏して読んでみると、何が面白いとも分からないけど、何となくスラスラ読みやすく、気づいたら大長編でも読み終えているので、たぶん村上春樹は面白いんだと思います。デビュー作からだいたい出版順に読んでいる途中です。この調子でだいたいの有名どころは抑えていきたいと思っています。

今まで読んで覚えている中だと「ダンス・ダンス・ダンス」の五反田くんが一番好きです。そういう人学校にいたよねという(行き過ぎた)共感を感じます。五反田くんみたいな何でもそつなくこなす人気者が映画に出ているのを見て連絡したらすんなりと自分だけを友達として認めてくれて、実は大衆に伍することなく独自の世界観を持つ自分を羨ましがっていたと打ち明けられて、やれやれぼくは五反田くんが経費で乗らされているマセラティより自分で買った中古のスバルのほうが居心地が良くて好きだと聞いてもいないのにしつこいくらいに繰り返す。文化系でちびでぶすで人好きのしない、しかし人に好かれないからこそ自由に生きている私の、隠された欲求、食べたい怠けたいモテたいより微妙な欲求を微弱な電流で刺激してくれます。五反田くん大好き。「ノルウェイの森」の永沢さんもほぼ同じですね。

ちなみに「ダンス・ダンス・ダンス」では、なんとまあ13歳の少女の容姿が詳細に描写され、30がらみの主人公との友達以上恋人未満の関係?を結ぶ様子が描かれます。少なくとも子どもと保護者の関係ではないです。セクハラ発言も多く、これ大丈夫なんかと目を疑います。その割に主人公は少女に説教くさくて上から目線です。時代なんでしょうか?これは極端な例ですが、全体的に女性観は現在の尺度に照らすとヤバいです。過去の価値観を現在の尺度で裁くつもりはないですが、不快であることを意図した描写ではなさそうなのでここらへんは息を詰めてこらえてまあそういう世界観もあるよねと距離を取りつつ読んでいます。裏を返せば、こういった不快感を補ってあまりあるくらいには面白いということです。

村上春樹の小説を読んでみると、どうやら広範な教養が読解には必要らしいと思えてきます。村上春樹の世代の大卒というインテリが何考えてたのか、世代も違う上にとりわけ文化的というわけでもない家庭に生まれた私にはちょっと分かりません。ということで、作品を十全に理解し、楽しむには、それなりの村上春樹対策が必要になりそうです。

まず、ジャズです。村上春樹の時代はレコードだったんでしょうが、今は音楽ストリーミングサービスという、音楽を金持ちのインテリの占有から開放してくれる庶民の味方がありますから、これだけである程度まではまかなえそうです。とはいえ時代の雰囲気、ジャズを聞いている自分は最高にカッコいいと思えた時代の雰囲気は今からは分かりかねますから、当時の本とか雑誌を読んで勉強する必要がありそうです。覚えたところで大して役にも立たない、当時の人はあとは死んでいくだけですから、もう二度と当時と同じ形で流行るとも思えない知識にまとまった時間を投下する必要があります。このコンテンツにあふれた時代にわざわざジャズを聞くのは厳しい面もありますが、とはいえ聴いてればそれなりに楽しいのは確かです。ソニー・ロリンズをザッピングしていたらon a slow boat to chinaという曲名を見つけて、なるほどこれが「中国行きのスロウ・ボート」の元ネタかと発見したときは結構うれしかったです(短編集だそうですがまだ読めていません)曲の良さもよくは分かりませんが聴いてて快い気持ちになります。ジャズが多いですが、クラシックやポップス、ロックに分類される音楽も出てきます。村上春樹関連の音楽本や、村上RADIOという村上春樹自身が曲をセレクトするラジオもあります。

次に、映画です。これは私は諦めました。たぶんU-NEXTとかTSUTAYAオンラインとかコツコツDVD買い集めるとかである程度までは対応できます。まれにアマプラにあることもあります。しかしながら、つまんなすぎる。見てられないです。何回か小説に出てきた映画を見てみようとしましたが、画質は悪いし小道具は安っぽいしテンポは悪いしセリフは意味わかんないしやけに残虐で汚らしいしで無理です。村上春樹自体が懐古厨なので、そもそも世代の離れた人のさらに懐古で、百年近く前の文化になりつつあります。

そしてたぶん一番大切なのが小説です。村上春樹といえばアメリカですが、アメリカ以外にも、たとえば「1Q84」はイギリス人作家ジョージ・オーウェルの小説「1984」、「1973年のピンボール」は大江健三郎の「万延元年のフットボール」がタイトルの元ネタだそうです。国内外のちょっと古い小説を読むことになります。「1984」は読みましたが、なかなか読みにくいです。特に作中作の部分が鬼門で、私はごまかして読みました。オーウェルがこだわったとされる付録もあんまりちゃんと読んでいません。そのうちちゃんと読み返したいと思いつつも、なかなか機会がなさそうです。村上春樹は翻訳家としても活動していますが、翻訳している本はかなり大きな影響を受けているものに限られていそうです。

私はスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」やJ.D.サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」などを読んでみようと思ってがんばっていますが、なかなか大変です。

「グレート・ギャツビー」は別で野崎孝訳を読みましたが、一読して何が言いたいのか分からず、いろいろとネットで調べてこれはアメリカンドリームの話なんだと解説されてやっと理解できてきたような気がします。デイジーは自分では何もできない無力で上品な良家の子女で、ギャツビーはだからこそデイジーを手に入れようとしたし、デイジーが象徴するアメリカンドリームを叶えることにまっすぐだった。どうやら主人公のニック・キャラウェイとギャツビーの関係は、前述した「ダンス・ダンス・ダンス」の主人公と五反田くんの関係のようです。輝ける人を眺める傍観者のぼくが主人公なのが、そう目立たなくてもプライドを持ち、独自のシステムを内に構築して、死に瀕した人を劇的に救ったりはせずに大して意味があるんだかないんだか分からない仕事をきちんきちんと片付けて日々の暮らしを送る大多数の人間の共感を呼ぶ、ということらしいです。私は「グレート・ギャツビー」はレオナルド・ディカプリオ主演の映画も見ました。衣装や音楽がケバくてCGがヌメヌメしています。最初は違和感ありますが映画の世界観が分かってくると面白いです。私的には今まで見た中で一番好きな映画にまでなりました。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」あるいは「ライ麦畑でつかまえて」はキツいです。これまた最初は何が面白いのか分からず、ネットで調べた結果、「中学生がゲラゲラ笑いながら読む本だ」という解説が腑に落ちました。中学生の頃感じていた、あのみずみずしく粗野な気持ちを思い出すのです。あいつ腕組みするふりして脇掻いてるでしょ、みたいな。校長先生、しゃべるとき語尾伸ばしすぎでしょ、みたいな。そういう日常の一コマを拾い上げて、その中からさほど素晴らしくもないけどやっぱり素晴らしい青春を感じるのです。たぶん。読み終えてもないので分かりませんが。この小説に限らず、私的にはサリンジャーは面白くなるまでがなかなか大変です。

あと、日本の時代背景や村上春樹の生い立ちも重要です。村上春樹は1949年生まれです。戦後間もなく生まれていますから、父親は戦争に行ったそうです。村上春樹は学生運動やらバブルやらの中で生きてきました。学生運動やバブルの空気を小説とはまた別で知る必要があります。まだ読めていませんが、父親との確執を綴った本なんかもあるそうです。家庭環境や学校歴は情緒的文化的経済的に人の人格を形づくりおしはかる大きな要因になりえます。村上春樹個人が何に興味を持ったどんな人かということと、村上春樹は当時の社会の中で相対的に見たときにどのような立ち位置の人だったのか、ということの理解が、小説の内容の読解、そしてその小説がその当時の社会でどのように求められていたのか、という両面の理解につながりそうです。

なんだかんだいっても村上春樹は面白く読みやすいです。読んでいて生きててよかったと感じられます。これもあまり詳しくありませんが、宮崎駿のアニメと一緒です。伝えているメッセージがなんであろうと、話が理解できなくても、細部だけで面白いです。どちらも食事の描写にこだわるところとか、なんでも突き詰めるとそうなるんだろうなと思います。二人とも好かれることを第一に求めていなさそうなところとか、オタクっぽいところとか、なんか似ています。ここらへんはまだ私の中で整理できていないので、そのうち村上春樹の小説とジブリアニメと、一通り読解できたところでまた考えられたらいいなと思っています。ジブリがサブスク解禁したらやります。



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