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小松天皇御陵と播州西山との神風串呂(№66)

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、小松天皇御陵と播州西山との神風串呂をご紹介しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。


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1、実父の御陵と養父の終焉の地を結ぶ神風串呂

神皇正統第99代松良天皇の実父「小松天皇の御陵」と養父の「長慶院法皇終焉の地播州西山」を結んだ線上に、実父と養父の「船山菩提陵」が存在する神秘的な神風串呂をご紹介します。

養父の終焉の地西山」-「実父と養父の船山御陵」-「実父の御陵

この串呂は、「養父の終焉の地」「実父と養父の菩提陵」「実父の御陵」が一直方角線上に位置する、実に神秘的な串呂で、串呂主宰神のご苦心が偲ばれます。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、小松天皇御陵と播州西山との神風串呂

三浦芳聖は、小松天皇御陵(静岡県磐田市神増)と長慶院法皇の崩御埋葬の地「播州西山」(加西市青野町)とを串呂すると次のようになると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

長慶院法皇崩御埋葬の地・西山」(加西市)-「広野」(三田市)-「青野川」(三田市)-「青野ダム」(三田市)-「小松」(豊能町)-「神戸」(鈴鹿市)-「船山御陵」(豊川市)-「小松天皇御陵」(磐田市)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』151頁、現住所に改め一部研究の成果を盛込んだ。)

【地文のみ掲載】
「長慶院法皇崩御埋葬の地・西山」-「広野」-「青野川」-「青野ダム」-「小松」-「神戸」-「船山御陵」-「小松天皇御陵」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)長慶院法皇崩御埋葬の地「西山」(にしやま、兵庫県加西市青野町)

加西市青野町にある古代古墳遺跡で、地元では「西山」と呼ばれている小さな山ですが、実は、長慶院法皇(寛成親王)の崩御埋葬の地であります。

長慶院法皇は、応永16年(1409年)年秋、駐留していた播磨国の城山で地元の武士団の襲撃を受けて殺害されこの地に埋葬されました。

「西山」のある青野町は、青野川、青野ダムとで青野三串を構成しています。

長慶院法皇崩御埋葬の地「西山」の住所が「青野町」で青野三串となっているのは、長慶院法皇が「南朝副統の天王にして、神皇正統の皇后・小室門院元子内親王の後添え皇夫」=「月」であることを昭示しています。

青=主+月」。大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 2(№10)の「月ひとりすむ西の山影」「月」(愛知県北設楽郡東栄町)を参照ください。

西山聖地」-「歌垣山」-「西明寺」-「御在所山」-「福江町」-「栄」-「」-「日向」-「松長」-「岩戸山」

【参照】長慶院法皇崩御埋葬の地「西山」について

(2)広野(ひろの、兵庫県三田市)

三田市広野
兵庫県三田市(地図マピオン)

長慶院法皇の諱(いみな)寛成(ひろなり)の諺文。

長慶院法皇の諱を「ゆたなり」とする説もあるが、三輪義凞著『長慶天皇紀略』に後亀山天皇の第一皇子「小倉の宮」が、長慶天皇の諱「寛成」に綾かって「廣成」と名乗ったと出ていることから「ひろなり」が正しいと思う。

また、長慶院法皇の皇太弟「熈成親王」も「ひろなり」と読めるのは、敵を欺くための陽動作戦だったと考えることも出来ます。

(3)青野川(あおのがわ、兵庫県三田市加茂)
加西市青野町、青野ダムとで青野三串を構成する同文同種の地名。三田市広野の西側を流れる川が青野川です。

三田市青野ダム
兵庫県三田市加茂(地図マピオン)

(4)青野ダム(あおのだむ、兵庫県三田市加茂)
加西市青野町、青野川とで青野三串を構成する同文同種の地名。

(5)小松(こまつ、大阪府豊能郡豊能町切畑大円)

画像1
大阪府豊能郡豊能町切畑大円(地図マピオン)

小松天皇を表わす串呂哲学上の符号。「小松」というバス停があります。

(6)神戸(かんべ、三重県鈴鹿市)

神は天皇をあらわし、戸は隠す意味をあらわすことから、天皇を隠した(御陵)の意味をあらわす地文。

(7)船山御陵(愛知県豊川市八幡町上宿船山古墳)俗称「天皇山」

豊川市船山
愛知県豊川市八幡町上宿(地図マピオン)

船山御陵(ふなやま ごりょう)は、1411年(応永18年)小松天皇37回忌・長慶院法皇3回忌に松良天皇が制定した小松天皇(実父)と長慶院法皇(養父)二人の菩提陵で、松良天皇の隠棲地「萬松山大通寺の薬師堂」(御油町西沢)から見渡せる位置(船山古墳)にあります。俗称「天皇山」「船山」。

皇大神宮内宮と船山御陵の神風串呂(№63)
「三浦」-「⛩皇大神宮内宮」-「⛩廟社神明宮」-「大塚町天皇山」-「国府」-「船山御陵」-「市川大門町」-「川浦」-「日之出」-「鏡」

串呂哲学研究ノート№62「 5、小松天皇御陵(2)船山御陵・天皇神社」を参照ください。

(8)小松天皇御陵(こまつてんのうごりょう、静岡県磐田市神増)

「小松天皇御陵」(静岡県磐田市神増原台上)は今からおよそ六百年前に築造された瓢箪型をした山陵です。

神増(かんぞ)=神蔵(かんぞう)=天皇の御陵。

皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! (№5)
「⛩皇大神宮内宮」-「高松町」-「小松原町」-「和田」-「小松」-「小松天皇御陵」-「藤太夫島」-「松長」-「聖岳」

小松天皇御陵と香取との神風串呂(№64)
「大呂」-「行永」-「甘呂町」-「香取」-「桶狭間古戦場」-「小松天皇御陵

【参照】小松天皇(№62)「 5、小松天皇御陵(1)正陵」


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4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

「長慶院法皇崩御埋葬の地・西山」-「広野」-「青野川」-「青野ダム」-「小松」(豊能町)-「神戸」-「船山御陵」-「小松天皇御陵」

小松天皇御陵(磐田市神増)、小松天皇と長慶院法皇の「船山御陵」(豊川市八幡町)、長慶院法皇崩御埋葬の地「西山」(加西市青野町)が一直方向線上に串呂する「青野三串」の実に神秘的な神風串呂です。

三浦芳聖は、この神風串呂について下記のように解説しています。

静岡県磐田郡豊岡村神増原台上の、「小松天皇」御崩御の後間もなく遺品を納めて築造せられた瓢型の「小松天皇御陵」と、此の「小松天皇」及び「長慶院法皇」の「船山御陵」と串呂して延長致しますと、「長慶院法皇」薨去埋蔵之地、即ち兵庫県加西郡〔和〕泉町青野の山へピシンと串呂しています。「松良天皇」の当時日本地図がある道理がありませんが、「松良天皇」の「実父」と「養父」即ち「実父の築造御陵」と「養父の埋蔵地」とを串呂した線上に「両父の菩提陵」を祀られたことは、正に霊感霊通、感応動向、天地神明の然らしめ給う、之が神風串呂であります。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』150頁〔 〕内編集者)

上記の「小松天皇御陵」(磐田市)と「船山御陵」(豊川市)を結んだのが、今回ご紹介しました下記の神風串呂です。
🟡西山聖地(加西市)-船山御陵小松天皇御陵(№66)

下記の串呂とリンクしています。
🟡⛩内宮-小松(浜北市)-小松天皇御陵(磐田市)-聖岳(№5)

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

さらに、上の串呂図を参考にして、下記の3本の串呂図を頭の中で描いて下さい!(⛩内宮=⛩皇大神宮内宮)

🟡西山聖地(加西市)-船山御陵小松天皇御陵(№66)
🟡⛩内宮-小松(浜北市)-小松天皇御陵(磐田市)-聖岳(№5)
🟡⛩内宮-船山御陵(豊川市)-鏡(小山町)(№63)

神風串呂が縦横無尽にリンクしている状況がご理解頂けるかと思います。


🔴神風串呂を学びましょう!

串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。

これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!


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💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)


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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№65)
🟢次号(№67)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。