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福山市鞆町の皇后島と妙覚塚の神風串呂(№75)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「広島県福山市鞆町の皇后島と静岡県牧之原市大寄町部ヶ谷の妙覚塚の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、神功皇后、小室門院、三浦芳聖の母元子

広島県福山市鞆町の「皇后島」は、往昔、神功皇后の船が立ち寄ったことから命名されたと伝承されています。

大阪府羽曳野市誉田の「誉田八幡宮」は、任那の復興を目指した欽明天皇によって、欽明天皇20年(559年)に応神天皇陵前に神廟として創建されたと伝承されています。

「皇后島」-「誉田八幡宮」-「小室門院元子内親王御陵・妙覚塚」

神功皇后は、応神天皇の御母神です。小室門院は、松良天皇の御母神です。この組み合わせは、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の八幡大明神「三浦芳聖」との関係から来ています。

今回は、この皇后島と小松天皇皇后「小室門院」の御陵「妙覚塚」との串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、福山市鞆町の皇后島と妙覚塚の神風串呂

三浦芳聖は、広島県福山市鞆町の「皇后島」と小室門院元子内親王御陵「妙覚塚」とを串呂すると次のようになると述べています。


(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第五章 202頁)

皇后島」(福山市)-「誉田八幡宮」(羽曳野市)-「黒田」(田原本町)-「元町」(湖西市)-「小室門院御陵・妙覚塚」(牧之原市)

【地文のみ掲載】
「皇后島」-「⛩誉田八幡宮」-「黒田」-「元町」-「小室門院御陵」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)皇后島(こうごうじま、広島県福山市鞆町後地)
皇后を表わす。

この串呂は、小室門院が小松天皇の皇后であったことから、ここを起点にして小室門院御陵「妙覚塚」を鑑定する串呂です。

神功皇后が当地へ立ち寄った際に船をつないだことから、皇后島と名付けられたといわれています。『ウィキペディア』鞆の浦

小室門院元子内親王と神功皇后に関しては、下記の串呂が解明されていますので、参考の為、串呂図を掲載します。

「圓室妙覚大姉の墓」-「神功皇后御陵」-「小室門院御陵」

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第五章 203頁)

三浦芳聖の母「元子」様は昭和9年6月に、お亡くなりになっておられます。三浦芳聖が「妙覚塚」という名称を耳にしたのは、昭和23年9月妙覚塚を発見した時の事です。

小室門院元子内親王と三浦芳聖の母「元子」(籍名もと)様は、不思議なことに下記の共通項があります。

ア、お名前「元子」-「元子」(籍名もと)
イ、干支「二黒土星辛巳年生まれ」-共通
ウ、院号・御陵名・戒名「小門院、妙覚塚」-「圓室妙覚大姉」
エ、婚姻の相手(最初の夫・甲戌年、再婚者・壬午年)-共通
オ、皇子、正良(六白金星甲辰年)-芳聖(六白金星甲辰年)

また、神武天皇御母神「玉依媛」様とも関係があるようで、下記の串呂が解明されていますので、参考の為、串呂図を掲載します。

「玉依媛命御陵」-「河合神社」-「三浦芳聖晩年の住所」-「妙覚塚」

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』204頁)


小室門院元子内親王と神功皇后との関係

 神武天皇ー玉依媛
 応神天皇ー神功皇后
 松良天皇(まさよし)ー小室門院元子内親王、二黒土星辛巳年生まれ
 三浦芳聖(よしまさ)ー元子(圓室妙覚大姉)二黒土星辛巳年生まれ

以上の件は、三浦芳聖が神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の八幡大明神であることから来ていると思います。

(2)誉田八幡宮(こんだはちまんぐう、大阪府羽曳野市誉田)

応神天皇御陵
大阪府羽曳野市誉田(地図マピオン)

応神天皇陵の直ぐ南に鎮座する廟社で主祭神は応神天皇。

神功皇后ゆかりの「皇后島」から「妙覚塚」への串呂線上に、神功皇后の御子「応神天皇」を主祭神とする廟社「⛩誉田八幡宮」が串呂しています。

社伝によると、欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としており、最古の八幡宮を称している。 『ウィキペディア』誉田八幡宮

(3)黒田(くろだ、奈良県磯城郡田原本町
二黒土星生まれの母を表わす。田原本(もと)町黒田は、小室門院元子内親王が、興国2年(1341年)二黒土星生まれであることを表わす。

(4)元町(もとまち、静岡県湖西市白須賀)

湖西市元町
静岡県湖西市白須賀(地図マピオン)

小室門院元子内親王を表わす。

(5)小室門院御陵・妙覚塚(みょうがくづか、牧之原市大寄町部ヶ谷)
小室門院元子内親王の御陵。詳細は下記をご覧下さい。リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

【参照】小室門院元子内親王(№70)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「皇后島」-「誉田八幡宮」-「黒田」-「元町」-「小室門院元子内親王御陵・妙覚塚」

妙覚塚は、小松天皇皇后で、二黒土星生まれの小室門院元子内親王の御陵であることを⛩誉田八幡宮が立証し守護している。

神功皇后ゆかりの皇后島-応神天皇の⛩誉田八幡宮-小室門院御陵

広島県福山市鞆町「皇后島」が、神功皇后ゆかりの地名であるということは、命名時期が3~4世紀のことと思われます。「⛩誉田八幡宮」の創建は、6世紀です。

この串呂は神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の八幡大明神の関係から構築された神風串呂です。

芳聖の母「圓室妙覚大姉の墓」-「神功皇后御陵」-「小室門院御陵」

「玉依媛命御陵」-「河合神社」-「三浦芳聖晩年の住所」-「妙覚塚」

上記の串呂から、神風串呂が、いかに長期的な構想に基づいて構築されているかを垣間見ることが出来ます。悠久、荘厳の神風串呂です!


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№74)
🟢次号(№76)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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