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〽御在所山と興国天皇御陵の神風串呂(№61)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「御在所山と興国天皇御陵の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、岩座神の七不思議「唐滝」と「塔の石」

千ケ峰せんがみねの麓に、兵庫県多可郡多可町加美区「岩座神いさりがみ」という国内唯一のユニークな地名があり、この地区に「岩座神の七不思議」と呼ばれる伝説があります。

七不思議のひとつである「唐滝」は、旱魃かんばつのとき、この滝でウナギを獲ると、必ず雨が降ると伝えられ、また、この滝には大蛇がみ、一人で足を踏み入れた者は誰一人として無事に帰れないというのです。

この唐滝は、三浦芳聖が、昭和6年(1931)2月中旬、霊感で発見し、快晴の日は、瀬戸内海と太平洋が見えるので、日月の滝と命名し、以来68回参篭禊祓いをした滝です。

七不思議のひとつである「とういわ」は、塔のようにそそり立っている高さ10mあまりの巨岩です。

昔、あまんじゃこ(天邪鬼)が「夜中に天に五つの岩を積んで見せる」といって神に挑み、四つまで積んだときに夜が明けたので、一つをここに捨て置いて逃げたといい、岩座神の名前もこの岩に由来するといわれています。

三浦芳聖は、この「塔の石」は、神話に出てくるヤマタノオロチ族の王のお墓であると述べています。(詳細後述)

今回は、何がおわしますかを鑑定する重要串呂起点である「御在所山」(三重県三重郡菰野町)から「興国天皇御陵」(愛知県岡崎市明見町田代、宮崎山伝正院裏山)を鑑定して頂く串呂です。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、御在所山と興国天皇御陵の神風串呂

三浦芳聖は何がおわしますかを鑑定する重要串呂起点である「御在所山」(三重県三重郡菰野町)と「興国天皇御陵」(愛知県岡崎市明見町田代、宮崎山伝正院裏山)とを串呂すると次の様になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第三章

高尾」(日野町)-「上野」(宍粟市)-「岩座神日月の滝」(多可町)-「竜王山」(日野町)-「御在所山」(菰野町)-「興国天皇御陵」(岡崎市)-「上野」(浜松市)-「一色」(西伊豆町)-「三原山」(大島町)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』140頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「高尾」-「上野」-「岩座神・日月の滝」-「竜王山」-「御在所山」-「興国天皇御陵」-「上野」-「一色」-「三原山」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)高尾(たかお、鳥取県日野郡日野町)尾は子孫を表わす。
興国天皇(守永)が、尊良天皇の皇子であることを表わす。
日野町(竜王山)とで、日野町二串の確定立証の串呂を構成している。

(2)上野(うえの、兵庫県宍粟市波賀町)
上野太守・守永親王=興国天皇(守永)を表わす串呂哲学上の符号。
他の「上野」とで上野二串の確定立証の串呂を構成している。

(3)日月の滝(にちげつのたき、兵庫県多可郡多可町加美区岩座神

日月の滝は「岩座神」の中腹にあり、地元では「唐滝」と呼ばれている。近くに「神光寺」というお寺がある。地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

日月の滝
日月の滝

「岩座神」の西に隣接する地名は「神崎郡神河町」である。岩座神を串呂地文学的に解釈すると「岩に鎮座する神」=「墓石に鎮まる神」で、御陵墓を表わす。

日月の滝は、三浦芳聖が昭和6年2月に発見以来、68回にわたって参篭・禊祓いの水行を敢行した滝。三浦芳聖は、快晴の日は瀬戸内海と太平洋が見える場所にあるので「日月の滝」と命名したと述べている。

地元では「唐滝」と呼ばれている。岩座神の七不思議のひとつで、一人で行って帰った者はいないと恐れられ、人々が近づかない滝のようである。三浦芳聖は、高貴な霊性の人専用の滝で、普通の人は単独では入れない滝であると述べている。

千ヶ峰「岩座神七不思議コース」 
『ウィキペディア』千ヶ峰

七不思議のひとつである「塔の石」(とうのいわ)は、塔のようにそそり立っている高さ10mあまりの巨岩です。

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「塔の石」(とうのいわ)

昔、あまんじゃこ(天邪鬼)が「夜中に天に五つの岩を積んで見せる」といって神に挑み、四つまで積んだときに夜が明けたので、一つをここに捨て置いて逃げたといい、岩座神の名前もこの岩に由来するといわれています。

三浦芳聖は、この「塔の石」は、神話に出てくる八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の「オロチ族の王」の墓石であると述べています。

オロチの尾(王)から剣が出てきたという神話は、実は他部族との戦争で勝利し、叢雲の剣(むらくものつるぎ)と呼ばれる「宝剣」を奪い取った故事を神話にしたものだったのです。

岩座神(いさりがみ)は、文字通り「岩に座す神」だが、いさる→いざるで、「いざる」は、膝行(蛇のように進む)を表わし、大蛇(おろち)族の王様であることが、分かる人には分かるようになっているのではないかと思います。いさり神=いざり神=オロチ族の王。(新説・珍説・迷説)

この「塔の石」の下に、処刑されたオロチ族の王が眠っていることを霊感で察知した三浦芳聖は、神界伝法の秘法祭祀で浄化し「オロチ族の遠津御祖命(とおつみおやのみこと)」と贈名して祭祀をしていました。

三浦芳聖は、オロチ族の不浄化霊達が、剣(つるぎ)を返せと要求し、祭祀の妨害をするので、その妨害を防ぐために「オロチ族の遠津御祖命」を味方につけたのですが、オロチ族の不浄化霊達は、浄化しようとしても納得せず、祭祀を受けようとしないといっていました。オロチ族の剣=叢雲の剣です。勝利者ゆえのカルマでしょうか。霊界物語でした。

多可町加美区 岩座神(いさりがみ)より
千ケ峰の南麓、杉原川の支流多田川の最上流域に位置します。千ヶ峰は「仙ヶ峰」とも書き、「神おわす」との山岳信仰により「岩座神(いわすわりかみ)山」と呼ばれ、後に「いさりがみ」に変化したといわれています。
 また、神光寺の更に奥の山中に塔の石と称する高さ10㍍余りの巨岩があり、信仰の象徴とされています。(多可郡誌)

(4)竜王山(りゅうおうざん、滋賀県蒲生郡日野町

蒲生郡竜王山
滋賀県蒲生郡日野町(地図マピオン)

「辰年の王」の意味もあるが、「龍顔・龍駕・龍車・龍徳」などの言葉が示すように、龍は天子(天皇)の権威すなわち王権の象徴ですので、「竜王=天皇」と解釈することも出来ます。

日野町(高尾)とで、日野町二串の確定立証の串呂を構成している。

(5)御在所山(ございしょやま、三重県三重郡菰野町、1212m)
何がおわしますかを鑑定する重要串呂起点。御在所岳の別名。

三重県御在所山
三重県三重郡菰野町(地図マピオン)

全国各所にある御在所山の中で、鈴鹿山脈にあるこの三重県三重郡と滋賀県東近江市に跨る御在所山が、地誌からも地文の上からも標高からも最高の串呂起点。八大串呂起点のひとつ。

【参照】詳細はこちらを参照ください。

(6)興国天皇御陵(愛知県岡崎市明見町田代、宮崎山伝正院裏山)
興国天皇御陵(こうこくてんのうごりょう)は、愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山にあるという。

伝正院
宮崎山伝正院裏山(地図マピオン)

宮崎山伝正院は、尊良天皇の第二皇子「基良親王」(良玄法親王)が開基したお寺で、尊良天皇を陰祀せる「太子堂」が有名。

【参照】興国天皇 (守永・もりなが) (№52)

(7)上野(かみの、静岡県浜松市天竜区)
上野太守・守永親王=興国天皇(守永)を表わす串呂哲学上の符号。
他の「上野」とで上野二串の確定立証の串呂を構成している。

(8)一色(いしき、静岡県賀茂郡西伊豆町)

西伊豆町一色
静岡県賀茂郡西伊豆町(地図マピオン)

「一色」は、串呂哲学では「彼と之とは同じ」の意味で、重要串呂線上に入る地文とされています。一色田(荘園において一種類の賦課のみを負担していた田地のことを称する)に由来する荘園地名です。

(9)三原山(みはらやま、東京都大島町)未解明。
名前の「三原」は、出産のように溶岩や土石流を噴出することから、子宮や胎内を表わす「御腹みはら」から来ているとされる。

【中級編】三浦芳聖は、三原山は興国天皇(守永)の中宮「藤原茂子」を表わす地文であると述べています。その理由は口伝とします。

【参照】『ウィキペディア』三原山

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「高尾」(日野町)-「上野」-「岩座神・日月の滝」-「竜王山」(日野町)-「御在所山」-「興国天皇御陵」-「上野」-「一色」-「三原山」

愛知県岡崎市明見町田代の「宮崎山伝正院」裏山は、尊良天皇の皇子、上野宮と尊称する辰年の興国天皇(守永)の終焉の地であり御陵墓である。

日野町二串 -〇-〇- 、上野二串 -〇-〇- の確定立証の神風串呂です。

ほとんど手掛かりの無かった興国天皇の終焉の地の制定が、神風串呂の解明で出来たのです。これは、素晴らしいことだと思います。


🔴神風串呂を学びましょう!

串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。

これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!


🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№60)
🟢次号(№62)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。