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玉置山 伊勢の内宮 串すれば 我が日の本の 元ぞ知らるる(№27)

💟はじめに

このオンラインブックは、神皇正統家しんのうしょうとうけ極秘伝ごくひでん 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢もといせ伝承で皇祖神・天照大御神が各地を巡行じゅんこうしながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢伝承地と巡行ルート(「幻の邪馬台国・熊襲国」より引用)


元伊勢クシロは、皇城守護こうじょうしゅご結界けっかいのことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。


神皇正統しんのうしょうとう嫡皇孫ちゃくこうそん三浦芳聖みうらよしまさ」が、生涯の精魂せいこんを込めて解明した神風串呂によって、「元伊勢クシロとは、皇統正史こうとうせいしを我が国の国土に埋め込んだ地文学・神風串呂であることが判明したのです。


神皇正統・三浦皇統家を昭示する神風串呂
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章)


地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本国再建のために皇祖神・天照大御神によって構築されました。

ここでは、「〽玉置山(⛩玉置神社)」と「 ⛩伊勢の内宮」とを結ぶ神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得たいかんたいとくすることができるでしょう!

串呂主宰神かんろしゅさいしん(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助てんゆうしんじょにより日本民族本来の力を発揮はっき出来るようになります。


皇大神宮内宮の嫡皇孫は三浦佐久の子孫(三浦皇統家)である。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章)


神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に、無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


1、在りし日の三浦芳聖家の神風串呂

串呂を解明するためにこの世に派遣されたといってもよい、在りし日の三浦芳聖家は、一体いかなる串呂上だったのか?ご興味があるかと思います。

三浦芳聖は、昭和20年(1945)1月3日の名古屋空襲で、当時住んでいた名古屋市昭和区御所町の中部国民道場兼自宅が全焼となり、愛知県宝飯郡一宮町萩村上近久(豊川市萩町上近久)に疎開しました。

戦後、御祖大神(みおやのおおかみ)の御神諭に従い、南朝正統家の嫡孫であると発表したため、官憲の弾圧を危惧する村人達の圧力で、萩村に住んで居れなくなり困っていた所、門人古澤武雄氏の厚意で、昭和25年(1950)8月、豊川市市田町諏訪林に転居しました。

不思議なことに、雨露がしのげる所ならどこでもよいと、切迫して転居した豊川市市田町諏訪林の地は、神様が用意して下さった最高の天地でした。

今回は、皇大神宮内宮(三重県伊勢市)と在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪2丁目)とを結ぶ神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、皇大神宮内宮と在りし日の三浦芳聖家との串呂

三浦芳聖は、皇大神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)と在りし日の三浦芳聖家(三浦皇統家大神宮/愛知県豊川市諏訪2丁目)とを串線すると下記のような神風串呂になると述べています。(三浦皇統家大神宮とは三浦芳聖の道場兼自宅のこと)

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章

玉置山玉置神社(十津川村)-⛩皇大神宮内宮(伊勢市)-在りし日の三浦芳聖家(豊川市)-天地(川根本町)-瑞竜(常陸太田市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』231頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
〽玉置山⛩玉置神社-⛩皇大神宮内宮-在りし日の三浦芳聖家-天地-瑞竜

【地文の解釈】(地文に説明や地図がリンクしています。)

(1)〽玉置山⛩玉置神社(たまきじんじゃ、奈良県吉野郡十津川村)
神皇正統家にゆかりの深い神社。下記を参照ください!

祭神
本社本殿[5] - 国之常立神・伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・神日本磐余彦命
摂社三柱社 - 倉稲魂神・天御柱神・国御柱神
末社若宮社 - 住吉大神・八幡大神・春日大神
末社神武社 - 迦具土神・速玉男神・高倉下神
末社玉石社 - 大巳貴命
末社白山社 - 菊理媛神
末社山之社 - 大山祇神
大日堂社 - 役小角     

『ウィキペディア(Wikipedia)』玉置神社

玉置山(たまきさん)は、奈良県吉野郡十津川村にある山。大峰山系の最南端で標高1,076.4メートル、主に石英斑岩で形成される。1986年に森林浴の森100選に、2007年には日本の地質百選に選定された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』玉置山

玉置神社は、奈良県吉野郡十津川村にある神社。大峰山系の霊山の一つである玉置山の山頂直下の9合目に位置し、大峯奥駈道の靡(なびき)のひとつである。 社務所および台所、梵鐘は国の重要文化財。境内地の杉の巨樹群は奈良県の天然記念物。2004年7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部。
『ウィキペディア(Wikipedia)』玉置神社

玉置神社、玉置山縁起  
「玉置山権現縁起」 
玉置神社HP

(2)⛩皇大神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)(解釈・地図リンク中)
皇祖天照大御神をお祭りするわが国二所の宗廟の一つで八大串呂起点のひとつ。天照大御神は、串呂哲学・神風串呂の主宰神。
詳細はリンク先をご覧ください。

(3)在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪2丁目)
昭和25年(1950年)8月13日から昭和46年(1971年)3月30日に帰幽するまでの三浦芳聖の住所。

地図を敷いて神風串呂の講義をする晩年の三浦芳聖

三浦芳聖はここで、皇祖皇宗の御神霊を祭り、昭和33年(1958年)11月23日からは「神風串呂講究所」「明徳流興国書道練成会」を主宰していました。

三浦家
愛知県豊川市諏訪2丁目(地図マピオン)

三浦皇統家大神宮とは、この道場に天神地祇、皇祖皇宗の神霊を始めとする神々を御祭りしていたことからこのように称した。

大正8年(1919年)1月27日の大本教の有名なお筆先には「東邦朔の九千年栄え三浦の皇統家は日夜久睦じく神国の神代の姿備わりて」とあります。

【参照】大本教お筆先(大正8年1月27日)

(4)天地(てんち、静岡県榛原郡川根本町千頭)
天皇の行在所を表わす地文。天が定めた地。天が用意した地。天は串呂の主宰神、天照大御神。串呂台ともいうべき、三浦芳聖の住む天地。

この地名は現在、地図検索では見つけることが困難。上記WEB地図には、辛うじて「天地第一吊り橋」に「天地」の地名が掲載されている。

下記は、「村影弥太郎の集落紀行」で見つけたもの。

重要な串呂であるため、串呂の主宰神が下記のような資料を用意してくださったものと感謝しています。(クリックで拡大します)

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村影弥太郎の集落紀行

※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「井川」(昭和11.1?)を使用したものである
所在:川根本町千頭(せんず)
地形図:寸又峡温泉/井川
形態:山上の小平地に家屋が少数集まる
標高:約950m(大間(おおま)集落は約540m)
寸又(すまた)川の右岸、上西河内(かみにしごうち)・下西河内(しもにしごうち(ともに河川名)に挟まれた尾根上の、小さな山上の平坦地にある。古い地図では2軒ほどの建物があるが、このとき既に無人。天地平とも呼ばれる。

村影弥太郎の集落紀行

(5)瑞竜町(ずいりゅう町、茨城県常陸太田市) 
瑞は「めでたい」の意。瑞竜は辰年の天皇をあらわす。三浦芳聖が甲辰年生まれであることを表わす。国内唯一の地名。

画像4
茨城県常陸太田市瑞竜町(地図マピオン)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

〽玉置山⛩玉置神社-⛩皇大神宮内宮-在りし日の三浦芳聖家(三浦皇統家大神宮)-天地-瑞竜町

玉置山 伊勢の内宮(うちみや)串すれば 我が日の本の 元ぞ知らるる

この和歌は、三浦芳聖の口を通して出た「皇祖大神」からの御神示だそうで、この歌の通り、「玉置山・玉置神社」から「⛩皇大神宮内宮」に串線して東北方面に延長すると「在りし日の三浦芳聖家(三浦皇統家大神宮)」と「天地」「瑞竜町」という地文が串呂しています。

戦後の昭和30年(1955年)前後、芳聖は、戦前の國體明徴維新運動の盟友「桐田政次」氏の経営する「マスミの家斎宮」(東京都福生市)のお祭りに参加した時、この和歌がひとりでに詠めたと述べています。

三浦皇統家大神宮とは、三浦芳聖が皇祖皇宗のご神霊をお祭していたため、このような表現をしていますが、三浦芳聖の道場兼自宅のことであります。

「玉置山・玉置神社-皇大神宮内宮-在りし日の三浦芳聖家」と串呂するだけでも素晴らしいことですが、この串呂を東北に延長すると、茨城県常陸太田市の瑞龍町に串呂しています。

〽玉置山⛩玉置神社-⛩皇大神宮内宮-在りし日の三浦芳聖家-天地-瑞竜町

この豊川市諏訪2丁目の三浦芳聖晩年の住所は、串呂の主宰神である皇大神宮の天照大御神様が用意された、正に三浦芳聖の天地であり「三浦皇統家大神宮」であったと思います。


🔴三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 


🔴神風串呂を学びましょう!

串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。

これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!


🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№26)
🟢次号(№28)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!