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上野宮と興国天皇御陵との神風串呂(№60)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

神風串呂は、地文ちもん(地名)を研究することで神の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、茨城県久慈郡大子町上野宮と愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山にある興国天皇御陵の神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、龍舞町、入定が御陵墓制定の決め手に!

群馬県太田市に「龍舞町」という地名があります。国内唯一のユニークな地名です。この地名の串呂哲学的な解釈は「辰年生まれの方の昇天」です。

龍は、辰年生まれに限定せず「天皇」と解釈することも可能ですが、この地名は、戊辰年生まれの興国天皇(守永)の御陵墓を制定する決め手となった重要地文のひとつでした。

福島県いわき市遠野町の「入定」という地名も国内二ヶ所しかないユニークな地名です。「入定」には、「高僧・聖者が死ぬこと。入滅」という意味があり、この地名も御陵墓制定の決め手となりました。

「龍頭山」「天龍」「龍岡町」「龍舞町」と「龍」という文字のつく地名が四ヶ所も存在するのも御陵墓制定の決め手となりました。

印象深いのは「寺脇」という地名です。興国天皇(守永)の御陵の所在地が、「伝正院」というお寺の裏山ですので、正に「寺脇」です。私は、この地名を見た時、串呂主宰神の「きめ細かいご配慮」に感服致しました。

今回は、「上野宮」と「興国天皇御陵」との神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、上野宮と興国天皇御陵の神風串呂

三浦芳聖は、興国天皇(守永)の符号である「上野宮」(茨城県久慈郡大子町)と「興国天皇御陵」とを串呂すると次の様になると述べています。

興国御陵上野宮

夫婦瀑」(田辺市)-「玉置川」(十津川村)-「一色町」(西尾市)-「興国天皇御陵」(岡崎市)-「龍頭山」(新城市)-「天龍」(天龍村)-「十原」(飯田市)-「高山」(早川町)-「龍岡町」(韮崎市)-「龍舞町」(太田市)-「大和田町」(鹿沼市)-「上野町」(鹿沼市)-「上野宮」(大子町)-「入定」(いわき市)-「五社山」(広野町)-「寺脇」(楢葉町)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』134頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「夫婦瀑」-「玉置川」-「一色町」-「興国天皇御陵」-「龍頭山」-「天龍」-「十原」-「高山」-「龍岡町」-「龍舞町」-「大和田町」-「上野町」-「上野宮」-「入定」-「五社山」-「寺脇」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)夫婦瀑(めおとばく、和歌山県田辺市大塔)未解明。

(2)玉置川(たまきがわ、奈良県吉野郡十津川村)未解明。

(3)一色町(いしきちょう、愛知県西尾市)

西尾市一色町
愛知県西尾市一色町(地図マピオン)

「一色」は、串呂哲学では「彼と之とは同じ」の意味で、重要串呂線上に入る地文とされています。一色田(荘園において一種類の賦課のみを負担していた田地のことを称する)に由来する荘園地名です。

(4)興国天皇御陵(愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山)

興国天皇御陵(こうこくてんのうごりょう)は、愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山にあるという。

宮崎山伝正院は、尊良天皇の第二皇子「基良親王」(良玄法親王)が開基したお寺で、尊良天皇を陰祀せる「太子堂」が有名。

【参照】興国天皇 (守永・もりなが) (№52)

(5)龍頭山(りゅうずさん、愛知県新城市作手守義)752.3m
辰年の第一皇子をあらわす。興国天皇(守永)も、その父・尊良天皇も共に辰年生まれで第一皇子であります。

(6)天龍(てんりゅう、長野県下伊那郡天龍村)
天の龍。天に昇った辰年の人(天皇)。

(7)十原(とっぱら、長野県飯田市南信濃南和田)
お墓(墓地)を意味する。お墓には、標柱(墓石・五輪の塔)を建てます。十は、お墓の標柱の事ではないかと思います。

(8)高山(たかやま、山梨県南巨摩郡早川町奈良田)
父親、尊良天皇をあらわす。興国天皇(守永)の符号「小高」にも通ずる。

(9)龍岡町(たつおかまち、山梨県韮崎市)
辰年の人(天皇)のいる岡(ここでは伝正院の裏山)を表わす。

(10)龍舞町(たつまいちょう、群馬県太田市)
辰年生まれの方の昇天。ここでは戊辰年の興国天皇(守永)が崩御された終焉の地を表わす。

(11)大和田町(おおわだ町、栃木県鹿沼市)
大和田は小松天皇の符号。興国天皇(守永)の皇位継承者を表わす。

(12)上野町(うわの町、栃木県鹿沼市)
上野太守・守永親王=興国天皇(守永)を表わす串呂哲学上の符号。
上野宮とで上野二串の確定立証の串呂を構成している。

(13)上野宮(かみのみや、茨城県久慈郡大子町)
上野太守・守永親王=興国天皇(守永)を表わす串呂哲学上の符号。
上野とで上野二串の確定立証の串呂を構成している。宮が付いている分、重要性が高い。
【参照】興国天皇 (守永・もりなが) (№52)

(14)入定(にゅうじょう、福島県いわき市遠野町入遠野久保目)

2入定
福島県いわき市遠野町入遠野久保目 入定(地図マピオン)

ア、禅定(ぜんじよう)の境地にはいること。 ⇔ 出定
イ、高僧・聖者が死ぬこと。入滅。
ここでは、興国天皇(守永)が崩御され、埋葬されたことを表わす。

【参照】 高知県高知市久礼野入定

(15)五社山(ごしゃざん、福島県双葉郡広野町大字上浅見川)
五辻の宮の「社」(御陵墓)を表わす。五辻の宮は守永親王の別称。

(16)寺脇(てらわき、福島県双葉郡楢葉町北田)
お寺の脇(境内)を表わす。ここでは、伝正院裏山を指す。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「夫婦瀑」-「玉置川」-「一色町」-「興国天皇御陵」-「龍頭山」-「天龍」-「十原」-「高山」-「龍岡町」-「龍舞町」-「大和田町」-「上野町」-「上野宮」-「入定」-「五社山」-「寺脇」

愛知県岡崎市明見町田代の「宮崎山伝正院」裏山は、尊良天皇の第一皇子、上野宮と尊称する興国天皇(守永)の終焉の地であり御陵墓である。その後継者は大和田(小松天皇)である。

戊辰年生まれの興国天皇(守永)の昇天を表わす「龍舞町」、高貴な方の入滅・涅槃を表わす「入定」、「龍頭山」「天龍」「龍岡町」「龍舞町」と「龍」という文字のつく地名が四ヶ所も存在し、

「伝正院」の裏山を表わす「寺脇」、興国天皇(守永)を表わす「上野」「上野宮」、御陵を表わす「十原」「五社山」などの地名が一直方角線上に位置する、実に神秘的な神風串呂です。

ほとんど手掛かりの無かった興国天皇の終焉の地の制定が、神風串呂の解明で出来たのです。これは、素晴らしいことだと思います。


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串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。

これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!


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💟串呂文庫

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🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№59)
🟢次号(№61)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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